一五の夏

 あだ名というのは本当にささいなことからつくものであって、中学生のときの、その友人のあだ名は「ジュウゴ」と言った。一五、である。確かに一五歳ではあったが、別にそのこととは関係ない。中学一年生のとき「正の数負の数」を習っている数学の授業中に「マイナス七引くマイナス八」とかなんとかいう問題で、先生に当てられて、あてずっぽうで「一五」と答えたらそれがあだ名として定着したのだった。あまりにもデキないので先生が頭に来て「お前はジュウゴかっ」と、わけのわからない叱りかたをしたのがよくなかったのだと思う。言わんことではない、ジュウゴになってしまったではないか。

 さて、そのジュウゴだが、かように成績のいいほうではないものの、なかなか気のいい男で、私とは妙な友情で結ばれていた。何が楽しいのかいつも笑っているようで、私が何を言ってもただにこにこと話を聞いているのである。なあ、ジュウゴよ、俺は思うのだよ。人間は別に泳げる必要なんてないよなあ。にこにこ。そんな具合であった。

 ジュウゴは巨体であった。私のほうはといえばこれがクラスでほぼ一二を争うチビなのであったが、ジュウゴはその反対、巨大な体躯に恵まれていた。私は徒競走でもバレーボールでも、野球でも水泳でも、この小さな体では他人の相手にはならぬ、と一人決定を下して、もっぱら「運動以外」に自分の存在意義を見いだそうとしているのであったが、ジュウゴはその体に恵まれていながら、どういう理由でかやはり運動以外に自分の存在意義を見いだそうとしていた。そのあだ名が示すように数学はまったくダメな男であったから、運動以外というのが勉学でないのは確かであったが。

 その年、我々の学級に、我々のクラスで責任を持って掃除すべき場所として「運動場」があった。誰が決めたのやらわからないが、私はよくジュウゴと二人、運動場を当てどもなく歩き回ったものである。なにしろ、運動場は広く、掃除と言われても具体的にをすればいいのかわからない。田舎の純朴な中学校のこととて、別にタバコの吸い殻だのお菓子の包み紙が落ちているわけではなし、といって隅の排水溝に半分腐敗してうずたかく積もった落ち葉を片づけるには、二人掛ける二〇分という掃除マンパワーは圧倒的に足りない。掃除時間を迎えて五分で「これは割当が間違っている」という結論に達した私とジュウゴは、夏の日差しの下、来る日も来る日もうろうろと時間を潰して潰してつぶしまくったのだった。なあ、ジュウゴ。しょうがないよなジュウゴ。

 そして、なにもしないで二〇分潰す、という相手として、ジュウゴこそは最高の男なのだった。その時まで知らなかったのだが、ジュウゴは、ストーリーテラーとして天賦の才を持っていた。ヒット作は「名探偵ジュウゴ」という題の話で、しかし探偵らしきことはちっともせず、推理すらせず、もっぱら助手である退役軍医のジュウロク君とひたすらに掛け合い漫才をするのだった。と書いても、これを読んでいるひとには何が面白いんだかわからないだろうと思うのだが、ジュウゴの語り口にかかると、なにやら捨てがたい、妙な魅力を持って「名探偵ジュウゴ」が描き出されるのである。

 とまあ、ざっとそういったのほほんとした中学生生活を送っていた私とジュウゴなのであったが、あるときのこと、ジュウゴがいつになく途方に暮れた顔つきで、所在なげに教室の隅に立っているのを、私は見つけた。どうしたんだ景気悪いぞジュウゴ。顔にタテ線が入っているぞジュウゴ。
「かばんを、取られてしまった」
 かばん。それは穏やかではない。
「まあ聞こうか。どうしたのだ」
 聞いてみると、かばんを取られて返してもらえない、というのである。誰が、そんなにヒドいことをするんだ。
「二年生の子だ」
 下級生の女の子たちだ、というのか。

 そうなった理由はまったくわからなかったが、状況をまとめると以下のようであった。下級生の女の子が、ジュウゴのかばんを持って自分たちの教室に入ってしまって、返してくれない、ということである。そのままであるが、それ以上分からないによって仕方がないのである。そもそも人間は、いったいどのようにして下級生の女の子にかばんを取られてしかも返してもらえない、という苦境に陥るのであろうか。そんな話は聞いたこともないのだが、なにがなにやら、とにかく取り返さずばなるまい。ゆくぞジュウゴ。
「いや、俺は行かない。怖い」
 てんでだらしないジュウゴなのだった。しかたがないので、私は一人、その下級生の教室に入っていった。

「あー、なんだ。かばんを、返してもらおう」
「ぎやー」
 中学二年生のある種の女の子というものは、もう話も何にもできたものではない。ぎやーとはなんだぎやーとは。いいから、返せよ。
「ぎやー。ぎやー」
 私は、確かにジュウゴのぺたんこのかばんがそこにあることを確認すると、それを手にとって、教室を出ようとした。と、そこにいた女の子が、さっと私の行く手を遮ったのだった。こういうときは何というのか、降りかかる火の粉は払わねばならぬ。私はその女の子の頭に、ごつん、とやった。拳ではなくて、開いた手で、つまり、チョップをしたのだった。幸いその子はあっさりそこをあけてくれた。私は、悠々とそこを出、怯懦にも教室で、にこにこしながら待っていたジュウゴにかばんを渡した。なんだかわからないが、一件落着、というところか。

 ジュウゴとその女の子がどうやらつきあっているらしい、ということを聞いたのはずいぶん後になってのことであったが、その事件となんらかの関係があるかは、今もってわからない。私の方はというと、その後、下級生の女の子達から「馬場チョップ」と呼ばれるようになった。馬場チョップで窮地を脱したからであろう。


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