大西雇われる

 いいことなのか、それとも悪いことなのか、大学というところは、たとえ真面目に勉強しようと思ってそこにいたとしても、どういうわけか時間が余るようにできている。もちろん建前を言えば、元来余ったなどと考えるのが間違いであって、何かを志した瞬間からその人間には暇な時間などないのである。一意専心、自分のすべてを傾ければ、なんであれ、そしてどんな人間だってひとかどの人物になれるはずなのだ。なのだ。なのだが、よく考えてみるとそもそもそういう人間はこんなところにこんなことを書いてはいないのであって、結果から言うと大学生の私は余った時間のかなりの部分を、アルバイトで切り売りしてお金に交換してしまった。頭脳よりも肉体を使うものが多かったそれらアルバイトで、私が流した汗と得た賃金がいかほどのものであったとしても、それらは十年近くが経過した今、なんの痕跡も残さずに消えてしまってもうない。

 もしも残ったものがあるとすれば、アルバイトを通じて得たさまざまな経験だろう。「数百個のペンキ缶に『バーントアンバー』と書かれたシールをずれないように貼る」「スーパーの陳列棚で、レタスにスプレーを使って水をかける」などという仕事は、今後の人生に役に立つかどうかは別としても、求めてもなかなかできない経験には違いなく、そしてもちろん、これまで知らなかった「お金のありがたみ」を学生のうちに知っておくことは一般には必ずしも悪いことではない。ただ、少なくとも私の場合、いわゆる「バブル期」に学生時代を過ごしたせいか、労働をして対価を得ることは意外に簡単である、という印象を受けてしまったのはたいへんよろしくなかった。一般に、学生にはあまり金をやってはいけないと思う。

 さて、私の場合、勤めたアルバイトのほとんどは何らかの知人の紹介があっての、つまり縁故採用によるものだったのだが、新しいアルバイトのたびに、必ず「履歴書」を書かされたのは、当時から妙な話だと思っていた。どうして履歴書なるものが必要なのかといえば、アルバイトなどを雇う場合、相手がどのような人間なのかをあらかじめ雇用者が知っておき、採用不採用を決めたり、採用してからの人材運用法を考える助けに使うということだろう。しかし、今の場合、まずもって縁故採用なのだから私の素性は最初からわかっているし、さらに縁故採用なので採用であることもすでに確定している。つまり、履歴書が必要な理由がいまひとつよくわからないのだ。

 結局、帳簿や税金などに関連して、アルバイトを雇う企業としては形式上どうしても必要になるということなのだとは思うが、採用の資料にしようと思って集めていないからか、あるいは正社員ではなくひと夏のアルバイトだからか、この空欄を埋めてくるようにと渡された履歴書は、いかにも意味がなさそうなものだった。設問を見ていると、もっと他に聞くべきことがあるのではないか、と思ってしまうのである。

 まずは、本名、現住所、連絡先、これは人を雇うとなったら確かに必要だろう。生年月日、満年齢、性別も、まあ、どうでもいいことではない。学歴や賞罰、資格は、たとえば「返品された数百缶のペンキをオケにあける」などという仕事にはさほど役に立っていないと思うが、聞きたくなる気持ちはわかる。しかし、どんな仕事であれ、そもそも「特技」なぞを聞いていったいどうしようというのか。私の特技というと、そういえば座布団を片手の指先でくるくる回せるのだが、これは書いといたほうがいいのだろうか。

 で、特技で悩んだ次にあるのが「得意な科目」「不得意な科目」という項目なのである。途方に暮れてしまう。こういう意図がわからない質問というのはひどく不安になるものなのだ。雇用者は、私の得意科目を聞いてなんに使おうと言うのだろうか。いや、この履歴書はべつに今回の雇い主が作ったものではなくて、なんらかの規格にのっとったものをコピーして使っているのだとは思うのだが、それでは一般に、人を評価する場合得意科目がどういう意味をもつというのか。だいたい、言葉の厳密な意味でこれは「履歴」ではない。

 本来、履歴書というものが、どういう人が記入することを想定して作られるべきかというと、第一にはやはり何かの学校を卒業して、働きはじめる人だと思う。学徒ではなく、社会人のためのものなのだ。そして、得意不得意教科というのは、いったん学校を出てしまうと、実はあまり意味があることではない。私は高校生の時数学や物理、化学などが得意で、反面日本史のテストでは常に落第ギリギリの点数を取っていた。ところが、ではいまだに日本史に苦手意識を持っているかというとそんなことはない。歴史物の小説は好きだし、そういう知識が必要になったときに、たとえ覚えていないとしても、どこを調べたらいいかは既に知っていてそれで何の問題もない。「かつて不得意だった科目」ならともかく「不得意な科目」として日本史を挙げるのは、どうも間違っている気がするのである。

 といって「科目」と書いてあるからには、「猫」だの「牛丼」だの、あるいは「ラジオ体操」とか「国民年金のしくみ」ではなくて、やはり国語算数理科社会といった、存在する授業の名前から選べということになってしまう。何を書くべきだろうか。さきの四つに「英語」ぐらいは入れてもいいだろうが「音楽」や「美術」はどうか。それはむしろ特技のほうに入りそうである。「技術」「家庭」は、業種によっては役には立ちそうだが得意科目という設問からは既にずれはじめている。「体育」、それはあなた単に体力があるだけではないか。「給食」、わかるけど、残念ながら科目ではない。「保健」、困ったからといって安易にシモネタに走るのはよくないことだ。

 私は「特技」のところに「そろばん五級」と、ほとんど詐欺のようなことを書いてから、五分ほどあれこれ悩んだ後、結局、得意科目に「原子核物理学」、不得意科目に「物理数学第三」と書いて、提出した。確かに当時、大学での得意不得意科目をまじめに考えると、そういう答えが出たのだったが、今思うと「第三」はいくらなんでも狙い過ぎではなかったかと思う。なにしろ、かの授業ときたら、合格者がクラスの五パーセントくらいしか出ないことで有名な科目だったのだ。得意とか不得意ということとは、ちょっと違うと思うのである。


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