四月のガス代の通知が来てみたら、請求額が六千円を越えていたのですっかり参っている。六千円とは驚いた額で、それだけあったらこの「onisci.com」のサーバが二ヶ月は維持できる(いや待てよ、たったそれだけなのか)。そもそもガスは、電気ガス水道の中で災害時の復旧優先順位がいちばん低いライフラインだという意識があるので、どうも、ガス代ごとき、と思えてならないのである。付け加えて言うならば、今のすみかに引っ越したのが三月末なので、今回の検針は日数がまだ一ヶ月に満たない、中途半端な期間についての請求額であるはずである。都市ガスではなくLPだから高いのだろうか。五月分がどうなることか、先が思いやられる。来月は節約しようと思う。
さて、そういう目でテレビを見たり、本屋の棚をのぞいたりすると、身の回りのちょっとした節約をテーマにした番組や雑誌が多いことに驚かされる。ガスは中火にするとガス量に対して得られるお湯の量が多くなるとか、テレビの主電源をこまめに切って待機電力を減らすとか、そういった小さな工夫を紹介している。より細かいことでは、トイレの貯水槽にペットボトルを入れて一回分の水量を減らすという話を聞いたのはだいぶ前のことだが、同じ工夫を風呂でもやって、即ちペットボトルを多数沈めたお風呂に入って湯量を減らす、というアイデアがあってちょっと笑った。少ない湯量で「今おれはたっぷりのお湯につかっているなあ」という感覚を得るのが目的だと思うが、シャワーで済ますなど、もっと抜本的に何とかできそうな分野ではある。
そういう節約のための各種の工夫は、本当に効果はあるものだろうか。いや、家計に関して言えば小なりと言えども各々何らかの効果はあるはずだが、実行する意味はあるのだろうか。総体的に考えて、そうした節約生活が価値ある人生と言えるだろうか。
まずはじめに思い付くのは、工夫に見合う対価はあるのか、という疑問であろう。つまり、そういった細々とした工夫に費やす手間ひまや知恵をアルバイトに使って、そのお金でよりたくさんの物を買うほうがよいのではないか、というわけだ。もちろん、何らかの理由で家にいなくてはならない(乳幼児や介護が必要な人を抱えているとか)で、働きに行けない人が少しでも家計を浮かすために、という考え方はあると思うが、もし節約に関して手間のかかる細工が必要なら、その手間で内職をするという手段もあるわけである。限られた収入をいかに分配するかではなく、収入をいかに増やすかを優先すべきではないか。そのほうが日本経済も上向く。
とまあ、以上のように投げ掛けられた疑問には、地球環境の保全という意味がある、と答えられるべきかもしれない。今ある資金を大切にし、再利用可能なものは再利用したりフリーマーケットで売り、物は修理して使い、とケチケチとした生活をすると、結果として環境にやさしい人生を送っていることになる。ケチ過ぎて冷蔵庫を不法投棄したりすると逆に大変よろしくないことになるが、ともあれ、資源の節約は意味のないことではない。日本経済何するものぞ。地球の方が大切だ。
もう一つの批判は、そういう細かい節約に縛られた生活をするのはストレスがたまってしょうがない、という考え方である。確かに「トイレットペーパーは三十センチまで」「冷房の設定温度は二五度」などと書かれると暗い気持ちになるもので、風呂にペットボトルを沈める生活も我慢ならないと考える人が多いのではないかと思う。いくらむだ遣いしても、水道代ガス代合わせてまさか百円増しにはなるまい。百円払うから、たっぷりのお湯をあふれさせて入りたいそれがおれの唯一の楽しみなんだよう、という訴えにはもっともなところもある。
このあたりは、普段から健康に気をつけて運動しましょうとか、タバコをやめましょうとか、あるいは緑黄色野菜やカルシウムをもっと摂りましょうとか、そういう話に通じるものがある。酒もタバコもやらない、そんな人生に価値があるものか、魚は嫌いなんだ肉も食べずに七十まで生きて何になる、という考え方である。こちらも確かに一定の説得力を持っている。
かく言う私も、以前ここに書いたように、いろいろな食べ物を食べないように医者から言われているのだが、禁止食品の中に「炭酸飲料」と「アルコール」が入っている。つまりビールはもっとも良くないものの一つに数えられるわけだが、かかりつけの医者に、食べ物よりもっとずっと良くないのは何を隠そうストレスであって、もしビールを飲まないことでストレスがたまるようなら遠慮なく飲むべきだ、という実にありがたいお言葉を頂いた。遠慮なく飲んでいます。話のわかる先生でよかった。
しかし、考えてみるとこういうちょっとした工夫、ちょっとした節約をする人はどうしようもないストレスを抱えつつ節約人生を送っているのかというと、そんなことはないと思うのである。私はもともとタバコはやらないので止める苦労もわからないのだが、同じように初めから酒が飲めない人であれば、ストレスなく断酒ができてそのほうが体にはずっと良かったはずである。風呂に入るたびに「ああ、今日もまた水を節約した。ガスも節約できた」と考えられる人は確実にいて、そういう人の充実感が我々に劣るとは思えない。そして、感じるストレスの量は同じなのに、やはりこの人のほうが確実にお金は貯まってゆくのだ。
突き詰めて考えると、結局これは、節約法を自分で思い付くか、他人に押し付けられてやるかの違いではないだろうか。ペットボトルをトイレの貯水槽に沈めて流量を減らす方法を見つけた人は「それは流れなくて二度使ったりすると同じことだし、だいいち故障の原因になりますから絶対やめて下さい」と貯水槽の設計者に言われたりしてせっかく見つけた節約法を取り下げるほうが、よほどストレスになるはずである。他人から節約についてあれこれ言われたり禁酒を命じられると絶対にオレはやらん、とへそを曲げる人でも(私もそうだ)、自分で考えて、そうだここはもっと節約できる、と判断してやるならば、ストレスなどなく、ずっと長続きするものと思う。
節約は大事だが、無理強いされる節約には意味がないかもしれない。しかし、ストレスなく、趣味として節約できるなら、それがいちばん良いことに決まっている。「今やろうと思っていたのに」ということにならないように、他人に先に言われないように注意して、耳を塞いでやって行けばよい。
と、以上のような理由から「節約法」「健康の秘訣」を他人に紹介してもあまり価値はない、ましてやテレビや記事は無駄である、という結論が導かれるのだが、現実はそんなことはなく、今日もワイドショーは新たなtipsを説明していて、たぶん視聴者にもウケている。謎である。まったくもって、さらなる論考が必要なのである。趣味として研究を続けようと思う。