世界のはじまり方

 テレビを見ていたら金八先生が良いことを言っていた。人生七〇年を三で割ると二四に近くなる。自分の一生を夜中の〇時に始まる一日に例えたとき、今の年齢を三で割った「人生の時間」は、その年齢の人生における意味、その年齢でなすべきことについて、奇妙な符合でもって多くを教えてくれる、というものである。私は今年三〇になったので、この方法で換算すると朝の十時、始業ベルが鳴った記憶は遠く、短い休憩時間は終わったけれど、昼までにはまだちょっと間がある。

 考えてみると、こういった「ある歴史を一日に換算する」「ある歴史を一年に換算する」という手法は、近年ほとんどある目的のためだけに使われていて、それは「地球の歴史の悠久さに比べ、人間が生まれてからは(あるいは歴史が始まってからは)まだこれだけしか経ってない」という説明のためである。地球が形成されたのが五十億年前、人間の祖先が今の我々と同じ状態に進化したのが二百万年前、そして歴史の記録が始まったのが三、四千年くらい前だから、比を取るとわかるように、一年に対してそれぞれ三時間半、二五秒となる(※1)。

 先日私はイソ一万四千の神の導きでもって、地球環境についてのレクチャーを受ける機会を得た。現在の地球文明がいかに危殆に瀕しているかさまざまに説明があったのだが、そんな中に、この「地球年」を使った換算法を使って、我々は一年かけて作られてきた地球環境を三時間ほどで破壊しているのですよ、という説明があって、ひねくれた物の見方をするわけではないけれども、それはどうかと思わざるを得なかった。

 そもそも、地球の大気に酸素やオゾン層が生まれたのは、別に地球年の一月一日というわけではない。最初から地球はこの状態ではなく、これらが生じたのは生物、なかんずく植物の光合成のお陰なのであって、大気中の遊離酸素は三十億年前、オゾン層は五億年前にやっと誕生したものである。地球年を使った計算ではそれぞれ五月末で十一月末である。正論を言えば、歴史が浅いから地球環境を破壊して良いとか、そういう問題ではなく、我々が必要だからオゾン層は失ってはならない環境であるわけだが、少なくともこういう場合「オゾン層形成元年」を一月一日として計算しなおすべきではないだろうか(※2)。

 金八先生の「人生の時間」が使い古された「地球年」に比べて巧妙なのは、人生を一年ではなく一日に換算している点だと思う。まず我々は一月一日に始まる一年という期間を、ひとつの「周期」としては、あまり考えていないのではないだろうか。人により環境により、一年の区切りは四月に始まる一年度であったり、四月と十月に始まる前期後期であったり、あるいは一月四月七月十月に始まる四半期であったりするが、元旦に始まり大晦日に終わる一暦年が学問や仕事の区切りになっていて、季節の移り変わりを達成度と共に意識するひとはあまりいない。「オゾン層ができたのが十一月二五日」と言われても、それがどんなに押し詰まった時期なのか、それほど実感がわかない理由はここにあると思うのである。

 そもそも「地球の誕生」を左端に「現在」を右端に据えて地球の歴史を書いてみると、初めはほとんど何も書くことがなく、最後に近づくに従って急速に事件の密度が増す年表になる。日本の歴史でも世界の歴史でも同様に現在に近づくほど書くことが多くなるが、これに似ている。ここも、だいたい等分にイベントが発生する「一年」との比較に無理があるところである。何かを「一日」に換算しても同じ弱点を抱えることになるはずなのだが、人間の一生はもちろん壮年期に大きな転機を迎えることが多いわけで、普通の一日のイベント密度とよく符合している。ここに「金八日」が「歴史を一日に換算する」というよくある手法の二番煎じに留まらない、巧妙さがあるのである。

 さて、では地球年を改良するとなるとどうすればいいのか。まずもって、地球の誕生を一月一日にとるやり方は、いかにもいただけない。大切な一年の半分くらいを世界は寝て暮らしていたという感じがしてしまう。ここは、元日を「宇宙の誕生」とすべきであろう。今から約一五〇億年前のビッグバン、即ち宇宙の誕生以降、わずかの時間に実にいろいろな事が起こった。宇宙ができてから一秒、十秒、百秒といった尺度で(しかも「宇宙年」ではなく現実の時間で)、陽子ができたりヘリウムができたりもう少し重い元素が形成されたりしている。これなら年表の初めにもってくるにふさわしい出来事ではないだろうか。少なくとも「隕石が降った」「今日も降った」「今日のは大きかった」と書かざるを得ない「地球年」のお正月よりはよほど素晴らしい一年になりそうである。

 残念ながらビッグバン後のイベント密度は、時間が進むとともにどんどん薄くなって、ビッグバンのあと一〇万年ほど経って「宇宙の晴れ上がり」という、プラズマ状態だった物質が原子を作る、というイベントの後にしばらくインターバルが入ったりもする。年表にすると一月一日と一二月三一日、初めと終りの一日ずつを除いてほとんど神様が創世の仕事をしていないものになりそうだが、これくらいのほうが一年に例えてぴったりだ、と言えるかもしれない。

 いや、本当に、最初にちょっとやって、あとは締め切りギリギリまで取りかからないなんて、素晴らしく実感の湧く暦ではないだろうか。君もそうだろう私もそうだ。心配するな神様だってそうなのだ。


※1 ちなみに人生の長さ、七〇年はこの尺度で〇・五秒弱になる。地球の歴史に比べても、むしろ思ったより人生は長いという印象がある。
※2 五億年を一年とする「オゾン層年」で計算すると、人類の歴史の開始は一二月三〇日の夜中となる。なんだか実感として「年が変わる三時間前」というのとあまり変わらない。
by J. Onishi
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