二月二九日(火)

 帰り道、ビールを買った酒屋のおばさんに指摘されて見てみると、コートに点々と血がついている。手のひらをためつすがめつしてみて、ようやく指を怪我していることに気がついた。右手の小指の、指先から数えて一番目と二番目の関節のあいだを輪切りにするように、十ミリほど、薄い刃物ですっぱり切ったような傷が付いている。皮一枚より少し深いだけの、浅い傷ではあるが、出血はどうしてまだ続いていて、いつかな止まる気配もない。酒屋のレジの前で慌てていると、おばさんが、親切なのか不親切なのか、セロハンテープを五センチほどくれたので、巻いて帰ることにした。それまで気がつきもしなかった癖に、傷を意識すると途端にしくしくと傷口が痛みはじめるから、不思議である。

 つまり、かまいたち、であろう。この傷は、状況から言って、まさにかまいたちが作ったような傷である。もちろんかまいたちというのは想像上の物の怪である。鼬の腕が鋭い鎌になったような姿で描かれることがあるが、昔の人の想像を忠実になぞるなら、それほどなまなましい実体は持たない、言葉で表せば「風の精」のような、実在感の薄い存在であるような気がする。余談だが、誰が言いだしたものやら、かまいたち現象とは、風の渦が作る一時的な真空状態に触れて皮膚が破れるのが原因だ、というまことしやかな説明があってあまりにも広く流布しているので、ファンタジー系ロールプレイングゲームには大抵「強い風を起こして、風の作る真空の刃で敵を攻撃する」という呪文が設定されているほどだが、よく考えてみると、どう考えてもちょっとした風の渦くらいで真空状態が発生するとは思えないし、その真空に触れたからといってこれほど見事にすぱりと切れる原因にはなりそうもない。やはり、自分で指をどこかで引っかけて切ったことに、寒さのあまり感覚が麻痺して気がつかない、というのが真相だろう。

 全国に通じるかどうか、「さくい」という言葉がある。関西で初めて聞いたこの修飾語は、繊維質で簡単にばらばらになるような物体を形容して使われる。思い出してみると、父は、実に「さくい」手を持つ人だった。ある種の皮膚病なのかもしれない。手指の皮膚が、なんということもないのに一センチほどの長さで裂け目ができ、そこから血が流れ出るのだ。皮膚の、もともとの属性である柔軟性がすっかり失われて、乾き、固くなって、あるとき二つに裂ける。放っておくと、裂けた皮膚の傷が広がって、そのままぷっつりと、指先ごと落ちそうなイメージがあって、恐ろしい。

 父は、なにを思ってか、そうした傷が新たに生じるたびに、しばしば家族にその傷を見せに来たものである。嫌でたまらなかった。他人の傷を見ることが楽しいわけはないから当たり前だが、どちらかというと、家庭を背負って立っている父への感謝をあらわにする言葉を持たず、ただそうした罪悪感を自分の内部にため込まざるを得なかったという経験が、自分への嫌悪となって、嫌な思い出として記憶されているのかもしれない。「風の谷のナウシカ」という有名なアニメに、似たような話があって、風の谷に住む老人が、毒によってむしばまれた手を見せ、それでも主人公ナウシカはこの醜い手を「働き者の手だ」といって賛美してくれるのだ、と楽しそうに話すのだが、そういうふうに接するべきではなかったかと、今になって思ったりもする。やはりナウシカになるのは、難しい。

 そして、そんなに嫌だったのに、同じような症状を自分で経験してみると、驚くべし、やはり誰かに見せたいという衝動が胸を突くのを感じる。こんなに見事に割れて、という驚きと、さしたる痛みではないがいわれのないこの傷に同情して欲しいというかすかな甘ったれた感情が、他人に自分の傷のことを話題にせよとせき立てるのである。そこまで分かっているのならじっと我慢していればいいようなものだが、こうして文章で書いてしまうというのは、こらえ性のないことだと、自分でも思う。

 それにしても、今回に限らず、怪我をしてもそのことにしばらく気がつかないことが、いつの頃からか、多くなった。改めてしげしげと見てみると、手足の皮膚は、記憶の中の幼い自分に比べていかにも固く厚くなっているように思える。それゆえにありとあらゆる感覚が、知らない間に鈍くゆるやかになってきているということはあるかもしれない。大音量で音楽が奏でられている店舗などを出てしばらく、耳がぼうっとしびれたような、または耳の周りをなにか感覚外の柔らかい綿毛によって取り囲まれているような、そんな妙な感じを覚えることがある。皮膚の感覚も、変化が急ではないから気がつかないだけで、降り積もる皮膚の厚みとともに、わずかずつ、世界との距離が広がっている、ということでもあるのだろう。耳も目も、精度は悪くなる一方である。こうして、あらゆる感覚が海鳴りのように、遠く、遠く去っていったその時、今この文章を書きつづりつつある思考する存在は、少なくとも他の世界にとって、存在を停止するのだろう。その到来を恐れるように、しかしある意味では早めるように、買ってきた缶ビールを開け、胃に流し込む。

 そして、流し込んだビールが、この文章をここで断ち切る。


トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧へ][△次を読む