休肝日はいつも明後日

 いきなりだが、問題である。上のタイトルに関して、どうしてお酒を飲まない日、休肝日はいつも明後日なのだろう。「明日」ではいけないのはなぜだろうか。ただし、発言者(私)の大目的として、飲める酒の量を最大化したい、できれば禁酒日を迎えたくないということを前提とする。

 誰にもわかるわけがないので、もう答を書く。なぜならば、休肝日を明日と宣言してしまうと、次の日の夕飯のときに困るからである。仮に明日になってから「やっぱり休肝日は明日にしようかな」と宣言しなおしたとして、しかし買っていなくて家にビールがなければ飲むことはできない。それを避けるためには休肝日は明日ではなく明後日でなければならないのだ。えーとその、うちにはビールの買い置きがないのだ。そういう家なのである。

 そんな私も今年で三一歳になる。二〇〇二年という年は、別に世紀の終わりでも始まりでもなくノストラ予言の年でもなくて、平成も一四年と中途半端、私の年齢も別になんということはない歳で、書くべきことがあまりない。これは数字だけのことでもなくて、二千年までにナントカしよう、とか、二一世紀までにはナントカが実現するに違いない、とか、そういう長期展望に立った計画がたてづらいということでもある(二〇三〇年までに、などと計画を立てても、すぐ忘れそうである)。

 もちろん、深くは言及しないものの年号のほうはそのうちまた「元年」が巡ってくるだろうが、それは計画の目標としては、あたりまえだが使いにくい。今年だけではない。これから先、私が生きている間に二〇〇〇とか一九九九などというきっちりとした西暦年を迎えることは決してないのかと思うと、どちらかといえば少し不安を感じたりもしてしまう。あの電柱まで走ろう、次の電柱まで走ろう、とマラソンを続けてきたランナーが、ふと気が付くと美観地区に入り込んでいてもう電線は全部埋設されていることに気が付いたような、そんな気分である。

 それでもこの緊縮財政とデフレの風吹きすさぶ世の中を生きてゆかざるを得ないわけだが、このお正月を迎えて、書いておきたいのが発泡酒のことである。この文章は未成年の方も読んでおられるとは思うが、ここはひとつどうだろうお正月であるしそんな固いことは抜きにするとして、みなさん、発泡酒、好きですか。

 ここで言う発泡酒とはもちろん、アサヒ「本生」とかサッポロ「北海道生絞り」とかキリンの「白麒麟」とか、あんまり挙げてもしようがないが、そういういわばビールのパチモンのことである。詳しくは知らないが、お酒にかかる酒税の税率が含有麦芽量で決まるらしいので、何か他の妖しげなものでアルコール醸造を行っている発泡酒は、ビールより安い。もちろん、麦芽を減らしてもおいしいビールができものであるならみんなそうするわけで、一般に発泡酒はビールよりもうまくない。そこを何とかゴマカしてビールっぽくするために各社はしのぎを削っている。

 先の段落、読み返してみてやけに辛辣に過ぎる書き方になっているが、私は別に発泡酒は嫌いではないということを声高に主張しておかねばならない。むしろ私のささやかな晩酌はたいていが三五〇ミリリットル入り発泡酒一缶で、もともと味に敏感なほうではない私は、冷たく冷えた本生なり北海道生絞りなり白麒麟なり、あんまり挙げてもしようがないが、こういうもので完全に満足できるのである。安いのであれば言うことはない。うん、ビールなしでも生きてゆけると思う。

 しかしながら、この安さはどこか後ろめたい、本来得るべきではない儲けをむさぼったための安さであるような気は、ずっとしている。私のような人間にとってはこの税制はありがたいものなのだが、本年度の発泡酒の税率引き上げが見送られた、というニュースを見たりすると、これでいいのかと心配になってしまうのだ。

 発泡酒はうまい。少なくとも、私にとっては十分なおいしさである。このおいしさを私のような消費者に届けるため、税制とのかねあいを探りつつできるかぎりの味を作り出すために頑張ったメーカー各社の努力を軽んじるわけでは決してないのだが、しかしそれでは本来のビール、税率による制限などなしにおいしくするためにおいしくしたビールを作っていた人々の努力はどうなるのだ、と思うのである。本来はこのような正直な努力こそ、むくわれるべきものではないか。味以外の原因でビールが敗北するなら、たとえば発泡酒が安さを武器にビールを駆逐するなら、それは長い目で見て結局日本のビール生産技術にとってためにならないことである、と思う。

 といって、どうすればいいのか、私には答が出せない。単純に考えれば、発泡酒の税率をうんと引き上げて同時にビールの税率をちょっぴり引き下げればと思うが、うまくいかない理由がありそうにも思う。たぶん駄目だろう。こんなことを書いている私にしてからが、正直な努力が報われる世の中であって欲しいという思いはあれど、コストと効果とのかねあいを考えると、自分にとってのベストは発泡酒である、と結論せざるを得ない。いざ増税があると、後先考えず嫌な顔をしてしまうに違いないのだ。

 そういうわけで私は今日も(お正月なので二缶)発泡酒を飲んでいるわけだが、ふと、二〇〇二年の先、見通しが悪いなりにいつかそのうちの、二十年後三十年後のことを考えることがある。この先、自分の子供が生まれて大きくなって、ビールをおいしく飲める年齢になったとして、父がこんなものを飲んでいたことについてどう思うだろうかと。我々が「メチルアルコール入りバクダン焼酎」とか「代用コーヒー」に抱いているのと同じような、うら寂しい気持ちになって、かわいそうな父に同情を寄せてしまうのではないかと、想像してしまうのである。

 要するに、そんなことないのであると、少なくとも私に関して言えば、実は結構満足して、馬鹿だが楽しい飲酒活動を行っていたんだということを、年頭にあたってどこかに書いておきたいと思ったわけである。いや、依然として、後ろめたくはあるけれども。


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