夢の手帳

 大学生の時、暇でしかたがなかったので、眠るとき、枕元にワープロやノートパソコンを置いておき、目が覚めたら今見た夢の内容を書き留めておく、ということをよくやっていた。そうして数年もつけた夢日記を読み返してみると、夢の内容が、あくまで平均としてだが、単純なものから、だんだんストーリー性のある、複雑なものになってゆくようだ。どうも夢日記をつけることそのものが原因としか思えないのだが、あるいは、単に夢を覚えておき、書き留める技術が向上しているだけのことかもしれない。夢はあまりにもバラエティに富んでいるので、まるでもう一つの人生を生きているようなものでもある。ただ、眠りの深浅や私の精神の健康にとって、それがいいことなのか、悪いことなのかはわからない。自分の精神のうちに自らを沈めてゆき自己中毒するような、不健康な行為であるような気もする。ともあれ、以下は、それらを抜粋したものである。

●九一年一〇月三一日
 宇宙飛行士として選ばれた私が、最後の休暇を実家で過ごすために家に戻ってきている。私の乗る惑星探査船は、火星によるフライバイを行い、問題がなければ木星に向かって足を延ばす。出発地はオーストラリアにある国連宇宙軍の宇宙港。そこにこれから各国から同乗者が集合し、一ヶ月後に出発となる。私も数日前までそこにいたのだが、同じオフィスで働く黒人のお姉さんに、宇宙空間から振り込みで返すよ、と嘘をついて、2万円借りて、切符を買って、日本に帰ってきたのだ。
 そしてその休日も終わり、いよいよ出発の慌ただしい朝。お母さんに早くて一年半、たぶん三年以上帰れないかも、そして今度は生きては帰れないかも、と告げる。お母さんは悲しそうに笑う。三年経てばいろいろ変わるだろうね、とくに、すっかり年老いた猫のユキとはもう会えないかも知れない。と思う。早く行かなければ、オーストラリア行きの飛行機に間に合わなくって、搭乗者リストから削られてしまうから、と言い残して、玄関を出る。母親が、何も言わず、ただ猫を抱きしめて、私を見送っている。

●九二年九月二〇日
 異星人来襲。この異形の生命は、首がなく大きなひとつ目で、手足はひょろ長く常に集団で一列縦隊で移動する。一週間前、地球全土の都市部に降下した彼らは、たちまち大都市を死の街に変えた。抵抗を続ける部隊や自警団を、主として数の論理で制圧しながら、地方に向かって侵攻の手を伸ばしてきている。そして、いよいよ我が故郷に彼らの先兵がやってくると聞いて、父は消防団とともに、それらを迎え撃ちに出掛けて行く。まだ小さい私は、弟達を集め、家のベランダに立って、遠く、隣町との境の峠を見ていると、白っぽいそいつらがぞろぞろとやって来るのが見える。いてもたってもいられず、私は金属バットをつかむと、彼らを少しでも減らすべく、峠の方向に向かって自転車を飛ばす。突然戦場となった町に、少人数で入り込んだやつらを待ち伏せて、頭のあるあたりに向けてバットを振り下ろすのだ。一匹、二匹、落ち着いて狙いを定めたバットは的確に異星人兵士をとらえる。これは意外に何とかなるのかもしれない、と次の敵を探す私の足もとで、倒れていた異星人が突然、牙のある口を開く。

●九二年一一月三日
 私は侵入した工作員で、田舎の小さな駅のホームに立っている。と、足もとへの弾着で、突如自分がどこかから狙撃されていることを知る。田舎である。狙撃に使える場所はそんなに数はない。ほどなく、近くのビルの屋上からライフルでこちらを狙うスナイパーを認める。ただ狙いが甘いことが救いとなって、数発の着弾を辛くも避けてホームの障害物の影に隠れることに成功する。上着の下、肩からつるしたホルスターにはリボルバーの拳銃が一丁きり。同じように物陰に隠れた仲間の女性工作員がギターケースを開けてサブマシンガンを取り出すが、距離があり、こんな銃では応戦など思いもよらない。
 突然、薄暗いホームに、まったく予想していなかった方向から眩しいサーチライトの光が当てられ、サブマシンガンを手に物陰から狙撃手の様子を窺っていた仲間が銃弾を喰らって倒れる。私はかろうじてホームの下に転がり込み、弾をかわす。見回すと、別動隊がレールの上を走ってこちらに来る。手にごつい軍用銃をもっている。こんな銃で撃たれたら、顔もわからないほどに吹っ飛ばされてしまうだろう。もはや逃げ道なく、立ち尽くす私に、敵はいやに近くまでやって来て、いたぶるように銃口を上げる。私は拳銃を抜くと、ダッシュして隠れ場所から飛び出し、銃身の懐に飛び込む。こうなったら一人でも、道連れにしてやる。

