文章題は歌う

 少し前に新聞で読んだ話だが、小学校などで算数の成績が悪い児童は、実はかなりの部分、読解力がないばっかりにテストの点数が悪いのだそうである。つまり、数学的概念や計算手続きの理解欠如よりも、文章で示された問題が何を言わんとしているのかを把握できないのだ。これを嘆くべきか当然とうなずくべきかは難しいところで、ゲーム機のロールプレイングゲームのおかげで、このあたりの能力は昔の子供よりもずっと向上しているのではないかと思っていたのだが、そうでもないらしい。

 しかし、考えてみれば確かに、太郎君がリンゴを買いに式の文章題を読み解く能力は、理系というよりは文系的能力である。私が小学校のころ持っていた学習参考書には「これは鶴亀算の一種」「こちらは要するに植木算」という解説が載っていたものだが、これなど文章読解力に欠ける若き理系少年少女に、文章をパターンとしてなんとか把握し、答えを導き出す方針を与えるとにもかくにもの産物だったのかもしれない。

 私などは、理系りけいと言いつつもこんなところにこんな文章を書いているくらいである、あまり典型的な理系とは言えないと思うのだが、国語の問題に数学的素養が必要ないのに、どうして算数には文章題が混ざっているのだろう、と思ったことは確かにある。端的に言って、理系を捨てても文系として生きてゆけるが、英語など文系教科を捨てると理系としても大成しない、まこと世の中はそういうふうにできているのだ。

 幸い、やがて中学、高校と進むに連れて、文章題は「物語の読解」という側面を失い、だんだん簡単で類型的な文章になってゆく。たとえば、小学校では、
「A町とB町は20キロ離れています。まず、太郎君が時速20キロの自転車で出発したあと、次郎君が遅れて時速40キロの速さの自動車で追いかけました。次郎君が太郎君に追いついたのはB町まであと5キロの地点でした。次郎君は太郎君から何分遅れて出発したでしょう」
という、かなり複雑な文章を読解しなければならないのに対して、中学校ではこういう感じになる。
「三角形の頂点の一つから対辺の中点に引いた直線が、対辺と垂直になる三角形は、二等辺三角形であることを証明しなさい」
 さらに、高校生では、こういうふうだ。
「すべての正の整数mとnについて、x=mnは正の整数であることを示せ」
 例が偏っているような気はするが、まず文章としては簡単になってゆく。少なくとも、それぞれの年齢で当然備えているべき文章読解力からすると、うんと簡単になっていくように思うのである。

 それにしても、年齢が若いほど文章題の言葉づかいが丁寧になるのは、どういう配慮によるものだろうか。大切なのは概念であって文章ではない、とは確かに言えるが、丁寧に書いて悪いことはなにもないのである。もしかしたら、教科書の筆者がだんだん「教育者」から「研究者」になって行くに連れて、学習者に対しての文系的な配慮が少なくなって行くということかと、思ったりもする。

 小学生に対する言葉づかいという点では、昔、面白い問題集に出会ったことがある。夏休みの宿題かなにかだったと思うのだが、この問題文の語尾にこだわって、ありがちな型を打破しようとしたものなのだ。巻頭言にいわく、ある種の小学生は確かに文章題につまづくことがある。これは大部分、問題が何を言ってるんだかわからないのが原因である(とすると、冒頭の問題は、少なくとも二十年くらい前から指摘されてきたことらしい)。そして、何を言っているのか把握できないのは、文章が「文章題文体」とでもいうべき、児童の日常からかけ離れたものになっているからである。また児童に「やる気」を起こさせる上でも、命令口調は好ましくない。

 なるほどその通りだ、と思う。算数を教える上に言葉まで気を配るなど、なかなかできることではない。ところが、感服はそこまでなのだった。例を見てもらった方が早い。そういう気配りの結果、中に掲載されている問題はこんな調子だったのである。
「…のとき、合計はいくらになるかな。計算してよ」
「次の問題を、やろうよ」
「四角の中を埋めてよ」
 異常である。やらんとすることはわかるが、明らかに、考えすぎて失敗、というやつを演じている。それも派手にやらかしている。第一、われら関西出身の小学生は、上のような言葉づかいは絶対に自然なものではないのである。いや、この問題は日本のどの小学生にとっても自然なものではないとは思うが、兵庫県では完全に違う。といって、
「…やったら、なんぼになるか、計算したってないか」
「この問題を、やってや」
「四角の中を埋めてえや」
としても別にわかりやすくはならない。結局のところ、兵庫県の小学生が接しているのは「話し言葉としての関西弁」と「書き言葉/テレビ言葉としての標準語」なので、関西弁を書き下しても理解度において顕著な向上があるとはちょっと思えないのだった。まず、子供だった私でもこういう批判ができたくらいである。この問題集はほどなくなくなった、と思う。やはり、普通が一番いい。類型的把握ができるだけでもいい。

 さて、私の持っている大学生向け教科書には、こんな問題が載っている。
「内径300mmの鋳鉄管内を平均速度4m/sで常温の水が流れているとき、管摩擦係数と損失ヘッドを求む」
 求む、なのであった。なんだか「20歳から35歳くらいまで」とか「生死を問わず」などと書き足したくなってくる。文章題は奥が深い。


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