眠る図書館

 核戦争後の世界。あるいは、疫病の流行か、環境汚染の結果か、そういう何かが起こってしまった世界。大規模な文明の崩壊があり、統一政体も社会基盤も破壊し尽くされたそのとき、あなたはたまたま田舎にいて、小さな地域社会とともに難を逃れる。吹き抜けてゆく暴力の嵐に流し落とされるように、かつて社会を形作っていたもの、それこそが「日本」であった、ありとあらゆるものがあっけなく失われてゆく中、奇跡的にあなたの小さな「町」の人々は、コミュニティを維持しつつ、辛うじて人間らしい生活を保ち続けている。

 かつての文明の残滓が利用できるとはいえ、いずれは弥生時代と変わらぬ自給自足態勢に移行して行かねばならないこの「町」で、余剰といえる労働力などほとんどない。政治家であろうと学者であろうと、知性とは切り離した部分でまず一個の筋肉としての働きを期待されてしまう場面なのである。もっとも、この町にはそうした人間はもともとほとんどいない。あえて言えば、誰あろう、あなたこそが、町の「インテリ」ないし「文化の担い手」と見なされているのだった。事実は「ちょっとした本好き」程度の存在だというのに。

 そういうわけで、あなたは「町」の人々から、ある文化事業の管理を任される。耕作や狩猟などの労働の割り当てを少し軽くされるかわりに、わずかな余力でもって、消え行く文化の保護を命じられたのだ。といっても、小さな町が文化に割ける余力はそう多くない。あなたにできることは、ひたすらに本を貯め集めることくらいである。あなたは、町の図書館を作ることになったのだった。

 なにぶん小さな田舎町であり、異変を生きのびた建物もそう多くはない。新たに「図書館」となったのは、町の玄関口、と言って言えないことはない、ローカル線の駅舎だった。どういうわけかモノレールのような高架鉄道になっている線路は、異変でずたずたに寸断されてしまっているのだが、鉄筋コンクリート三階建てのこの建物自体は、万古代わらぬ田舎の風景の中、たくましく立派に存在し続けている。その二階の、かつて駅長のものだったらしい部屋を図書室と決めたあなたは、本棚をととのえ、本を運び込むことにする。

 あなたが最初に持ち込んだのは、あなた自身の蔵書である。家にあふれていた本を「図書館」に持ってくると、意外にさほどの量とも思えない。漫画の単行本も文化といえば文化だが、涙を飲んで除外することにすると(それでも「火の鳥」だけは入れておこうか、いや「サザエさん」がいいだろうか)、いかにも棚が空いている。それに、いわゆる「名作」や、これから必要になるに違いない実用書のたぐい、医学関係や釣りや農業やそういったさまざまな知恵の本よりも、あなたの蔵書はミステリやSF、エンターテイメントとしての現在の小説にはるかに偏っている。今あるものを残してゆくしかないのだから、それでいいかと思いつつも、若干後ろめたさは否めない。

 といって、道路も鉄道も寸断された今となっては、はるばる街まで出かけ、今やあるじもなく読まれる時を待っているはずの、大型書店や図書館をあさることもできないのだった。生活の苦しさが、めったに遠出をするような贅沢を許さないし、思い切って遠出をしても、本を五冊も抱えて帰ればへとへとになってしまう。あなたは、比較的近くにある小さな、キオスクのような規模の本屋の跡地から何十冊かの本を運び込んだりして、どうにか体裁を整えようと、努力する。

 そう、努力である。長いながい下り坂を下ってゆく「町」、毎年誰もが笑わなくなってゆく小さな共同体にあって、あなたはひたすらに努力を続ける。少しずつ本を集め、小学校あたりから掘り起こした「蔵書シール」を貼り、貸し出しカードを整え、蔵書目録を執筆し、にわか司書として自分の図書館を玉のように磨き続け……そうして数年が経って、気が付く。

 誰もあなたの図書館に本を読みに来る者がいない。

「町」の大人たちは生きてゆくだけで精いっぱいで、小説を読んでいる暇などないし、子どもたちについてもそれは同じなのだった。いや、かつての学校で文字を、物語を習い覚えた子どもたちが大人になり、新たな子どもたちが生まれるに連れて、ますます状況は悪化している。そもそも物語を楽しむことを知らない者が、どうして本からさまざまなことを学べるというのか。あなたは、深い無力感にさいなまれながらも、といって他になすすべもなく、これだけ集めた本をほうりだすのも忍びなく、ただ図書館の管理を続けてゆく。初めの情熱はすっかり失われてはいたが。

 以上、いきなりこんなへっぽこ二人称物語を読んでいただいたわけだが、まだみんなついて来てくれているだろうか。こんな話を書いたのは他でもない。とあるローカル線の駅に、こういう図書館が実在するからである。駅舎の二階、五メートル四方ほどの部屋の中に蓄えられた蔵書は、まるで個人の本棚のようにジュブナイルから「超訳」モノ、古本としての価値があるのではないかと疑うほど古い文庫本まで(星新一の「進化した猿たち」にハヤカワ文庫版があったとは知らなかった)。管理者はおらず、鍵もかかっておらず、特に貸しだしのルールなど何も書いていないままに、ただ放り出してあるように見える。ドライブの途中、まったくたまたまに、この駅に入ってみた私たちは、なんでもない田舎の駅にこのような空間が蔵されていたことに心底驚いた。

 そしてこの駅舎の一階には、切符売り場を兼ねた喫茶店があり、こちらはにぎやかに、地元の中学生たちの溜り場になっているのだった。仲間内で騒ぎ、缶ジュースを飲みながら、一台だけ置かれたゲームに興じる彼らは、頭上に読みきれないほどの「楽しみ」が積まれているということを、果たして知っているや、否や。


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