たまさかの放射線

 矛盾、という言葉のいわれである「楚の国の商人の話」を、ここで始めてしまうとうんざりする人が多いかもしれない。どんな盾も破る矛(ほこ)、どんな矛にも破れない盾を宣伝する武器商人に向かって、その言葉の自家撞着性を指摘するという故事は、広く教科書にも載っている。

 数年前アメリカで、ペプシコーラ社が「点数を集めると賞品がもれなくもらえる」というタイプのキャンペーンを行った。このテレビコマーシャルで「700万ポイントでハリアー戦闘機」という冗談をやったところ、本気にして応募してきた男がいて、裁判にもつれ込んだ。判決はペプシ側の勝利となったのだが、理由は「常識で考えて、70万ドル相当のポイントで2300万ドルの戦闘機がもらえると考えるほうがどうかしている」とのことである。私は法律の専門家ではないので、だからこのあたりの解釈に絶対の確信は持てないのだが、そういうことだとすれば、くだんの矛盾商人の言うことも法律的には「信じるほうがおかしい」ということになるのかもしれない。商人の売り文句通りの無敵の矛と盾が同時に存在しないのは、言っては何だが明らかだからである。

 それでは、これら無敵の矛と無敗の盾が「現時点における最良の技術と材料をもって作られた最高品質の矛と盾」という意味であった場合、どちらが勝っただろうか。文字通りの矛と盾であれば、これはテスト環境と判断基準にずいぶん依存する勝負であり、何をもって勝敗を決めるのかが難しい。たとえばの話、矛を突きだす人が非力だと、「矛の攻撃を防御しきった」ということで盾が勝つに決まっている。といって、矛に与える力をどんどん強大にしてゆくと、矛を盾で受け止めた瞬間に、驚くべし核反応が起きてしまうのである。もはや矛と盾の勝負ではなくなっている。

 考えてみれば「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」などのロールプレイングゲームでは、剣や盾、鎧の効果は、一様に量的なものであった。つまり、強い剣を装備すれば相手に与えるダメージが増え、高級な盾はダメージを軽減する。これはもっともなシステムのようではあるが、現実的に見るとちょっとおかしな話で、どんな強い人間がどんな強い鎧を装備していても、うっかり目に矢が刺さって死ぬことはある。鎧のお陰でダメージが半分に減り、ヒットポイントが二〇ほど残って死なずに済んだ、という方法で処理しきれるものではないのだ。一般的に言って、現実世界の盾や鎧の使命はダメージを量的に軽減することではなく、戦士にいつか訪れる突然の死の確率を減らす、というものである気がする。

 ただ、このリアルさ、人間は死ぬときはあっけなく死ぬ、というリアリティーを突き詰めると「敵の大ボスが階段で転んで首の骨を折って死亡」などというイベントが起こって盛り上がらないことおびただしいので、都合、武器や防具の量的評価システムはちょっとやそっとで変えられないものになっている。何事もリアルにすれば面白くなるというものでもないのでそれはそれでいいのだが、「シナリオ上どうしてもここで死ななければならないキャラクター」の死が、妙に嘘臭くなるという弊害はある。ゲーム中、厳粛たるべき仲間の死に「そんなことで死ぬなよ」とか「そんなモンスターにやられるなよ」などと苦笑したことが、あなたにもあるのではないだろうか。

 さて、現在最強の矛といえば何と言っても核兵器ということになるのだが、放射線の人体に対する影響にも、この盾に似た話がある。多量の放射線を受けてしまったときに(さらされた、という意味で「被曝する」という言葉を使う)人体に現れる影響は「確定的影響」と「確率的影響」の二種類に分けられる、と考えられているのである。

 確定的影響というのは、放射線への被曝量がある一定値を越えると、急に起こりやすくなる障害である。皮膚に変化が現れたり、髪の毛が抜けたり、白内障になったりするのがそれで、極言すれば、被曝量が少ない場合には起こらない。放射線の源と自分の間に鉛の壁などを置いて、十分な防御をしていれば、危険はないと言ってもいい。ときおり、ゲームバランスの極端なロールプレイングゲームで、強い鎧を装備したとたんに戦闘で受けるダメージが全くのゼロになるものがあるが、そういう感じだろうか。

