まぼろしの磁力線

 私の生まれた家の前には小さな空き地があって、駐車場に使っていたのだが、私はそこでよく砂鉄を集めた。学研の「科学」の付録だか、それとも学校の理科の教材だかの、馬蹄型の磁石に紐を付けて、ずるずると引っ張って歩くのだ。そもそもどういうわけをもってそんな空き地なんかに砂鉄が落ちているのかわからないのだが、言うなれば「この世界はそういうものである」らしい。砂には一定の割合で砂鉄が含まれていて、しばらく引っ張って歩いていると、磁石は引き寄せられた砂鉄で、びっしりとひげが生えたようになる。たまに古釘がくっついていることもあるので、その辺りを起源とするのかもしれない。

 そういえば、これは本で読んだのだが、かつてドイツ軍がノルウェーを占領したときに、ドイツ軍は、雪よけのために街道にたくさんの防雪トンネルを建設した。やがて戦局がいよいよ左前になり、ドイツ軍は撤退したのだが、その際、このトンネルを全部焼いていった(トンネルは木造だったのである)。ところが、これで戦後困ったのがノルウェーの一般市民であって、焼け落ちて地面に散らばった古釘が、すぐ自動車のタイヤをパンクさせてしまう。機雷を処理するように、磁石を使って道路を念入りに「掃海」しなければならなかったそうだ。たぶんノルウェー人も、磁石をずるずると引きずって歩いたのだと思う。

 私の場合は、砂鉄なんかを集めてどうするのかというと、つまりは好奇心であった。集めた砂鉄を紙の上にばらまいて、裏から磁石を当て、とんとんと揺すると磁力線の形に砂鉄が整列するという、あの美しい実験を自分でもやってみたいわけである。ところで、馬蹄型磁石で砂鉄を集める方法の難点は、集めたあと、砂鉄を磁石から引き剥がすのがやけに大変である、ということだった。一粒ひとつぶを指でつまんで磁石からひっぺがすのはわけはない。ところがこれを組織的に大量に集めよう、ということになると、とたんになかなか骨が折れる、面倒な仕事になるのである。

 ここで面倒を省かなければ科学の子ではない。解決策として一つ思いついたのは、台所のビニール袋の中に磁石を入れておいて引っ張り歩いて、あとでビニール袋から磁石を出すと簡単に砂鉄が回収できる、ということだったが、当然これはビニール袋の耐久力という点で大いに問題がある。こんなことさえ試してみなければわからないのか、私は実際にこれをやってみたのだが、最初の数メートルで袋に穴が空き、それに気づかないままずるずると引きずり続けた結果、磁石にくっついた砂鉄は白髪三千丈という有様になった。

 言うまでもなく、電磁石を使えばこういった問題点は簡単に解決されるわけである。実際にそのころの私は、立派な五寸釘にエナメル線を「これでもか」と巻いたものを所持してはいたのだが、この電磁石は「電池の減りが異様に速い」という欠点を持っていた。一日遊べば電池が切れる。父よ母よ電池を買ってくれ。贅沢言うんじゃありません。そんなお金はありません。これは仮面ライダーV3の主題歌の替え歌であるが、まずそういうことであって、電池を買うお金はなかった。いや、全然ないかというと実は小遣いはちゃんとあるのだが、動機が淡い好奇心であるので、乏しいお金をこのために使うのはちょっとためらわれたわけである。

 金がなければ汗を流せ、とはことわざに言うところであって、結局、科学の力はここまでとばかり、私は磁石の無精ひげを一生懸命取り除くことにした。何度も繰り返して砂鉄を集めるので、完璧に取り除いても仕方がない。数分引きずってはおおざっぱに砂鉄を集め、また引きずる、という作業の繰り返しである。

 腰からつるしたビニール袋に砂鉄を集める作業を、こうして黙々とこなしていた私は、だんだん収集効率が悪くなっている、ということに気づいた。空き地にもともとあった砂鉄をすっかり収集してしまったのだろうか。そう思って今まで歩いていなかった端の方を中心に攻めてみたりしたが、状況は変わらず、ますます得られる砂鉄は少なくなっていく。

 今考えると、使っていた磁石の力が弱くなっていたようである。もともとそんなに強い磁石ではなかったが、引きずった摩擦で磁石が熱されたのが良くなかったのだろうか。私は、目標よりもかなり少ない砂鉄で我慢することにして、いよいよ、紙の上で磁力線を描かせる、という実験をやってみたが、さっぱりうまくいかなかった。ひとつまみの砂鉄は、どちらかの磁極に力無く集まってしまい、磁極の間に広く分布して曲線を描く、というふうにはいかない。そもそも砂鉄の粒があまり揃っていないので、どう見ても美しい実験にはなりそうになかった。

 私は、せっかく集めた砂鉄を景気良くその場に振りまいて、実験をおしまいにしたのだったが、数年経って、弟が学校から持ち帰ってきた「磁石セット」に含まれていた、きれいな砂鉄を使って、同じ実験をやってみたことがある。やはりうまくいかなかった。どうも、かなり強力な磁石でないとうまくいかないようである。実験物理学は、かように難しい。


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