温泉で泳げ

 私の通っていた高校は体育の授業が割合厳しくて、たとえば長距離走では目標タイムを決めてそれ以下の記録を出すとか、鉄棒では「けあがり」が出来るようになるとか、そういった目標を達成しないことには単位がもらえなかった。実際には、いくら時間を延長して練習しても、どうやってもけあがりどころか逆上がりさえできない人というのはいるものであって、最終的にはなにか妥協案が出ていたと思うのだが、詳しいことはよくわからない。
 高校三年生の春三月、すでに授業はなくて、自由登校に切り替わったにもかかわらず、主として高校で無駄話をするために出てきていた私達が校庭で見たのは、彼ら「けあがりできない組」が、ひたすら鉄棒にむかって突撃を繰り返しているところだった。私はその、ほのぼのしたその光景とは裏腹に、危うくそれを逃れたという恐怖とともにそれを見るしかなかった。私がどうだったかといえば、なんだかたまたま一回だけできたときにちょうど体育の先生が私を見ていたために、割と早いうちから卒業要件を満たしていたのである。考えてみると、それ以降、私は一度もけあがりができたことがない。いかにも幸運だった。

 こういう高校だから、水泳の授業も何時間もあって、さらに夏休みに入っても十日間、二時間ずつ泳ぎに来ないとダメとか、さらにある距離を泳げるようにならないとダメとか、そういう規定があった。夏休みが終わった後になってもまだしばらくは水泳をやっていたように思う。それはもう、熱心にやっていたのである。

 これだけ泳いだにもかかわらず、私は水泳が得意にはならなかった。特に遠泳が駄目だった。遠泳では大抵平泳ぎで泳ぐわけで、この平泳ぎという泳法が苦手だったのだ。苦手といっても、全然泳げないのではなく、真似事というか、自分流の平泳ぎもどきなら出来るので、それでずっと泳いでいたのだが、どうしても、先生から教わった、楽してタイムが出るコツ、あるいは疲れないで何キロも泳ぐコツがつかめなかったのだ。先生がいう泳法と私のやっているのは違うぞ、なんだかエネルギーを無駄遣いしているぞ、を自分でも気が付いてはいるのだが、最後まで平泳ぎの正しい泳ぎ方はついにマスターできなかった。自分勝手な泳法でタイムがさっぱり出ないかというと、まあ並みの下くらいは出るので、まあいいかと思ってしまうのも良くなかったのだと思う。

 その後、長い間水泳からは遠ざかっていて、こういうこともすっかり忘れていたのだが、ある冬、草津に行ったときに、久しぶりに水泳をする機会を得た。温泉で泳ぐというとなにやら無作法な想像をされてしまうのではないかと思うが、ホテルの中にプールがあったのである。せっかく冬の草津にいるのだから、スキーだけやっていればいいようなものなのに、やってしまうのである。もちろん家を出るときにはこんな事態など想像していなかったので、水着はプールの売店で買ったのだ。これが大変高価だった。最終的にはこの水泳にも飽きて「草津熱帯圏」(正しくはこういう名前らしい)を訪れたりしていたのだが、もったいないことをするものである。

 そんなことは実はどうでもいい。平泳ぎ(もどき)でたらたらと泳いでいると、上に書いたようなことが思い出されてきた。もはや正しい泳ぎ方など考えて泳いでもどうなるものではないと思うが、思い出した以上、練習してみる。最近、ランニングを始めとして、ソフトボールやテニスなど、スポーツをする機会が多いのだが、何が良くなったのか、体力的にはピークだったはずの高校生時代に比べても、なにもかもが上手になっているという気がするのはどうしたわけだろうか。別に高校時代から今までの間に、練習を行ったわけでもないのに、うまくなるはずはないのに、体の動きがずっとスムーズになった気がするのである。自分の体を操縦する、ということについて知らない間に向上したものがあるのかもしれない。

 今回もそうであった。何が良くなったのか、なんと、高校生の時にあれほど練習した平泳ぎがうまく出来るようになっていた。いつのまにか出来るようになっていたといっていいかもしれない。うまくリズムに乗って手足を動かせるようになっていた。

 かつて私が、平泳ぎはこのように泳ぐ、と教えてもらった方法、そしてどうしても出来なかった方法というのは、こうである。まず手で水を掻いて、同時に足で水を蹴る。その後、手をまっすぐ延ばした状態で、もう一回足で水を蹴る。つまり、手を一回掻く間に足で2回水を蹴る。半拍のリズムが入るわけで、これがうまくいかなかった。どん、ちゃん、どん、ちゃんというリズムを作ればいいのに、どん、ちゃん、どんちゃ、どちゃ、じゃっ、うじゃ、じゃ、といつのまにか手と足が一緒に出てしまうのである。今回は違った。ちゃんとプールの端までどんちゃん、どんちゃん、と泳ぎ続けられるのである。ひょんなことで手足がうまくかみ合うようになって、嬉しかったことといったらない。

 ところが、温泉から帰ってきてこの話をすると、周囲の人間に一様に変な顔をされた。平泳ぎは手を一回に足が一回というリズムが正しいので、私の泳ぎ方は正しくないというのだ。
「確かに私が教わった泳法は二回一回だったぞ、また私を騙そうと思ってそんなことを。かなんなあ自分」
 返ってきた返事は実に冷ややかなものだった。
「だって、大西さん。そんな泳ぎかた、ルール上許されてないんですよ」
「ええっ。本当に」
「本当です。嘘だと思ったら調べてみてください」
 どうも、嘘ではなさそうである。むう。
「バタフライか何かと勘違いしているんじゃないですか。馬鹿だなあ」
 ここまで言うことはないと思う。

 で、話はここで終わらない。ふるさとに帰って、恥ずかしながら、何しろ馬鹿だから、どうも長い間勘違いしていたらしい、とこの話をしたところ、弟がきょとんとして言ったのである。
「俺も、平泳ぎは手が一回に足が二回だと教わったぞ。兄貴、それは騙されているんだよ。馬鹿だなあ」
 念のため聞いてみたのだが、父もうなずいて言った。
「せや。テぇを一回かく間にアシが二回や。わしはそう思う」
 ああ、私はどうすればいいのだろうか。その後、それとなくテレビなどで平泳ぎを観察してみたところ、どうも手が一回足が一回が正しいようではある。私が聞いた「ルール上許されない」というのが間違っていなければ、ひょっとして私の高校だけか、せいぜい兵庫県南部一帯だけで、誰かとんでもない間違いをした人がいて、手が一回に足が二回ということになっているのかもしれない。だとすれば、それはもう、恐ろしいことである。


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