カレー体質というのか、カレー運がいいというのか、世の中にはときどきそういう人がいて、彼はもう、カレーばかり食べている。必ずしもカレーが好きなわけではないのだが、近所においしいカレー屋があるとか、社員食堂でどうにか食べるに値する料理がカレーくらいしかないとか、自炊のレパートリーが少なくてついカレーになってしまうとかで、カレーばかり食べているのである。とにかく気がついたらカレーを食べているので、こうなると、もはやカレーがカレーを呼ぶ。友達の家にゆけばカレーをご馳走になるし、キャンプに行けば夕食のメニューはカレーである。駅にいてお腹が空いていて電車の時間までまだ一五分ある、とふと見ればそこにカレー屋があり、たまたま寄ったコンビニにはカレーパンしかなかったりする。
カレーというのはおかしなもので、作っていてよほどこっぴどいミスをしないかぎり、まずくて食べられないなどということはあまりない。実際これまで、カレーがまずくて食べられなかったというのはあとにもさきにも一回きり、小学校の五年生の時に家族で行ったキャンプで母親が作ったものだけである。今でも思い出して身震いするほどだが、あれは、おいしくなかった。というよりも、カレーではなかった。そのことを私たちが口々に責めたので、母はついに帰りの自動車の中で一言も口をきかなかったくらいである。失敗をとがめられたからといって、すねてはいけないと思う。
カレーはつまり、それほど失敗しにくい料理なのである。それどころか、煮物を作っていても、野菜炒めを作っていても、味付けに失敗したと思ったらカレー味にすると、なぜか窮地から脱せてしまうことがある。「マーフィーの法則」の一つに「失敗した料理は何を加えてもまずくなるだけ」というものがあるが、この法則を唱えた人はカレーを知らないのだと思う。さらに、ことわざに「だんだんよくなるホッケのカレー」などと言われるように、作った次の日に残りを食べてあんなにうまいものは、あとは「おでん」くらいのもので、残しても次の日持て余すということがない。一人暮らしの自炊のメニューとしても理想的なのである。
カレーに慣れてくる、ということなのだろうか。こうなると選択肢を与えられたときでも、カレーが好きというわけでもないのに、なぜかカレーを選ぶことが多くなってしまう。食堂に座ってメニューを見て、なんにするか、丼か、そばか、と悩んだときに、カレーを選んでしまうのである。ちょうど、居酒屋で聞いたことがない地酒が二十本ほど並んでいると、故郷の県の名前が入った酒を選んでしまうのと同じ心理かもしれない。わけの分からない名前のついた料理がずらずらと並んでいる中で、最後に「カレー」とあったときの安心感はどうだろうか。たとえば「木の芽そば」などと言われても、何が出てくるのかさっぱりわからないが「カレーライス」なら安心だ。カレーは裏切らない。おダシは関西風ですか、などと聞かなくても大丈夫だ。
カレーに限らず、レストランに入る前から今日はこの料理を食うのだ食いたいのだと方針が決まっていると、あなたも試してみて欲しいのだが、それはもう心安らかなものである。しかも、俺は絶対に「ひつまぶし」を食べるのだ、というような、こう言ってはなんだがとっぴな方針と違い、カレーには普遍的な存在であるという安心感がある。出張しても観光地に行っても、喫茶店なり軽食堂なりそば屋なり海の家なりで、カレーを出す店がないなどということはまずないので、どこへ行ってもカレーと言っておけば注文が通るのだ。
カレーというのは日本で再解釈されたものであり、発祥の地であるインドとは全く違ったものをカレーと呼んでいる、ということがよく言われる。外国で、日本のもののつもりでカレーというとひどい目にあう、と。しかし、私のそれほど豊かではない経験から言うと、これは真実ではあるが、真実の全てではない。インド料理店でメニューのカレーのところを見ると、さまざまなカレーが載っている。そのすべてが日本のカレーかというとそれはもちろん違う。しかし、そのうちどれか、少なくとも一つは、言いきってしまってほとんど大丈夫だと思うが、日本のカレーと同じような味がするのである。だいたい、レッドカレーとかグリーンカレーとかイエローカレーとか色の名前がついているのだが、でもってピンクカレーとかブルーカレーとかいうのは見たことがないのだがもちろんどこかにはあるのかもしれないのだがそんないい加減なことを書くとインドの人に叱られるのだが、これらは名前の通り赤と緑と黄色をしていて、このうちどれかはご飯にかけてカレーライスにするとたいへんうまい。ただし、見た目が日本のカレーに近くなる黄色が、味に関して言うと一番かけ離れたものになることが多かったように思う。とにかく、外国でラーメンを注文するよりは、外国でカレーを注文してカレーライスができる可能性の方が、高いようなのである。すまん、ちょっとここだけは絶対の自信はない。
カレーはさらに、なんとなく栄養のバランスがとれているような気がする。なにしろインド人はカレーばかり食べているのだ。もっとも、これはちょっと大げさでもあって、つまりこれは「相撲取りはちゃんこばかり食べている」のと同じで、相撲取りはいわゆる「ちゃんこ鍋」ばかり食べているという意味ではなく、相撲業界の隠語で、ご飯のことを「ちゃんこ」というのだそうで、相撲取りには牛丼もカレーもちゃんこなのだそうである。ちゃんこちゃんこの味の素。よし。よくはないが、要するにインドではいろんなものをカレーと呼んでいるという事情があるのかもしれない。ともかく、日本のカレーに話を絞っても、野菜はわりと多量に種類もさまざま入っているし、サラダを付けることが多いから、たとえば牛丼やスパゲティなんかにくらべると栄養の偏りは少なさそうだ。ただ、ご飯をあまり噛まないので消化に良くないような気は、いつもしている。
カレーばかり食べているとどうなるかというと、だんだんカレーに目が肥えてくるようになる。といっても、ワインや紅茶などの嗜好品と違ってあくまでカレーは質実剛健なバルクな糧となる身のある食べ物なので、カレーは生き物なんだうまく育ててやらないと死んでしまう、とか、イギリス以外でこんなうまいカレーは食べられないと思っていたよワトソン君、とかといいだすのかというと、ありがたや、そうではない。まずいカレーはまずいカレーなりに依然として食べているのだが、うまいカレーのありかが、なんとなく分かってくるようになるのだ。こうなると、知らない街でカレーに迷うようなことはない。無意識にカレーがおいしい店に入って、カレーを注文しているようになる。そうしてますます人はカレーばかり食べるようになってゆくのである。
カレー体質に、一度なってしまった人は、このように広く開かれたカレーの道を、どんどん辿ってゆくことは想像に難くない。この道は後戻りできないのである。世界はこうしてカレー一色に染まってゆくのだ。カレーの世界征服計画は順調に進行していると言えるだろう。ところで、私の家の今晩のメニューだが、いま口のなかに大きな口内炎ができているので、カレーを食べたりすると、傷口にシミてたいへんに痛いということを思い出し、急遽ハッシュドビーフに変更したところである。なんだ、意外に一貫性がないのか、カレー体質。