●九五年四月二三日
 複雑なビルの中、或いはガラスの塔。暴れ、隙あらば逃げようとする男を拘束して歩いている。階段を歩いて一階登り、《組織》の処理班の扉を見つける。歯医者のような精神分析医のような、長椅子の並ぶ部屋で、綺麗に整頓されていながら得体の知れない数多くの品物が放置してあったりもする。しばらく待つと、白衣を着た老年の博士と女性の助手が現れる。
「捜査官の大西です。アンドロイド『濱田洋三』を連行しました」
 老博士は濱田(いや、彼に化けたアンドロイド)に手早く処置を施し、体を麻痺させると、彼の体を長椅子に横たえ、尋問し始める。
「以前の記憶は。自分がアンドロイドだという認識はあるか。目的は聞かされているか」
 この複製体とでもいうべきアンドロイドの肉体を形作っている人工プロテインは《組織》及び全世界の科学者によって研究が進められている。それによればこの手の複製体は、外部からの刺激でその本性を現すまで元の人間と寸分違わぬ記憶を持ち、完全になりきって行動する。たったひとつ、人間と異なる点は、かれらの肉体に、安全装置としてある遺伝的な「しかけ」がほどこされている点である。体を構成する蛋白質は、ある微量元素が欠乏すると、自己崩壊をはじめるのだ。
「信じられないだろうが、ここから逃げても、お前はもう助からない。我々が微量元素を補充しないかぎり」
 そう告げて、尋問を続ける博士と助手。一息ついた私が、ふと痛みを感じて見れば、自分の手のひらのしわにも多数の細い傷ができていて、血がにじんでいる。そういえば最近手が荒れている、と手を裏返して甲を見る。やはり多数の傷。血の跡。
「おまえの体はそのままでは数ヶ月で崩壊をはじめるのだ」
 ひょっとしておれも複製体ではないのだろうか?

●九五年七月二五日
 遠くに落とされた核兵器によって、滅びつつある世界。婚約者の手を引いて人波に逆らって歩いている。二人の安全のために、生き延びるために、どうでもこの先に行かなければならない。ふと人通りが途絶え、見上げるとラジオの放送局のあるビル。無人と思いきや、ちゃんと明かりがつき、放送を行っている。私たち二人は、そこで一休みするために中に入る。
 数人の技術者と共に放送局に残っていた女性アナウンサーが語ったところによると、もう逃げられっこないので、残って放送を続けることにしたらしい。なにか私の婚約者が彼女と「彼にこの指輪買ってもらったらすぐ経済が崩壊して云々」とのろけのような愚痴のような雑談をはじめている。私たちが婚約している旨を話すと、責任者らしい人が、この世界にもまだ、そんなカップルがいることは放送せねばと、原稿を手早く作り始める。
「この指輪についている石、何て言う名前なんだろう」
「そりゃ、ざくろ石とかいうんじゃなかったでしたっけ」
 あまり美しそうではない、と笑う。責任者の人は、ふと顔を上げて私を見て、
「こんなときに恋人があるのはいいな」
 という。私は、
「いや、心配しないといけない対象が一人増えるわけで、そうとばかりは言えないと思いますよ」
 と、ちょっと照れながら、答える。

●九七年一二月二二日
 敵の新兵器か、はたまた超自然的存在か、スラム街にひそむ我々小隊のところに、身長三メートルはある巨大な猫がやって来る。スラム街の家を一つ一つしらみつぶしにして蹂躙して歩いているのだ。街角では一斉に猫達が逃げ出している。どこに住んでいたのか、いろんな名前のついた飼い猫や、半野良猫たちが、巨大猫から逃げるように走り去ってゆくのだ。ただ、幾匹か逃げ出さないで残っている猫もいるようだ。本当にかわいがられているそんな猫たちは、巨大猫に、ここへは来ないでください、と言う。そうすると、巨猫はうなずいて、次の家に向かう。
 私は、そんな飼い猫の一匹の首をつかんで捕まえ、自分の缶詰めを開けて食べさせながら、言い聞かせる。
「いいか、巨大猫が来たら、おっぱらうんだぞ、頼むぞ」
 やがて、巨猫と呼応するように、敵の部隊の襲撃が始まる。銃声。必死に防戦するわれわれ。支援はなにもなく、わずかに残った擲弾筒から小さな榴弾がぽんぽんと打ち上げられるが、あまり効果があるように見えない。と、打ち上げ花火に引き寄せられるように、さっきの巨大猫が戻って来て、あっというまもなく、障害物を挟んで対峙している敵味方関係なくがしがしと爪にかけはじめる。私は部下を引き連れて裏口から逃げ出そうとするが、巨大猫がこっちにやって来る。私は、震えながらさっき捕まえた猫を巨猫に向かって突きだす。
「いい人です。この人たちは、いいひとです」
 私の手の中で、猫が歌うようにそういう。巨大猫はうなずくと、こう言った。
「では、誓え」
 吼えるような、しかし、やはり歌うような声。猫はみんな、しゃべるとき歌うようにしゃべるんだな、と妙に納得する。
「もう嘘はけっしてつかないと。他人を陥れるような、罪のある嘘はけっしてつかないと」
 呆然としながら、誓った私に背を向けて、巨大猫は去ってゆく。


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