いのちのふしぎ

 聞いておくれ。お願いだから、泣くのはやめて、お父さんの言うことを、聞いておくれ。

 いや、もちろん、おまえの言うことは素晴らしいことさ。お父さんは、お前のことをとっても、大事に思っているよ。お父さんは、おまえが、わたしの子どもで、本当によかったと思っている。こんなやさしい子に育ってくれたおまえを、ほこりに思いこそすれ、はずかしくおもっているとか、ばかにしているとか、そういうことじゃ絶対にない。おまえは、心のうつくしい、やさしいわたしの子どもだよ。

 でもね。今度ばかりは、ほんとうに困っているんだ。ちょっとだけ。お父さんのいうことを、少しだけ、聞いてもらえないか。

 いいかい。人間は、そして、すべての動物は、罪な生き物なのだよ。太陽の光から自分の栄養を作り出せる植物とちがって、どうしても、ほかの生き物の命を奪わなければ生きてゆけない。それは悲しいことだけど、しかたがないことだ。せめて、わたしたちにできることは、そのことを忘れないで、一日いちにちを、むだにしないで、生きてゆくことだと思うんだ。

 待てまて。いいから、ちょっと待っておくれ。よく考えてごらん。そもそも、お米やヤサイは、収穫されるとき、痛いと思っていると、おまえは思うかい。

 おまえも、サンパツにいくだろう。おまえが小さいときのことをおぼえているかい。床屋のいすに座って、つるつるした髪の毛よけのフードを首のまわりにまきつけられると、おまえ、どういうわけかいつも、泣いてないて泣きまくって、わたしと母さんと散髪屋さんを困らせたものだよ。そういえば、どうして小さい子というのは、床屋で泣くのだろうね。わたしとしては、たぶん子どもは、床屋と歯医者を間違えているんじゃないかと思うのだけど。

 いやいや、そうじゃない。話をそらそうと思っているんじゃないんだよ。いいから聞きなさい。ほらほら、歯医者は痛いけど、床屋は痛くないものだね。どこが違うのだと思うかい、おまえは。

 そうだ。神経というものが、関係しているんだよ。人の体には、そのすみずみまで、感覚神経というものがゆきわたっていて、自分の体の一部がいまどんな状態にあるかを知ることができるようになっている。でも、考えてごらん。その神経は、どこにでもあるわけではないんだ。おまえがいたずらをしたときのように、ほっぺをつねると、すごく痛いのに、ひじのところの、かたくなったところは、どんなにつねっても全然いたくないだろう。人間の体には、神経がたくさんあるところと、あまりないところがあるのさ。

 わかったかい。髪の毛には神経が通ってないけど、歯には神経が通っているから、床屋で髪の毛を切られてもぜんぜん痛くないのに、歯医者で虫歯を削られると、あんなに痛いんだよ。だから、おまえ、これからは寝る前に、歯みがきをちゃんとしないと、いけないぞ。

 違う違う。話はこれで終りじゃないんだ。落ち着いて、聞いておくれ。だから、食べなければ歯みがきもしなくていいんでしょうって、人生はそんな単純なものではないのだよおまえ。ああ、聞いておくれってば。お父さんのいうことを少しは。

 植物、だから植物だよ。植物は、痛がっていると思うかい、ということなんだ。こういうことはちゃんと、調べられてわかっているのだけれど、植物には、神経がないんだ。いや、そもそも、おまえがじっさい、痛みを感じている中枢神経、脳にあたるところもないんだから、植物は「痛い」なんて思わないんだよ。おまえが、髪を切られたときのようなものさ。髪を切られるおまえを、ほかの人が見て、痛そうだな、と思ったら、おまえはどう思うかい。痛くないよ、間違っているよ、と思うだろう。そうなんだよ。おまえが痛そうだとおもっているヤサイは、ちっとも痛がってなんか、いないんだよ。ちょっとすうすうして、日当たりがよくなったな、と思っているかもしれないけれど、かわいそうだなんて、思うことはないんだ。

 そうだよ。だから、おまえは、おてんとうさまに感謝して、お米を食べたらいいんだ。おまえだって、自分の切られた髪がどうなっても、ぜんぜん、かまわないだろう。そうだ。ああ、いい子だ。わかってくれて、お父さんは嬉しいよ。さ、冷めないうちにお食べ。よしよし。もちろん、感謝の気持ちは、わすれてはいけないよ。

 え、なんだって。切った髪を、床屋さんがあのあとどうしているかって。いや、知らないけど、きっとどこかに埋めているのさ。だって、髪の毛はほら、燃やすとそりゃあ、ひどいにおいがするからねえ。


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