乳流れる河へ

 私が生まれた家から、自動車で北へ二時間ほどゆくと「出石」という町に着く。いずし、と読むのだが、この小さな城下町は、古くからの町並みや檣楼、城址といった旧跡のほかに、うまい蕎麦そばの産地であることをもって、大きな観光資源としている。城主の国代わりに関連した由来がなにやらあったかと思うのだが、関西では一般に蕎麦よりもうどん食がさかんであるから、おいしい蕎麦というのはそれだけで名物となる。いまや、とにかく町を挙げて蕎麦を作っているような町となっている。

 父は、昔から蕎麦が食べられない体質であった。普段は、父のためだけに別の料理を作る、というわけにもちょっといかないものだから、単にうちでは蕎麦は食べない、ということになるわけだが(だから、年越しに食べるものはいつも「うどん」だった)、あるとき、家族でこの出石への小旅行をしたことがあって、このときばかりは、さすがに他の家族は蕎麦を注文することになった。はるばる出石までやってきておきながら、ひとりうどんを食べる父の心中は、いかばかりであったろうか。なにしろ、父のためにわざわざ「申し訳ありませんが、うどんの分は、くれぐれも茹で汁を蕎麦と別にして下さい」と頼まなければならないほどである。蕎麦アレルギーというのは、誠に厄介なものだ。

 父も、人生のある一瞬、高校生くらいまでは、何ということもなく蕎麦を食べていたのだそうである。この手のアレルギーが遺伝するものなのかどうかわからないが、花粉症がそうであるように、私の内部にある「蕎麦キャパシティ」を超えてさらに蕎麦を一口すすったそのとき、突如として私もまた蕎麦を食べられない体質になってしまうのかもしれない。私は大学生時代のひと夏、昼ご飯に毎日ざるそばを食べていた時期があって、もしも私もまた蕎麦アレルギーをいくぶんか受け継いでいるとすれば、よくわからないが「いっぱいいっぱい」になる時期はもう目前に迫っているのかもしれない。私は、ある機会をとらえて、その時が来たら、どうすればいいのか、何が前兆となるのか、父に聞いてみることにした。

「なあ、お父さん、蕎麦のアレルギーになったときって、どんな感じやった。今もし、食べたらどないなんのん」
 どこかが痺れたり、ジンマシンが出たり、といった症状があるのだろうか。それとも、いきなり倒れてしまったりするのだろうか。昼ご飯の席、夏の定番昼食の、そうめんを食べながら、父がよこした答えは、こうだった。
「さあ、知らん」
「知らんって、ああ、そうか、そら、わからんわな。食べてへんねんもんな」
 当たり前である。どうなるかわからなくて、怖いから食べてないのだ。なるほど。
「やっぱり、ジンマシンとか出んねやろなあ」
 父は、なんだかおかしいぞ、という顔で、私の方を見た。きょとん、と音がしてもいいくらいであった。
「…いや、待て。わし、蕎麦アレルギーとちゃうど」
「ええっ、蕎麦、食べられへんて、言うとったやんか。前に出石に行ったときも」
「食べられへんけど、別にアレルギーというわけや、ないんや」
 驚いた。

 気を取り直してちゃんと聞いてみると、物心ついてこのかた、四半世紀くらいそうだと信じ込んでいたのに、父は、いわゆる「蕎麦アレルギー」とは、違うらしいのである。ではなにかというと、言ってしまえば、好き嫌いの延長線上にあるもののようだ。ある夏、高校生だった父は、炎天下での過酷な一日の後で、冷たい蕎麦を一気にすすり込んで、苦しさのあまりばったりと倒れてしまった。胃ケイレンかなにかだろうか。とにかく、それ以来、どうにもこうにも蕎麦を嫌いになってしまい、食べることができないのだそうである。父は、自分が蕎麦アレルギーではない根拠として、
「わしが寝るとき使ことる枕、あれ、そば殻やがい」
 と、変に胸を張って言うのであった。それは何かの証拠にはなりえないとは思うが、勢いよく眼前のそうめんを片づけてゆく父を見ながら、蕎麦が嫌いになった理由がそれなら、そうめんでも冷やし中華でも同じなんじゃないかなあ、と私は言いたかった。