 他方の確率的影響は、ガンや白血病、代謝異常などの遺伝的な病気で、一般により恐ろしいものだが、こちらは、被曝線量が多いほど(症状ではなく)発症確率が増す、というものである。単純化して言えば、大量に被曝してもなんともないこともあるが、少量の被曝でも病気にかかるときにはかかってしまう。たとえ厳重な防御をしても安全ではない。放射線に対する防御は、特にこの「確率的影響」に関して言うと「目しか出ていない鎧」「キャタピラしか露出していない戦車」のようなもので、たまたま自分の遺伝的急所にひとすじの放射線が飛び込んできたら、他の全ての放射線をブロックしても意味がないのである。

 事故により放射性物質などを環境に放出してしまった施設側は、そういうわけで「環境への影響は皆無」「絶対安全」とは言えないことになる。少量でも被曝があると、確率的影響を発した(将来発する)可能性があって、リスクは確実に増しているからである。事故を起こした施設は、周囲に向けて矢を放った。その矢がたまたま付近を通行中の誰かに当たるかどうか、当たったとしてその影響がすぐ現れるかどうかは、矢の本数によって異なるのは確かだが、確実に当たる、絶対に当たらないとは言えないのだ。

 ただ、しばしば我々は忘れがちなのだが、人間は、こうして普通に暮らしているだけで、宇宙線や大気中、地殻に含まれる放射性物質による放射線を常に受けている。これは愚かな人間が作り出したものでも何でもなく、また地上に生きる生命にとって本質的に有害なものなのだが、存在しているものはしかたがなくてそこに有史以前からそうして有る、そういうものである。その強さは「シーベルト(Sv)」という単位を使って、平均して一年間に1.1mSvとされるが、これは海外旅行を一回すると一割ほど増える。ジェット機に乗って高空を飛ぶと、普段は大気に邪魔をされてあまり届かない宇宙線の影響が強くなるからである。地域によっても異なり、日本国内で三割くらい、多い土地少ない土地があるそうだ。ガンなどの厄介な病気にかかる原因の一部として、これらの「自然放射線」による被曝があることは間違いない。

 これらから身を守ることはできないか、どんなに防御しても無駄かというとそんなことはない。自然放射線の一部は体内部にある放射性同位体による被曝なのでどうしようもないが、宇宙線や大地からの放射線は、鉛の服を着るなどして遮蔽して遮蔽しきれないものでもない。ただまあ、低い確率でしか起こらないことにそれだけ神経をとがらせてもしようがないということで、無視されているわけである。放射能漏れ事故も、だいたいこの自然放射線よりも低い程度であれば「大したことがない」と言いたくなる。大したことはなくても危険じゃないかと言われればその通りで、やっぱり謝るしかないのだが。

 レントゲン撮影をするときのように、一時期に多量に被曝する可能性がある場合、無意味に被曝しないように鉛のエプロンをなどを着けて防御するように言われる。このときの被曝量は年間被曝量の三割程度である。普段から受けている、量的にはもっと多い放射線は無視するしかないという事情は、現在の兵士が鎧や盾なんて装備していない(せいぜいヘルメットくらい)であるのと、一脈通じるものがある。

 要するに、ゲームならぬ人間の身、死ぬときは死ぬ。我々の身を完璧に守ってくれる「無敵の盾」は存在せず、最後には矛が勝利を収めるようである。「階段を踏み外して首の骨を折って死亡」よりも確率があまり大きくないようなことであれば、あまり細かいことは気にしないようにして、おおらかに人生を楽しめばよいのではないかと思う。


※以下の記事を参考にしました:「米PEPSI「ハリアー裁判」に勝訴」(コーラ白書
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