田舎と都会を対比させて考えるとき、そこにあるのは人口密度という単なる量的な違いだけのはずなのだが、やはり、人間が一つ所に集中することである種の質的な変化もまた、生じる。これは大本から考えて、そこに住む人の性格の違いなどというところまで還元されるべき問題だが、単に外面だけ眺めているだけでも、いろいろと違いがあって面白い。その一つが、都会には「要らない店」がたくさんあるということである。
もちろん、どんな田舎だって、人間が暮らしているのであるから、生活必需品を売る店はちゃんと、人口に応じての規模だが、都会に劣らず存在する。しかし、その範疇から一歩踏み出した部分で、たとえば専門書や古本を置いた本屋、最新流行のブランド品を売る洋服屋、書画やアンティークの類を扱う骨董品店、アニメのセル画なんかを売っている怪しげな趣味の店、あるいは探偵、便利屋、廃品回収業などというサービスは、それを支える人口母体がある程度大きくならないと、採算が取れないのだと思う。田舎にはないのである。
故あって東京の高円寺というところにしばらく住むことになったのだが、それまで住んでいた和光市と比べても、この高円寺が都会(というより、多大な住人を抱える人口集中地域)に属していることは、周囲の商店の構成を見れば、それだけでわかる。古くから商店街が力を持っていて、スーパーマーケットやコンビニの進出を許していない、ということもあるのかもしれないが、商店の扱う商品がバラエティに富んでいるだけでなく、それぞれの商店の扱い商品が非常に細分化されているのである。たとえば、食べ物なら、トンカツだけを売っている店がある。鰻だけを売っている店がある。お茶しか売っていないお茶屋は、お茶と、湯飲みなどのお茶道具だけが売られていて、他はなにも売られていないのだ。来る日も来る日も代わり映えしない店頭の品ぞろえを通りすがりに見るともなく見ていると、果たしてここ数ヶ月で幾つ売れたのだろう、と思ってしまう。
さて、JRの駅前広場の一角に、そんなお茶を扱う店が一つある。たくさんある個人商店とは一味違うところを見せて、ネオンサインをたかだかと掲げていたりもするのだが、その店名表記が、ここしばらくの私の日々の関心を集めていた。
一文字目と三文字目はよい。真ん中の、二文字目が、どう見ても円形の下に十字が付いた「♀」マークなのである。雌を意味する、ローマ神話のヴィーナスの鏡から来ていると言われる単語文字の「♀」にしか見えないのである。
金メス園だろうか。そうかもしれない。が、店名の一部に♀マークを使うというのは、どうもお茶屋さんにふさわしくないような気がする。ロックバンドの名前とか、サブカル系書店やらなんやらなら、こういうのはあってもいいと思うのだが、お茶屋さんの最大顧客と言えば、やはり年配の方ではないだろうか。いや待てよ、それは田舎の常識であって、高円寺では違うのかもしれない。だんだん不安になってきた。
あるいは、何かの漢字を崩して書いたものだろうか。♀にちょっとでも似た漢字というとなかなか思い浮かばないのだが、頭の丸いところが実は「口」であるという可能性くらいは疑ってもいい。口の下に十字というと、呆とか吊が似た感じだろうか。金呆園とか、金吊園というのも、なかなかパンクな名前でそれでいいのかと思ってしまうが、金号園という可能性は顧みられていい。キンゴーである。ゴロもいいではないか。さらに、意表を突いて、叶という可能性もある。カノウ姉妹のカノウである。ヘンとツクリの関係にあった漢字を縦に並び替えてしまう、という表記方法がまれにあるのは確かで、そういうデザインがしてある可能性もないではない。「金叶園」の叶が、ヨコダオシになっているのである。
要するにそんなふうなことを毎日まいにち考えながらその前を行き来していたのだが、あるときふと、金♀園が、お茶のほかに海苔も扱っている、ということに気がついた。そうだ、つまりこれはハングルではないか。
今や、海苔といえば韓国である。ハングルに「♀」に似た文字があるのだかないのだか知らないのだが、少なくとも円形が文字の中に取り入れられることがよくある、ということは知っていて、また漢字仮名交じり文のように、漢字ハングル交じり文のような書き方をすることがあることも知っている。そうであれば、たとえばハングルでこの文字が「の」の役目を果たしている、という可能性だって、ないとは言えない。つまり「金の園」である。往来に、かなり多いはずの、ハングルが分かる人々にとって見れば、自明のことではないのだろうか。
そうだ、わはは、そうだよそうだ、と私はすっかり興奮して、とりあえずそのことを確かめるべく、初めてこの金♀園ののれんをくぐった。店先に置いてあった、お徳用お茶パックを手に取って、店に入ったのである。店内が韓国風であればよし、でなくとも、店名の由来について尋ねてみよう、と固く決意を固めながら。
「いらっしゃいませ」
と、静岡のお茶摘み娘風の扮装の店員が、私を愛想よく迎えてくれた。
「お一つですね。しばらくお待ち下さい」
「こちら、いかがですか」
「や、ども」
お盆に載った熱いお茶が一杯、レジ待ちをする私に差し出される。私は礼を言って一口すすった。まったくの、日本茶だった。
「こちら、サービス券になります。次回お使い下さい」
「あ、ども」
私は、口の中でもぐもぐと返事をしながら、湯飲みを返すと、お金を払って外へ出た。私は、心地よい敗北感の中にあった。
つまり、店内の壁に、営業時間のお知らせ、というポスターが貼ってあったのである。そこには、ポップ体で、こんなことが書かれていた。
「お茶と海苔の金子園、今月の休業日のお知らせ」
都会の風は冷たい。