二択の帝王

 学校のテストにおいて「次のうちから正しいものを選べ」というような、三者択一、四者択一の問題が出された場合、ぶっちゃけた話そこには「出題者が楽をしよう」という意図があると思ってほぼ間違いない。何であれ本来は生徒に答えをイチから書かせたほうが勉強になるはずであって、記述式にしておきさえすれば真の実力によらずただただ霊感の導きに従って満点をとってしまった、というような事態も防ぐことができる。厄介なのは採点側、書かれた答えが正解にいかに近いかを合理的な基準を設けつつ採点してゆかねばならない先生の側にあって、本当は三択問題などに学習上の利点は一つとしてない、と言っていい。

 こういう事情、出題者にとって簡単なことは学習者にとってよいことではないという事情は、漢字や英単語を書かせる問題、算数で答えだけ書かせる計算問題にも言えることである。採点は容易かもしれないが、よく考えてみれば漢字など、わからなければ漢和辞典を引けばよいのである(今ならワープロもある)。算数も、答えだけわかればいいのなら電卓がある。厳密に正しく筆算する技術にあまり意味はない。

 真に学習者に必要とされるスキルは、書かれた漢字が間違っていないか、不適切な漢字の使い方ではないか、漢字にするのがいいか平仮名に開くほうが親切かを鑑別する能力であり、また、電卓の答えが概略間違ってはいないか、何桁目まで正確な数字が必要なのかを判断する能力である。これらの能力は、穴埋め式の教育からは得られない。

 と、以上のようなことを、私は小中学生を通じてずっと不満に思っていた。というのも、漢字の書き取り、算数のドリル、三択問題のどれも、私にとって壊滅的に不得意とするところだったからだ。特に選択問題はどうも苦手であり、二択まで選択肢を絞ってから、あと一つを選ぶ、そこのところで、うっかりさんにも反対側を選んでしまう場合が多かったように思う。

 二つから一つを選ぶとき、迷って迷ってよせばいいのに間違ったほうを選んでしまうという現象を、今ここに「Big Basket Effect」略してBBEと名付けることにする。意地悪爺さんは実は強欲だったから「大きなつづら」を選んだのではなく、考え込んだ末につい間違って魔物の入っているほうを選んでしまったのである。恐るべしBBE。皆さんも悩んだときはBBEを思い出そう。きっと「こちらだ」と思ったのじゃないほうが正解だ。

 などと書いて就職先やら結婚相手やらを選んで後で文句をネジ込まれてはたまらないので、上の段落は自己責任において使用して下さいと小賢しくあらかじめ謝罪しておくが、ともあれ、受験生はBBEに悩まされることが多い。遠心力の強さのエムとアールとブイ二乗はどれが分母でどれが分子だったか、フレミングの法則はそもそも右手だったか左手だったか、左手としてこの親指はいったい何の方向だったか、大科学者でもときどき悩むことがあるのではないかと私は思う。

 最近、仕事で表計算ソフトを使っていて、BBEに悩まされたことがある。データを漫然と表に入力していて、この行のデータはどうもいらない、ということになった。そういう時は「データをセルごと削除して下のセルを詰める」という便利な機能がある。ところが、範囲を選択して「削除」を選ぶと、こう出てくるのである。
「どちらを削除しますか。○ 行 ○ 列」
 どっちなのだろう。高校の数学で習った「行列」でも、確かどっちかが「行」でそうじゃない方の呼び方が「列」であった。これも区別がつかないまま大学に合格し、わからないまま大学の教養課程から専門課程へと進み、等閑に付したまま大学院まで卒業したのだから実にいいかげんである。区別はつかないものの、間違ったほうを選んでしまうとどういうことになるかはわかる。選んだデータが消えて下のデータが繰り上がってくるかわりに、入力したデータが全部消えて右のデータが「繰り左がる」のだ。

 私は一瞬悩むと「列」にチェックして「OK」を選んだ。データが全部消えた。

 もちろん世の中にはありがたや「アンドゥ」というものがあるので、別段これは取り返しのつかないことではなく、やり直しになるだけのことだが、それだけに「どうしても覚えなければ仕事にならぬ」ということもないので、数年もの間私はどちらがどちらやら見分けがつかなかった。もっとも、最終的には覚え方を編み出していて、それは、表計算の表の一番上の端、ウィンドウのタイトルが書いてある辺りに「校長先生」が立っている、というものだが、要するに生徒が作る「列」は校長先生が見て奥行き方向に並んでいる、ということである。一列に並べと言われてヨコに並ぶ学校があると、これでもどうだかわからないが。

 しかるに。最近になって、事情あってこの表計算ソフトの英語版を使いはじめたので、またもやわからなくなったのである。「Row」と「Column」から選べと言われても、だからどっちがどっちなのだ。ロウとコラムではロウのほうが「列」っぽい気がするが、なんとも実は逆なのである。コラムというのは柱のことだからタテに並んでいるのである、と覚えればいいのだろうが、「ロウの方が列っぽい」という知識と競合して、今でも時々間違える。

 このように、世の中にはBBEがけっこうあふれていて、意外に大きな落とし穴を我々に向かって開いているもののようだ。テストの四択問題も、これで意外と、実生活への訓練になっているのかもしれない。


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