大学の、私がいた研究室では、自分の研究室内に小さな粒子加速器(原子核、素粒子などの実験装置)を持っていた。小さなといっても、三階建ての豪邸くらいの規模の実験施設の中にある、インド象くらいの大きさの装置なので、客観的に見ると「巨大な加速器」ということになるのだが、放っとくとどんどん大きくなってゆくこの世界のこと、同僚の装置群の中で見れば非常に小さい部類に入る。エネルギー五百万電子ボルトというのも、控えめに言っても高い部類には入らない。
施設全部を一つの研究室、つまり四、五人の職員と二十人くらいの学生だけで保守運用できていた、というのも「コンパクト」という証拠の一つに挙げられるだろう。よくある、大きな実験施設では加速器を運転するときに、専任の運転者に三交代制で協力してもらう、ということになるのだが、この加速器は違った。私が大学にいた最後の数年間、学生だった私は自分でこの加速器を起動し、運転を行って実験をしていたのだった。こういう大きな機械を一人で運転する機会はもうないかもしれない。
実にくだらないことなのだが、こういう実験を行っていて、毎回ちょっと気になることが一つあった。まず、装置の起動を行うときに、運転者は場内放送で注意を呼びかけることになっている。私はマイクに向かって、こう言う。
「ただいまから加速器の立ち上げを行います」
これはいい。しかし、このあと数日間の実験があって、いちおうデータが取れて、さあこれで実験終了だ、装置を止めてビール飲んで寝るぞ、というときである。セリフはこうなる。
「ただいまから加速器の立ち下げを行います」
自分で言っておいてだが、なんであろうか。そんな言葉はないのである。
そもそも「タチアゲ」というのは、立って、上げるのが並列して置いてある言葉ではないかと思う。これを立って、下げることにするとあっちへいったりこっちへいったり、なんであろうかになってしまう。たぶん、立ち上げの対義語として「座り下げ」「しゃがみ下げ」ないし「寝下げ」などという言葉があれば、さあこれから寝るぞ、という気分にもピッタリではあるのだが、そんな言葉はないのだし、なんだか語感が悪い。
普通に「停止を行います」「運転終了します」でどうしていけないのかというと、これらは、これから加速器を止めるのだ、という気持ちに、何と言うか、こう、ふさわしくないのだ。つまり、加速器の運転停止というのはパシっと一瞬の「停止」なのではなくて、もたもたした一連の手順を実施してゆくことなので、「ただいま到着中」「システム終了中」という言葉に感じるのと同じ、妙な違和感を抱いてしまうのである。
というわけで他にしかたもなく、タチサゲタチサゲと言っていたわけであるが、これは一種の、日本語の欠陥を補う行為ではないかと思う。日本語にそういう語彙がないのだから、あきらめないで、何かを作って補うべきなのである。たとえば「自由」や「討論」「演説」といった言葉は、明治時代に福沢諭吉がデッチ上げたものらしい。それまでには、日本語にはそういう政治用語はなくて、イチから作り上げねばならなかったわけだ。これらの言葉に比べると「Shutdown」の訳語としての「タチサゲ」はいささ香気に欠ける感は否めないが、それでも言葉の破壊ではなく、日本語というツールをより有用にするための行為だということができる。これからもどんどんタチサゲてゆきたいと思う。
さてここで話は変わるが、先週のこと、某所で「科学まんじゅう」というものを買ってきた。なぜか「万十」という漢字が当ててあって、いやツッコミどころはそこではなく、と思わずにはいられなかったのだが、どういうものか言ってしまえば、普通の「酒饅頭」である。あんこのかたまりの周囲に、薄い皮がついている蒸しまんじゅうだ。なんだよ科学っぽいところはどこにあるんだよせめて「E=mc2」とか焼き印を押しといてくれよ、と毒づきながら食べてみると、案の定甘い。爆発的に甘い。
「お茶、お茶あったろう、ちょうだい」
「どこが科学だったの」
「いやもう、それよりもなによりも、お茶。あ、ありがとう。ふう」
「カロリー高そうだねえ」
「これももう少し、外身が厚かったらバランスが取れると思うんだがなあ」
と、そう言って私は、はっと思った。ソトミ。これは日本語の乱れだろうか。それとも日本語の欠陥を補う、新しい波だろうか。