国籍不明のパステル調の部屋の内側を描いた、書き割りの背景。画面中央に、三十歳くらいの男が一人、辺りを見回しながらぼうっと立っている。男の右側には、腰の高さくらいのカウンター。その上を、わざとらしく上下に揺れながら、しかし全体の印象としては滑るように、デフォルメした犬とおぼしい操り人形が、男に近づいてゆく。どこからか、声。
「おにいさん、おにいさんっ。たいへんなんだよ、おにいさん」
男は慌てて辺りを見回し、カウンターの上にいる人形に気がつく。
「え…何だこりゃ」
低い声でそういう男に構わず、発生源不明の声は続ける。
「どうかんがえても、へんなんだよ。おしえてよ」
男は人形を無視して、声の聞こえた辺りへ向けて、言う。
「参ったな。えと、あの、これはいったい、何なんですか」
「おにいさん、これをみてよ」
人形はかまわず右手を男に向かって差し伸べる。長さ十五センチ幅四センチくらいの、銀色の直方体の物体が、人形の手には取り付けられている。男は思わず、その物体に目をやる。
「携帯電話…、いや、PHSか」
「そうなんだよおにいさん。このでんわ、じゅうでんきのうえにのせてじゅうでんするんだけど」
我が意を得たりとばかりに続ける声。人形の口が、声に合わせて不器用にぱくぱくする。さらに「だけど」の所で首を回し、人形が男の方を見るような操作もされる。
「はあ」
気の抜けた返事をする男。
「じゅうでんきにも、このでんわにも、ぜんぜんでんきょくがないんだ。どうやってじゅうでんしているんだろう」
初めて人形の言うことがわかった、とばかりに、はた、と考え込む男。こわごわと手を伸ばす。人形もPHSの貼り付けられた手を差し伸べる。
「電極か、ううん、無いな確かに」
両面テープで人形の手に留められていた電話機を外した男は、ためつすがめつして見ながら考え込む。電話機の底面は、確かにつるっとしたプラスチック製だ。
「充電器は」
と、人形に向かって言いかけた男を遮るように、一度カウンターの後ろに引っ込んだ人形が、グレー一色のプラスチックでできた小さな台を、人形の両手で不器用に支えて持ってくる。カウンターの上に、ごとんと置く。その台の上に、PHSを置いてみる男。小さな電子音がして、アンテナの横にぴかりと赤いランプが点灯する。
「充電中。なるほど」
「ね、へんでしょう。ぷらすちっくにはでんきはながれないよね、おにいさん」
「あ、ああ、確かに」
と答えてから、人形と話をしているという異常さに気がついたように、男はまたきょろきょろする。
「どうしてなんだろう。おしえてよ、おにいさん」
「えっ、どうしてと、言われても」
男は、しばらく考えていたが、ジャケットの懐をごそごそと探る。金融業のものらしい、ティッシュが見つかる。男は一枚ティッシュを抜き取ると、台の上のPHSを持ち上げ、台とPHSの間に紙を挟んで、置いてみる。電子音。赤ランプ。充電中。
「あっ、すごいや、おにいさん。かみをはさんでも、ちゃんとじゅうでんするんだね」
「そ、そうだな」
男はやっとそれだけ答える。
「でも、これってつまり、どういうことなんだろう」
「あ、いや、その、つまり」
男はしどろもどろになったあと、ごくりと唾を飲み込んで、言った。
「プラスチックに見えるけども、実は導電体かもしれんと思って」
「なるほどっ」
声が遮る。
「かみはでんきをとおさないから、かみをはさめば、ほんとうにでんきょくなんかない、ってことが、わかるんだね」
不審げに、しかしうなずく、男。
「それで、つぎはどうするの、おにいさん」
「…アルミフォイルか何かを」
しばらくPHSを上げ下げしていた男が、ぽつりとそう言う。人形がまたカウンターの向こうにひっこみ、さっとアルミフォイル巻きを携えて現れる。
「はい、おにいさん。あるみふぉいる」
「あ、ああ」
受け取った男は、アルミフォイルを十センチほど取り出して切ると、紙と同じように電話機と充電器の間に挟み込む。アルミフォイルが固いのか、ぐっと押さえる男。電話機は充電器の根元まで押し込まれるが、電子音も、ランプの光も、訪れない。突然の声。
「へえー、はさむのがあるみふぉいるだと、じゅうでんされなくなるんだ」
手を叩く人形。
「どうしてなんだろう」
と、人形はそういうと、プラスチックの目で、男をじっと見つめる。
「あ、ああ」
男は虚を突かれたように考え込む。充電器を覆うアルミフォイルの上で、PHSを持ち上げたり落としたりするが、何事も起こらない。
「その、つまり」
「どうしたの、おにいさん」
せかすように、声。男の額に汗が一筋流れる。
「紙を通して、アルミフォイルだと止まる、ええと」
と、そこまで言って期待するような目つきで人形を見る男。人形は目をぎょろり、と動かす。
「わからないの、おにいさん」
「あ、ああ」
がくがくと、うなずく男。人形の「目」にじっと見つめられて、おどおどとした目で見返す。汗がひどい。震える声を振り絞って、
「そ、そうだね。ど、どういうことなんだか、お兄さん、わからないよ」
そういった男の言葉を、冷たい声が遮る。
「…わからない。それじゃあ、おまえも、やっぱり、おにいさんじゃ、ないんだね」
突然人形の口が耳元まで裂け、逃げる間もあらばこそ、真っ赤に染まった男の視界に最後に映ったのは、その広がった人形の口の奥まで続く鋭い牙、牙、牙の列…。