 このことをよく考えてみると、出石で私たちが蕎麦を食べていたときに、父に対して申し訳ないと思う必要は、実はあまりなかったことになる。そもそも蕎麦嫌いの人を連れて出石に行くのが間違っているといえばその通りだが、蕎麦は食べたいのだが体質がうけつけないのだ、他人が食べているところを見たらうらやましくてならないのだ、ということではなくて、好き嫌いなのだから、もともと食べたいとは思っていないわけなのである。以前ここに、私の弟達がエビや鳥肉を食べられないという話を書いたことがあるが、父についての蕎麦も、つまり、そういうものなのだろう。

 では私はどうか。苦手な食べ物があるかというと、今まで隠していたが、実はある。最近になって「牛乳がダメである」ということを発見したのだ。ただ、これは父や、弟達とは、ちょっと違う。私は牛乳を愛しているが、牛乳のほうで私を愛していないのだ。あるいは、私の心は愛しているが、肉体は嫌がっている、と表現してもよい。要するに、味自体は好きなのだが、飲むと、てきめんに腹が通るのである。紙パックに入った、二百ミリリットルほどのものを飲むだけで、半日は下痢に苦しむことになってしまう。

 昔はそうではなかった。もしも小中学生のときにすでにそういう体だったとしたら、毎日の給食はひどく辛いものになっていたと思うのだが、当時は、いくら飲んでも全く平気だった。学校給食の牛乳は余るものと相場が決まっていて、私も他の悪童らとともに余った牛乳をしこたま消費する側の人間だったのだが、一日につき一リットルぐらいは、実においしく飲んでいたのである。
 それが、大学生になって、ぱったり牛乳を飲まなくなった。一人暮らしというものを始めると、牛乳とは自分でわざわざ買ってこないと手に入らないものである上に、冷蔵庫が安下宿の部屋になかったため、一旦購入すると全部一編に飲んでしまわなければならなくなったのである。これはさすがに躊躇する。しかも牛乳というのは、ペットボトルのお茶やジュースと違って、飲み残して放置してしまった場合、容易に固形化し、悪臭を放つ。始末の悪いことと言ったらない。

 そうした牛乳と縁遠い年月が十年ほども続いてから、私は、たまさかに購入した紙パックの牛乳を飲んだ日は、かならず腹を下してしまう、ということを発見した。はじめは因果関係について懐疑的だった私だが、何回か、積極的に人体実験を行うことで、徐々に仮説は確信に変わった。ほとんど牛乳を飲まなかった十年間のどこかで、それでも一生分の牛乳を飲んでしまったとでもいうのだろうか、後戻りできない道を踏み越えてしまったらしい。効果は急で、激烈である。飲んで一時間もしないうちにてきめんに最初の一撃が訪れるので、下剤を飲んでもここまで効きはしないだろうと思ってしまうほどである。

 最近の事件、低脂肪乳の食中毒騒ぎで、つくづくと思ったのだが、私がもし、その汚染された牛乳を飲んでいたら、牛乳が悪かったのか私のいつもの反応だったのか、ずいぶんと悩んだだろうと思う。今回の騒ぎで逆に牛乳という飲み物のことを思い出した私は、数ヶ月ぶりに牛乳を試してみることにした。原因不明のまま、牛乳に弱い対質に、突然になってしまったのだから、あるいは、ある日突然に治るのかもしれない。そういう一縷の望みを抱きつつ、飲んでみたわけである。なに、最悪でも、下痢するだけのことだ。えい。
 駄目だった。そのあとの三時間で、九回もトイレを表敬訪問することになった。最後の方は、なんというか、お尻が痛いというより熱かった。焼け火箸を当てられているかのような状態になった。もうわかった。二度とやらない。やらないから許して下さい腸太郎さん、と私は人知れず、日曜日の一日をトイレで泣くことに費やしたのであった。

 ひとつだけ、いいことを思い付いた。牛乳会社は、私にライバル会社の牛乳を飲ませて、医者に向かわせるべきである。


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