「みなさんこんにちは。毎回、身の回りの天文学に関する話題をお送りしております『シリーズ・お茶の間天文学講座』、その第三回を迎えました今週は『ブラックホール』をテーマとしてお送りいたします。今回はゲストに、新都大学で教鞭をとっておいでになります、浜崎教授にお越しいただきました。よろしくお願いいたします」
「真崎です。よろしくお願いいたします」
「それではさっそくですが、まずはブラックホールとは何か、についてご説明をいただけますでしょうか」
「はい。最初に、みなさまよくご存知の通り、すべての動物には行動半径というものがそれぞれ存在しています」
「動物、ですか」
「はい。リスや雀のような小動物から始まって、犬や猫のような中型の動物、さらに虎やライオンのような大型肉食獣に至るまで、種族によって違いはありますが、それぞれ一般的に自分の『生活圏』というものを持っており、それぞれの動物はそのボーダーラインの中で行動し、一生を暮らすという性質があります。外敵に追われるなどの緊急時にならないかぎり、めったにそこから出ることはありません」
「は、ははあ。なわばり、のようなものでしょうか」
「ええ、そうです。『なわばり』が明確でない、つまり同族の他のグループのものが自分の生活半径に入ってくることをそれほど気にしないような動物もありますから、この場合はこの生活圏は『なわばり』と等値とは言えませんが、ともかく、固有の行動半径を持っているということは、動物において非常に一般的な性質として考えていいと思います」
「な、るほど」
「さて、問題は、人間にもその生活圏が明確に存在するかどうか、というお話になります」
「…はい」
「これまでの一般的な学説によれば、人間に関して言えば、これは時代により文化により、また後天的性質として刷り込まれることになります生活習慣によって大きく上下しますから、まったく生活圏などというものを定義することはできない、というものでした」
「…」
「しかしながら、もはや狩猟、採取などによって生計を立てる必要がない、現代人においては、その固有の生活圏は、とくにそのねぐらである、アパートとか、マンションとか、一戸建ての住宅ということになりますが、非常に狭い場合がある、ということがわかってきております」
「ええ、すいません教授、もう少し具体的にお話しいただけますか」
「あ、はい、失礼いたしました。要するに、現代人においては、必ずしも人間の、体の大きさ、摂取しなければならないエネルギーや個体数などから帰結される、本来持っているべき生活圏を社会的に維持できない、むしろそれよりも、大きく減少する場合があるということなのです」
「人間は、本来の生活圏より、とても狭い範囲で暮らしている、ということでしょうか」
「その通りです。これは、都市生活という習慣が産んだ新しい人間の本能と位置づけることができるかもしれません。歴史的に見ても、産業革命から情報革命に至る中途の、人口が都市に集中した時代に顕著ですが、最も狭い場合、人間の生活圏は、実に四平方メートルそこそこに収まってしまう場合もあったといわれています」
「四平米というと、二メートル四方ですか。たたみ二畳分、ということですが、それは、私なんかが考えますと、少々狭すぎるようにも思えますが」
「いえ、これはあくまで、その人のすみかの大きさではなく、生活圏の広さです。言い換えますと、その人が有効活用できるスペースの広さ、ということになるのです。四畳半一間に住んでいようと、千坪もある豪邸に住んでいようと、四平米の生活圏しか持たない人は、結局その広さを有効には活用できないのです」
「さあ、話題は混沌としてきた、とか、話がなかなか宇宙に行かないぞ、などと、これをお聞きになっている皆さまもお感じになっていることと思います。すいません、お続け下さい」
「ああ、申し訳ありません。最初から順を追ってお話しないと分かりづらいと思ったものですから。ええ、とにかく、たとえば、畳四畳分の生活圏を持った人が六畳の部屋を借りると、二畳分活用されないで残ってしまう、ということなのです。そして、長い間生活を続けていると、たとえば、ベッドから出入り口まで、ゲーム機の前から本棚までといった、限られた空間を残して、どんどん不要なものが溜まってゆくことになります」
「ええと、ゴミ、ということでいいのでしょうか」
「いえ、そうとは限りません。ただ、不要ではあるが捨てるほどでもないものです。古新聞や、雑誌、空いたペットボトル、冬服、終わった授業のノート、そういったものです」
「ははあ」
「そうして、たとえば部屋の隅、押し入れ、床下収納などに一つの塊を形成したその不要物群は、なにしろ生活圏の外であるものですから、生活者にはそこに存在していることが全く苦にならないという、そういう物になります」
「なるほど、私にも思い当たるところがあります」
「そうですか。はい。それで、そうして溜まっていった不要物は、長い間放っておかれる、その放っておかれることで、生活者にとってますます手を触れることができない、むしろ片づけることが苦痛なものになってゆきます」
「ええ、ええ」
「それを、我々は『ブラックホール』と呼んでいるのです」
「え、えええ」
「部屋のその隅に潜り込んだ品物は二度と出てきません。一度できあがったら外から中にどんなものが含まれているかも、表面のわずかな情報を除いては、わかりません。決して消滅することなく宇宙の終わりまでそこにあります。ブラックホールと呼ばれるにふさわしいものではないでしょうか。もちろんその力の源は、重力ではなく、生活者の精神に属する力になるわけですが」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい、教授。何かの例えとしてこの話を持ちだされたのでは」
「は。いいえ、心理学、社会学的に言われますところの『ブラックホール』についてご説明申し上げたのですが」
「ええ、大変興味深いお話ではありましたが、今回は教授のご専門であります、天文学的見地から『ブラックホール』についてお話し願う予定に」
「いえ、私の専門は、心理学および史学、ということになっているのですが」
「……え、あ、はい、えー、お聞きの皆さまには誠に申し訳ありません。教授のお話の途中ではありますが、そろそろ放送時間が終わりに近づいて参りました。中央大陸放送協会第一放送『シリーズ・お茶の間天文学講座』、その第三回の今週は『ブラックホール』をテーマとしてお送りいたしました。来週は『クェーサーの謎』と題してお送りいたします。それでは浜崎教授、ありがとうございました」
「ありがとうございました」