忘れたお弁当と愛は私を救う

 それはすこし遠い昔、コンピューターの少年時代。ネットワークは狭くて舗装されていなくて、パンチカードで御された大型コンピューターがかっぽかっぽと歩いていた、そんな時代。黎明期らしいひとつのコンピューター犯罪があった。一人の技術者が、とある銀行の利子計算システムを改変し巨額を騙し取ろうとしたものだ。

 銀行で、預金の利子を計算するときには、まず一円(あるいは1セントとか1シリングとか)未満のハシタが出る。これを単に四捨五入してしまえばいいかというと、実は難しい問題である。たとえば、全預金者から預かっているお金の合計が百万円で、利息が三・六%だったとすると、銀行側は合計三万六千円を利子として払えばいい。ところが、ここでもし、この預金が一万人の顧客が百円ずつ預けているものだとすると、この計算は成り立たなくなる。それぞれの利子三円六十銭を四捨五入して四円払うと、銀行の支払いは合計四万円ということになってしまうのだ。もちろん、ふつう預金額は人それぞれだから、端数の出方もだいたい打ち消し合う傾向にあるのだが、それでもちょっとした調整は必要になる。

 この技術者がやったことは、そのシステムに手を加えることだった。この端数を切り上げたり、切り下げたりするかわりに、全て切り捨てる計算にして、かわりにその一円を自分の口座に振り込むようにプログラムを変えてしまう。儲かるのは口座一つにつき多くて一円だが、利息計算は預金口座や定期預金の口数だけの回数、繰り返し行われるわけで、それらを合計するとかなりの金額になる。大きな銀行なら数千万円以上の額が、毎年手に入ることになる。

 などと、トクトクとして書いてしまったが、実はこの話は、私が中学生くらいのときに読んだ子供向けのコンピューター入門書に書いてあったことなので、本当にあった話なのか小説のあらすじなのか、実話としてもどの程度脚色されているのかよくわからない。たぶん現実には、銀行の基幹部分に属するシステムを一人で組み上げて、誰のチェックも入らないというようなことはまずなくて、実行は非常に困難なのだろうとは思う。

 この犯罪がどうやって発覚したのか、その後どうなったのかはそういうわけで知らないのだが、いったんこういう犯罪が行われたとすれば、被害者側からの損害賠償は非常にやりにくいに違いない。この手口が巧妙なのは、被害者の誰一人として大して損をしない、という点にある。銀行としては払う利子の合計額が変わらないのだから、損とは言えない。預金者のほうも、損害は一回の利子計算につき多くて一円で、損といえば損だが、大したものではない。

 本当に疑問に思うのだが、みんなから広く浅く盗みをした場合、損害賠償を求められるものだろうか。たとえばこの五年間に三円盗まれていたと知ったところで、それを取り返そうとは思わないものだし、もっと言えば気が付かない可能性が高い。普通はこんな利子のハシタがどう処理されているのかさえ知らないのであって、私に関して言えば、この低金利のおり、微々たる貯金に本当に少しは利子が払われているのかどうかさえ、正直言って意識していない。盗まれ損といえばそうだが、喜んで盗まれ損しようではないかな額なのである。あえて賠償を請求しようとは決して思わない。ということは、盗んだものは寄付されたのと同じことである。返さなくてもよいのではないか。

 逆に言えばこれは、盗みというものはこうあるべきだ、ということかもしれない。盗みという言葉が不穏ならば「商売というものは」でもよいが、非常に多数の人に少しずつ損をさせるかたちで、自分がうんと儲ければ、誰からも恨まれないし、もしかしたら罪にさえならないかもしれない。よく、お弁当を何かの事情で持っていなくて、クラスの友達からおかずを一品ずつもらって回ったら、かえってみんなより豪華な食事になってしまうことがあるが、人生はそうありたいものである。

 ただ、たとえば寸借詐欺(比較的小額のバス代などを借りて、そのまま逃げるという詐欺)などは、被害額が小さければ被害者が警察に届けないことがあるわけだが、といって数百円ずつ一ヶ月に数千回もこれをやって生きてゆくというわけにはいかない。それならまともに働いたほうが楽ではないか。こういうときにはやはりコンピューターなのである。コンピューターがあればこそだ。

 ではコンピューターを使って、みんなに損害を与えるのだがその量が少ないのでさしたる罪にならないという例がなにかないだろうか、と考えてみて、一つだけ思い付いた。「スパム送信」である。電子メールを使ったダイレクトメールの大量送信は、携帯電話への「出会い系サイトへの勧誘」という例でやけに有名になってしまったが、確かに受信者全員に少しずつ損害を与える行動である。常時(定額料金)接続が一般的になりつつある一般の電子メールユーザーの場合でも、受信者が無駄にした時間、電気代、スパムに備えるためのシステム構築にかかるお金などといった形で、少しずつみんなが損をしているのだが、特に携帯電話の場合、受信に料金がかかるので受信者は直接損害を受けている。

 もちろん、スパムの場合、この損がそのまま送信者の得になるわけではないが、受け取った人のうち何人かが反応してくれれば商売になるのだから、やはりこれはみんなの「わずかな愛」を消費して儲けている例なのだと思う。私は、たぶんあなたも、スパム送信業者に愛など持っていないとは思うが、額が小額なのでアホらしくて起こせない損害賠償が、積もり積もってこの業者を利しているかと思うとちょっと悔しい。

 と言いつつも、もちろんのこと、悔しいのは「ちょっと」だけなのである。悔しいからといって何か積極的な行動を起こしているか、具体的になにかやるべきことはあるかというと「無視する」という以外に取れる行動はさして、ない。携帯電話を使っている人の中には、そのあたりの機微に疎く、勧誘メールにつられてサイトを訪問してしまうユーザーがけっこういるのだそうで、携帯電話を使っている限り、スパム業者から受けるわずかな損害からは、なかなか逃れがたいもののようである。ものが無線通信だけに、マルコーニには天使の取り分がつきもの、といったところだろうか。


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