私が高校生の時、高校に落語家の人たちを招いて、全校生徒で体育館に集まって落語を聞くという行事があった。なぜ高校で突然こんな催し物があったのかは知らない。娯楽の少ない田舎の高校であることを憐れんでの校長のはからいかもしれない。とにかくそれは面白くて、私たちはかなり満足していたのだが、その時聞いた一連の落語の中に、落語の技術について、といういわばメタ落語とも言える演目があった。
たとえば、いかに怖い話をするか。どういうふうに演じれば手ぬぐいと扇子をいろいろな小道具に見せることが出来るか。また、ご隠居の家の扉をどんどんと叩くときに、もう一方の手で演台を叩いてサウンドエフェクトをつけるのである、というような豆知識など、こういう知識は、よく少年誌に載っている「マンガの描き方」などと同じように、まず絶対に自分で応用する機会がないとしても、なかなか面白いものである。
そんな中に、落語で「焼き芋を食べる」というシーンがあったときに、どういうふうに演じればそれらしく見えるか、という話があった。「人間というのは絶対に、一口かじったあと、そのかじった跡を見ずにはいられない」というのだが、私たちのそれを見て大笑いしたことといったらなかった。確かに、芋にかぶりついてすぐその芋を一瞥する、という動作を入れると、段違いに真実味が出るのだ。
これは、よく考えるとなかなか深い話である。これを聞いて私たちが笑えるというのは、私たちが知らずにそういう動作をしている、というだけのことではないのだ。たとえ意識していないとしても「食べた跡を見てしまう動作のほうが自然である」という知識が、ちゃんと普段の観察から身に付いているということなのである。意外に誰もが優れた観察者であるということではないだろうか。
こういう観察の対象は、人間に限らない。たとえば、これはよく言われることではあるが、猫を飼ったことがある人はご存知の通り、猫というものは本質的に、目の前に指を持ってこられるとついその匂いをかいでしまうモノのようだ。ただし、人間の場合と違って、猫のこの性質はどうも理解できない。芋をかじった跡を見てしまうというのは、何か変な物を自分が食べているんじゃないかという恐怖心が根底にあるのだろうと容易に想像できるのだが、猫の気持ちはやっぱりわからないのである。想像だが、餌をもらえるのではと思ってかぎに来る、というようなことだろうか。人間に慣れていない野良猫で試してみれば分かるかもしれない。
では、機械はどうだろうか。コンビニやスーパーでよく見かける赤いレーザーのバーコードリーダーには「今からバーコードを読ますぞ」というボタンはなくて、どうもそのかわりに、何か品物を接近させると、自動的にバーコードを探す仕組みになっているようだ。だもので、バーコードリーダーの近くに、何でもいいが、はじめからバーコードが付いていないものを持ってゆくと、それでもリーダーはバーコードを探して、うろうろと光によるスキャンを開始する。これがどうにも、イメージが猫そっくりなのである。コンビニでよく使われているハンディスキャナ型ではなくて、スーパーのレジに多い据え置き型のバーコードリーダーの方がしっくり来るが、指などを読み取り面にかざしてちょっと動かしてみたりなどすると、リーダーが「くんくん、バーコードどこ。ねえ、バーコードどこ」とレーザー光で匂いを嗅ぎに来るように見えるのである。なんとなく愛嬌があって、ワンダフルである。
いや、バーコードリーダーと猫が同じである、というつもりはないのだ。バーコードリーダーは結局プログラムに従っているだけで、今のところこうして「機械が生き物のマネをしている」というところに笑いがあるだけなのだ。観察による笑いとはちょっと違う。いずれ、機械がもっと複雑に、ソニーのロボット犬アイボやホンダの二足歩行ロボットのようなものに本物の人工知能が載るようになれば、機械ってどうしていつも〜するんだろうね、などと言って笑いをとることもできるようになるのだろうけれども、残念ながらこういう話には今の機械はまだ単純にすぎる。
猫が匂いを嗅ぐというので、もう一つ思い出した。うちに二匹いた猫の、そのどちらもが、餌をねだるのに応えて猫皿に餌を盛ってやると、まず、餌をあげた人である私の匂いを嗅いでから、餌に取り掛かる癖があるようだ。なんとなく「ありがとー」と言っているような気がして可愛かったものだが、猫は普通そうなのだろうか。これが普遍的なものかどうかもうひとつ自信がなくて「どうして猫というのは」という話に今までできないでいる。
ただ一つ言えることは、猫はたぶん「ありがとー」などと思ってはいないということだろう。むしろ「餌をくれたあなたはどなた。うろんな人ではあるまいね」ということなのではないかと疑っている。種族間の断絶である。だからせめて、未来のバーコードリーダーにははっきりと「もう、バーコードなんかないじゃないか、ひどいや」と表示するプログラムをしてほしい私なのである。