兵站こそ兵なり

 昨日の朝刊の四コマ漫画で「次々にのうなるハサミやボールペンはいったいどこへ行くんやろ」というセリフがあって、ちょっと身もだえした。漫画の中のキャラクターに言っても詮無いことながら、それはこうなのだ、と教えてあげたくてしかたがなかったのである。買っても買ってもなくなってしまうハサミやボールペンは、他の部屋にあるのだ。

 なんだか今とてつもなく平凡なことを書いてしまったような気がするので、補足するのである。そもそもの初めから書き起こすと、私は大学時代、「文房具係」というものをやっていたことがある。大学の、私がいた研究室では、研究室の業務で使うハサミやボールペン、それにレポート用紙や定規やグラフ用紙やフロッピーディスクやコピー用紙といった文房具を、係の学生が一括管理して発注を行っていた。およそ三年ほどの間、この任務に私がついていたのである。

 冷静に考えてみると、どうしてこの辺の事務を学生がやらないといけないのか、と不思議に思えてくる。そういうお金が絡んでくる管理、特に発注や購入はもろに職員の仕事ではないかと思うのだ。このあたりの事情は、前にも書いたことがあるが、一つの実験施設丸ごとを先生と学生で運用してゆく研究室なので、他にも不可避的に多量の雑用が生じる(実験道具の定期的なメンテナンスなど)からである。先生に全部やらせて学生は勉強しているだけ、というわけに行かないわけで、このあたりは相身互い助け合い精神なのである。実際、就職してみるとやっぱりこういった雑用は普通の社員が持ち回りでやっているので、別に不思議に思うほどのことでもないのかもしれない。

 さて、二十人近い大所帯が使う数十種の文房具を、使いたいときに無くなってしまっている、ということがないように運営してゆくとなると、「鉄則」とでも言うべきルールを二つ設けなければならない。一つはコピー用紙などの消耗品に関して「最後の一つ(一箱、一束など)を使う前に、係に無くなったことを連絡すること」もう一つはハサミなどの耐久消費財に関して「使った後は元のところに戻すこと」である。理由はわざわざ説明するまでもないと思うが、発注してから物が届くまではどうしてもある程度時間がかかるので、無くなってしまってから連絡されても困るのである。後者の、ハサミを使って元のところに戻さないなんてのは、もう、窃盗に近い。

 ところが、このルールがちっとも守られないのだった。もともと、自然に守られるルールではないことは確かである。後者から書くと、ハサミを使いたいときには使いたいから探すのだが、使った後はもう必要ないものなので元の場所に戻すという動機は今一つ薄い。「まだ使うのだから」「今非常に忙しいからちょっと後でまとめて片づける」という理由はもっともだし、そうしているうちに忘れてしまうのは無理もない。

 もう一方の「なくなる手前でアラート」というルールだって、たとえばコピー用紙の最後のひと袋を使う人は、その段階では自分が使うコピー用紙はまだあるわけなので、危機感が薄いのである。自分は見つけられなかったがどこか他の所に買い置きがあるのかな、と思ったりもする。考えてみれば、最後の一袋を使うときに、「これで最後なのか」などと聞ける文房具係が周辺にいないことはよくあるわけで、悪意があるわけではないといえばその通りである。

 ところが、その悪意のない行動がどれだけ文房具係を困らせるか。コピー用紙の最後の五百枚がいよいよ無くなってしまって、しかしどうしても必要なのだ、というときに、至急で発注をかけてできれば用紙を店まで取りに行く、時には隣の研究室に一束借りてくるように命じられるのは、最後の一束を使ってしまった不注意な人間ではなく、文房具係なのである。人生の矛盾について考えながら夜道を辿ったことも一度や二度ではない。

 というわけで、こういう経験を繰り返した文房具係は、ある結論に達する。誰も信用できない。いや、少なくともこの腐れ研究室の脳死学生どもは絶対に信用できない(文房具に関しては)。自衛するしかないのである。というわけで、あらゆる文房具が二段構えで整備されることになる。今の物資がなくなったら自由に使ってもいいオープンな部分と、文房具係の許しがなければ絶対に使ってはいけない秘密の部分である。できれば、後者は存在自体秘密のほうがいい。こうしておけば、オープン部を使い切ったあとも、秘匿物資を放出して発注までの時間的余裕が得られる。

 一応(あまり幸福な方法とは言えないものの)これで解決ではある。しかし、もう一方の、ハサミやボールペンなどの耐久消費財が帰ってこない、という問題に関しては、この「物資秘匿法」はあまり役に立たない。ハサミがもとの引きだしに帰ってこない研究室では、秘匿ハサミもたちまち失われてしまうのであった。何か、別の解決手段をとる必要がある。

 というわけで、やっと本題に戻ってきた。「なくなったハサミやボールペンはどこに行くのか」である。文房具係としての何年かの経験でわかったことは、ハサミやボールペンは、他の部屋にある、ということである。一般に、人がハサミを使いたいと思う場所は限られている。私の研究室ならば、あちこちにある作業用のテーブルや机の上、それぞれの実験室というところである。ところが、ハサミがないときに、そういう場所を探してみようとは普通思わない。公共の「ハサミ引きだし」をまず探してみるわけで、ハサミが落ち着きやすい場所(心理的「くぼみ」と名付けるべきか)に持ってゆかれたハサミは、公共の引きだしになかなか帰ってこない。

 しかし、しかしながら、である。もしハサミがその「くぼみ」の数よりたくさんあったとすればどうか。もう、あちこちの机に備え付けのようにしてハサミが置かれることになるが、こうなると、もはやハサミが無くて困るということは決してないのである。利用者にとっても、使いたいときにすぐにそこにあって、使い終わったらそのままその作業場所に置いておけばいい(もちろん、ルール通り公共の引きだしに返しても構わない。そこは探しやすい場所なので)。自分の家に持って帰ってしまったり、間違えてゴミ箱に捨ててしまったりというような、ほとんど考えられない事故がなければ、ハサミがなくて困るということは、まずなくなるのである。

 考えてみれば、ハサミやボールペンのようなものは、買えば百円程度のものなのであって、探し回ってうろうろする時間を我慢すべきものではない。千円くらいでぱっと買い込んで、あらゆる心のくぼみに配って歩けば(というのは言葉のアヤであって、実際には利用者が勝手に「くぼみ」に分配してくれるはずである)、もう文房具係に「ハサミを探せ」という要請が来ることはないのである。

 心ならずも物資を秘匿しなければならなかった「無くなる一つ前でアラート」と異なり、「使った後は元の場所に」はなかなか幸福な解が与えられたのではないかと私は思っている。そういうわけで、広くもない我が家には今六丁ものハサミがあるのである。ののちゃんちも、そうすればいいと思う。


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