エスカレーターにおいて、誰からも文句を言われない乗り方は存在する。自分の前の人間が歩けば歩き、止まっていれば止まっていることだ。…と、あまり本論に関係ない「お言葉」で書きはじめてしまったが、本当に、最近大阪と東京を往復しているせいでどっちが「追い越し車線」だったかすっかりわからなくなっている大西である。あれは、どちらでもいいが、どちらかに決めておくべきものだと思う。
1950年代あたり、と言っておけば大きく間違ってはいないと思うが、だいたいそのころにハインラインという人が書いたSFに、都市間を結ぶ巨大な動く道路が登場する。増え続ける交通による諸問題を解決する未来の乗り物として考案されたこの交通機関は、幅が広くてとても速い「動く歩道」のようなものである。ベルトを止めなくても乗り降りできるように、ベルトの速度は一種類ではない。道路の縁はベルトの速度が遅く、中央に近づくにしたがって移動速度がだんだん速くなる構造になっている。端から乗り込んで、徐々に中央に移動し、目的地に着く前にまた少しずつ端に移動し、降りればよい。
現実にはベルトに必要とされる強度の問題や、線路の敷設コスト、エネルギー効率などの観点から、電車バスなどに太刀打ちできないのだろうとは思うが、ちょっと考えたかぎりではなかなかいいアイデアであって、山手線あたりはこれに置換してもいいような気もする。思い付くままに利点を挙げてみよう。
なんだかとても素敵に思える。どうしてあまり研究されていないのか、なにか私が見落としている重大な欠陥があるに違いない。そういえば、途中で左右に曲がるエスカレーターや動く歩道を見たことがないが、とりあえずその辺りに最初の難点があるのかもしれない。
さて、あらゆる困難を乗り越えてこの「スーパー動く歩道」が実現したとしよう。エスカレーターと同様、ここでもやはり「その上で歩くかどうか問題」が発生するのはまず確実である。動く歩道なのだから立ち止まっていればいいじゃないかという意見の人、荷物が重かったり疲れていて歩くのが苦痛である人、あるいは単にそれほど急いでいない人が、このベルトは歩く速度を速くする装置であるという意見の人、手ぶらだったり一二時間も寝ていて歩きたくてしかたがない人、あるいは自分の時間がたいへん貴重なものであると考える人に、行方をふさぐな、と邪魔に扱われることになるのだ。
この動く道路はベルトによって速度差が設けられている、という設定なので、急いでいる人は高速帯を歩き、急いでいない人は低速の帯に立っていればいいようなものだが、やはり目的地に早く着きたいのは誰もが同じで、結局最高速帯に人が集中するということになるに違いない。おそらく、最高速帯は他の帯と違ってかなり幅広く作られ、また簡単な椅子が据え付けられていてもいいと思う。歩きたい人は、椅子に座っている人の前(または横)を、前方に向けてひたすら歩くことになる。この場合、低速帯から高速帯に向けて、
というような順番ができることになる。こう考えると、椅子に座ろうと思う人と、歩いている人との間にどうしても動線の交差が生じてしまってよろしくないのだが、これは、まあしかたないので、とりあえず「ぶつからないように気をつけよう」、とアナウンスをしておけばいいと思う。椅子の向こうに「超高速帯」というのを作ってもいいのだが、たぶんそれはやりすぎというものだろう。
一つ面白いのは、このベルトが一般化すると、遅刻のいいわけが難しくなる、ということである。電車に乗った以上慌てても始まらない、と考えることができなくて、急げばいくらでも急げてしまうので急がざるを得なくなってしまうのだ。
「すいません。ベルトがモロ混みで。遅れました」
「ベルトが混んでいても遅れないぞ」
「あ、いや、高速帯に座れないほど混んでいたんです」
「ベルトの上を、走って来んかい」
遅刻した場合は、とにかく汗をかいていなければ不実だ、ということになってしまう。まことに、技術はかならずしも人間を幸福にはしない、と言うこともできるだろう。