ビギナーズ・パラドックス

 一般向けの相対性理論の解説書を読んでいると、大抵「双子のパラドックス」というのが出てくる。光速度に近い速さで飛ぶ宇宙船に乗って地球を飛び立った兄と、地球に残った弟では、相対性理論によれば(なにしろ相対的には)立場は同じはずなのに、実際には宇宙船に乗っていった兄の方が若いまま歳をとらない、とされるのはなぜか、これはパラドックスではないのか、という話である。

 中学生くらいで、これをはじめて読んだときに私が感じた気持ちを素直に書くと、
「なにがなんだかわからない」
 であった。そもそも「パラドックス」という言葉に普通の中学生はあまりなじみがないのだが、私にはどうしてこれがパラドックスになるのかわからなかった。それから数年間のうちに何度も本を読み返して、それからよくよく考えてみてやっと、確かに逆説になっていることがわかったのだが、そもそも、相対性理論のことを学ぼうとしている、だから相対性理論にあまりなじみがない人間にこんな話をすること自体間違っていると思う。この「双子のパラドックス」は、タイムマシンに関連して出てくる「父親殺しのパラドックス」などと異なり、結局パラドックスではない、という結論になるのだからなおさらである。

 似たような話に「シュレーディンガーの猫」という話がある。これも、量子力学を解説した科学解説書によく出てくるのだが、やっぱりそういう場に出すのがあまり賢明とはいえない話である。正直言って、今なお納得できないところが残っている。

 量子力学の考え方によれば、電子などの素粒子は、さまざまな状態の可能性を重ね合わせた形で書かれる。たとえばAという状態を三〇パーセント、Bという状態を七〇パーセントの確率でとると言った場合、これは、普通はAかBのどちらかの状態にあるのに、それがどちらかわからないという意味なのだが、量子力学が効力を持つ素粒子などの領域では、この二つの状態を同時にとっていて、この比率で混ぜ合わせたような状態にある、というのである。実際に、AであるかBであるかを決める実験をすると、確率どおり、それぞれが3:7の確率で観測される。しかし、観測される前は、あくまでAとBのどちらでもあるようなのだ。

 要するに、観測される前の電子の状態はどちらでもある、両方を重ねたような状態にある、というのがキモなのである。しかも、そう考えてみようというような話ではなくて、自然界はすべからくそうなっているのだ、というのである。どうしてそんなことがわかったのかと言われると、たとえば電子が自分自身と干渉して縞模様をスクリーンに作るとか、そんな話が背景にあるのだが、ここではあまり深入りしないで、とにかくそうなのである、と書いておく。興味のある人は市販の解説書を読んでみて下さい。

 さあ、はじめてこういう話を聞く人は、ここまでで、いいかげん何がなんだかわからなくなっていることと思う。「シュレーディンガーの猫」は、この状態の読者につきつけられる(ことがよくある)パラドックスなのだ。既に御存知の方には冗長になるが「シュレーディンガーの猫」の話を簡単に解説すると、こういうことである。今、ここに猫が一匹いて、箱の中に入っている。箱は大きくて、電子の状態がAであるかBであるかを測定する装置も一緒に入っている。今、Aであるということが観測されると、自動的に中のモーターが動いて、置いてあるガラス瓶を割る。ガラス瓶の中には強力な毒ガスが入っていて、それを吸うと猫は死ぬ。

 さてここからである。観測される前は電子の状態はどちらでもある、と書いた。観測というのは、人間が測定器を覗いて、どちらであるかを確認することである。今、測定器は全部箱の中に入っていて、見えない。とすると、電子はまだ人間によって観測されていない、と考えることもできるわけだ。つまり、電子はまだAとBを重ね合わせた状態にある。だから、観測器は電子の状態に従って、Aを観測した装置とBを観測した装置を重ね合わせたものになっているはずである。さらに、毒の入った瓶は、割れている状態と、割れていない状態を重ね合わせたものでもある。もっと言えば、毒ガスを吸って死んでしまった猫と、まだ生きていて昼寝をしている猫を重ね合わせた猫が中に「重なった状態で」存在していることになるのである。

 で、それがどうしたというのだろう、と私は思ったのだ。そうではいけないのだろうか。そもそも電子だって、今まで思っていたのとは違って、異なる状態の重ね合わせなのだ、という理解しがたくて受け入れがたい話をいま聞いたばかりなのである。猫が重なった状態であっていけないわけなんかあるだろうか。箱の中の猫は、死んでいるのと生きているのが重なっている。箱を開けると、それがぱっとどちらかの状態に決定されて、我々は「死んでいる猫」か「生きている猫」のどちらかをそこに見ることになる。それでいいじゃないか。

 もちろん、たいていの解説書には、そうではないのだ、実は観測器に電子の状態の観測がかかった時点で状態の収束が起こるので、箱の中の猫はやっぱり、死んでいるか生きているかのどっちかなのだ、ということが続いて書かれているわけだが(ややこしいことに、本当を言えばここにもまだ議論の余地があるらしい)、どうも重なった猫に疑問を抱けない以上、この結論にも納得できないわけなのである。

 まとめよう。初心者には今説明しようとしている理論が抱えるパラドックスを語ってはいけない。疑問点をはっきりさせてくれるパラドックスが逆に理解の妨げとなるからである。うーむ、これもまた一つのパラドックスであるな。


トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧へ][△次を読む