自然が呼んでいる

「まいにちーがスペッシャー」
「はーぶらっしー」
「かーるかんはムラサキ、かーるかんはムラサキ」
…などといった調子で、テレビなどで聞いた歌が口をついて離れないという経験は誰にでもあると思う。最初は結構楽しいのだが、次第に自分が馬鹿みたいに思えてくる。しかも、たまたま旅行やデートの最中にこんな状態になってしまうと、
「恭子ちゃんはなんだか中島みゆきのイメージがある」
「日光東照宮にはジャネット・ジャクソンがいる」
などという間違った印象を一生背負ってゆくことになりかねない。さらに下手をすればこんなこともあるのだ。
「友里子ちゃんはスイカの名産地である」
たいへん危険なものである。

 実はこの一両日ほど、私もある歌に悩まされているのだが、これが流行歌でもコマーシャルソングでもなく、それどころかもう二十年あまり一度も聞いたことがない歌なので、いったいに私の頭がどういう構造になっているのかわけがわからない。こんな歌なのだ。

「どうしておなかがへるのかな」

 知らんがな、と言ってやりたい。調べてみたところによれば、この歌の正式なタイトルは「おなかのへるうた」というらしい。身もフタもないというか、いやいや認めるならば、シュールなタイトルではある。いやそんなことはどうでもよい。私の中で、この童謡が渦を巻いてリフレインし続けているのだった。

「けんかをするからへるのかな」

 そういえば、と身を乗り出して見てみれば、この歌はちょっと科学的でもある。「腹が減るのはなぜか」あるいは「人間はどうして食べなければ生きて行けないのか」という至極もっともで深遠な疑問に対して「喧嘩をするからではないか」という仮説をまず与えている。たぶん「喧嘩をすると叱られる」「叱られるのは悪いことをしたからだ」「したがって喧嘩は悪いことだ」という認識が背景にある。加えて「夕飯どきになると切ない気持ちになるのは、何かに対する罰ではないか」という洞察でもって「喧嘩をするから腹がへるのではないか」という仮説に至ったのだろう。因果応報、十分にうなずける仮説ではないか。

「なかよししててもへるもんな」

 しかし、仮説は仮説である。注意して意地悪をやめ、父母に叱られるようなことをまったく何もしなかったある一日に、やはり空腹は訪れ、生への渇望にわれと我が身を駆り立てられていることを知る。仲良ししてても腹は減る。これは、実験に裏付けられた冷徹な事実なのである。ここで歌い手は、いかにもっともらしく思えたとしても、この反証によって仮説は誤りだ、と鋭く指摘し、自説を取り下げている。見事な態度と言うしかない。

「かあさん、かあさん、おなかとせなかがくっつくぞ」

 などと褒めたらこんなことを言いだすのだが、まあ「お腹と背中がくっつく」などという非科学的な表現に目をつぶれば、これは論文を締めくくり「未来」を希求した一文なのかもしれない。言いかえれば、これは「実験の結果『良い子』にも平等に空腹は訪れることが分かり、仮説は棄却された。さらなる研究が必要である」ということなのである。この、研究の継続を訴える部分は、声をひそめて告白するなら、科学論文の常套的な締めくくり文である。そう、科学者もまた、食わねば生きては行かれないのだ。

 この「おなかがへるうた」、二番の歌詞がまさにしかり、潤沢な研究費を得たこの歌い手が酒池肉林を楽しんでいるものだったり、あるいは「喧嘩」「仲良し」「空腹」を戦争と平和、財政危機等に置き換えるとなにか現今の国際情勢を描写したものであったりと、なかなか興味深いのだが、まずこれは本ページと私の守備範囲を越えてしまうものであり、そこまで踏み込まないでおくのが賢明というものであろう。

 それにしても、こういうことを書いてもちっとも目の前のハラペコソングが絨毯爆撃問題は解決しないのである。むしろこんな思考を繰り広げた結果、かの歌は以前より強くはっきりと私の中で空腹を訴え続けている。もしかして、私が苛烈なダイエットの最中なのがなにか関係しているのだろうか。誰か私に腹一杯食べさせてくれれば、この仮説を確認できるのだが、どんなものだろうか。ねぇ母さん。


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