いつかは江戸っ子

 生まれ変わったら、江戸っ子になりたいと思うのだ。

 出身地を比較したとき、江戸っ子ほど、有利なポジションはない。だいたい、大阪っ子とか、名古屋っ子、などという言葉はない。本当にないのか、無い、と言いきっていいのかどうかもちろん確信は持てないわけだが、おおさかっこ、と入れて変換すると「多さ括弧」、と出るので市民権を得ていないことだけはまず間違いないだろう。この手の言葉で他に聞いたことがあるのはパリっ子とかロンドンっ子くらいのものである。モスクワっ子とは言うかもしれない。でも、ここはぜひ口に出して言ってみて欲しいのだが、ニューヨークっ子とは言わない。彼らはニューヨーカーかもしれないが、ニューヨークっ子ではない。どうやら、首都かどうかで、峻厳な区別があるようである。シドニーっ子、ほら言わなさそう。キャンベラっ子。ほら言いそう。

 首都なので、日本の最大の都市の出身なので、その言葉はいつでも地方出身者を、意識してか不可抗力でかは別にして、差別した発言になる。たとえば、私が、兵庫県の山の中の出身です、というときに、ある程度へりくだったというか、こんなに田舎なんですよう、と自分を下げて笑いにするような意識が常にある。故郷を愛していないわけではないのだが、紹介するときに持ってくるべきは第一に笑いである。マクドナルドも、コンビニも、本屋さんもありません。電車も走ってません。国道も通ってません。ところが、江戸っ子にはそれはない。私、江戸っ子なんです。ゴミゴミしてるんですよう。空気が良くないんですよう。路地が狭くて自転車がすれ違えないんですよう、というような笑いの取り方は普通しないのだ。うむ、増長している。

 江戸っ子の増長は「三代続かなければ江戸っ子じゃない」などという言葉があることからも伺える。考えてみれば、九州であろうが東北であろうが、よそから来た人というのは当たり前によそから来た人であって、やはりある程度の、それこそ爺ちゃんくらいからの歴史がなければ、どこだってそこの地元の人、土着の人、と見なされはしないのである。信州っ子なら長野に引っ越してきた次の日からなれます、などということがあり得るか。つまり、このような普遍的な真理を、江戸、と限定して言ってしまうところに増長があるというのである。「生でバースも見たことないのに、よう阪神ファンや、ていう顔できまんなあ」という言葉と同じである。特権的な意識が感じられないだろうか。あれ、あんまり感じられないか。阪神だからかなあ。

 えい。さらにこんな言葉もある。「江戸っ子は宵越しの銭を持たない」「火事と喧嘩は江戸の華」。ああ、どうだろうこの増長ぶりは。自分たちのダメさ加減を棚に上げておいて土地のせいにしたうえに、あまつさえそれを美徳であるかのように言っているというのは。まるで、「オレ、ダメ人間なんだよねふへへへ」と飲み屋で隣の女性に寄っかかって飲んでいる男の言うことのようである。違ーう。お前はダメな人間であってダメ人間じゃない。周囲大迷惑なのに「それが江戸っ子である」と誇りとともに言いきって反省の色も見えないというのは、客観的に見てどうか。先生に叱られたときに「だって、うちではみんなこうしてます。むしろそれを誇りにしてます。先生の方が変です」と言えば恰好いいようだが、叱られている内容が給食費を全部ガチャガチャに突っ込んでしまった、とか、ニワトリ小屋の後ろで花火をしていて小屋をニワトリごと全焼させた、というのなら、あなたならどっちの味方をするか。ニワトリは可哀想じゃないか。

 さらに、江戸っ子は、熱い風呂に我慢して入るのである。あまつさえ、水を足したりしたら怒りだすのである。これなど、むしろ生活能力不足の最たるものではないか。銭湯は公共の場である。そして公共の場というのはみんなが少しずつ我慢することによって成り立っているのだ。それを自分が熱さの感覚が人よりも上の温度にあるからといって、他人にまで強要する態度というのは、都市生活にはなから向いていないと言われても仕方がないところである。そんなに熱いのが好きなら、自分の家でヤカンにでも入っていやがれ爺。だいたい、湯船に入るときに波を立てるなとはどういう意味だ爺。やっぱりホンマはお前も熱いんやんけ爺。

 そして、私がもっとも疑問を感じるのはこの言葉である。
「江戸っ子は、五月の鯉の吹き流し、口先ばかりではらわたはなし」
 うわああ、便利である。こういうことわざが受け入れられているなら、もう江戸っ子というだけで、何を言ってもいい。先生に向かってハゲ、だの、同級生に向かってチビ、だの、ヘチャムクレ、だの、デブ、だの、近眼、だの何でも言い放題である。なにしろはらわたはない。口先だけで勢いで言ってしまっても、心はないんだから許してね、というのである。そんなはずがあるか。心にまったくなかったらそもそも言えるものか。それに、こういうはっきりした物言いをすることで江戸っ子は絶対溜飲が下がっているはずである。こんなことが許されていいのか。てめえ、教授にキミには反省の色がないから単位はやらん、と言われてみやがれ。恋の告白をしたときにも「でもあなたって口先だけだよね」って言われてみやがれ。

 とまあ、こういうわけなので、私も生まれ変わったらぜひ江戸っ子になってこういうメリットを享受したいと思うのであった。そう、寿司も食えるしね。


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