ヨタの話

 科学が現実の世界と大きく異なる特徴の一つとして「誰からも開かれてある」ということが挙げられる。必要なことはすべて明快な形で文章にされていて、望めば誰でもいつでも参照することができる。そこには仲間内だけの秘密も不文律も、社会的階層も圧力も根回しも複雑な力関係もない。すべての科学者は自分の手の内をすべて場にさらした上で、自分の知恵と工夫と努力の積み重ねのみを武器に、科学という伽藍に次の石を積む権利を競い合い、互いに磨き合うのである。多くの人々が、それこそ1970年代の初頭に兵庫県の山中に生まれた大西という名前の少年をはじめとしたたくさんの人々が、その点にこそ大いなる慰めを見出してきたのだと思う。

 だが、そういった理想は理想として、必ずしも現代の科学がそのように運営されているかというと、そんなことはない。先の少年をあとで少々がっかりさせたように、現実の科学者たちが作っている学会などの組織もまた、考えてみれば現実の世界の組織の一つであり、他の組織同様にさまざまな欠陥を内包しているものだ。人間が作るものであるから、ある程度はしかたない。

 ただし、比較としての問題であれば、一般に、学会など科学に関連した組織がだいたいにおいてうまくやっているのは確かである。これは主として、科学で扱う問題は誰の目にも勝ち負けがはっきりする、というのが理由ではないかと思う。これがたとえば「ここで消費税率を引き下げることで景気が回復するか否か」であれば、良心ある経済学者なら誰にも断言できないことだし、一度うまく行ったからといって次も(または別の国でも)役に立つとは限らない。それでも決定はしなければならないのだから、結局最後は多数決で(いっそコイントスで)えいやっと決めるわけで、これでは反対意見を持っていた人は後々まで納得できないのである。科学の手続きにおいては、少なくとも理想的には反対者も納得させられてしまうので、その点は明快である。

 科学がもともと持っていて、この現実世界にもときどき姿を現わす、そういった理想主義的な働きの一つとして、単位の問題がある。長さや質量、磁場や力などを測る単位は、一時期非常にごちゃごちゃして、分かりづらいものだったのだが、新たにSI、国際単位系というものが定められ、すっきりと統一された。メートル、キログラム、秒(それからアンペアにケルビンにモルにカンデラ)という基本単位をまずおいて、すべてをこれから作ってゆこうというものである。たとえば力の単位はニュートンで、これは1「キログラム」の物体に作用させると1「メートル」毎「秒」毎「秒」の加速度を生じる力の強さのことである。メートルとキログラム、秒さえちゃんと定義しておけば(してあるのだが)、これでしっかりと単位は定義される。

 実際のところ、力の大きさを実感として理解するには、ややこしい定義がされたわけのわからないニュートンとやらよりも「1キログラム重」つまり1キログラムの物体を持ち上げるのに必要な力を単位としたほうが直感的である。しかしそれでは場所によって微妙に力の大きさが異なるし(この和室が6畳て、どんな畳やねん)「地球の重力加速度」などという余計な変数が入ってくるので、過去のしがらみはさて置いて、ニュートンを使うことになっているのである。非常に理想主義的で、なんというか、科学的というべき定め方だと思う。1キログラム重は約9.8ニュートンに当たる。

 しかし、そんな理想に燃える単位系も、人間が使うものであるから、文化的な制約は残っている。その隘路は「接頭語」にある。接頭語というのは、単位の頭につけて、それがもとの単位の何倍かを示す文字である。要するにこれのことだ。

ヨタゼタエクサペタテラギガメガキロヘクトデカ
da
1024102110181015101210910610310210
デシセンチミリマイクロナノピコフェムトアトゼプトヨクト
μ
10-110-210-310-610-910-1210-1510-1810-2110-24

 特に両端のほう、なんだかわからなくて不安になる人もいるかも知れないが、要するに「ミリメートル」とか「キロボルト」という時のミリやキロのことである。理屈の上では、いかなるSI単位でも、この接頭語をつけてその何倍かの単位を作っていいことになっている(※1)。たとえば1マイクロアンペアというと、百万分の一アンペアのことである。1ギガヘルツは十億ヘルツのことだ。

 ここまではよい。問題は規則を文字通り適用してはいけない、なんでもかんでも接頭語をつけていいものではない、というところにあるのである。100メートルのことを「1ヘクトメートル」とか「10デカメートル」と言わないのは、規則が禁じるからではなく「誰もそうは言わない」というはなはだ非科学的な理由による。ヘクト、デカ、デシ、センチの4つを使う場面は、歴史的、文化的に決められたいくつかの場面、センチメートルやデシベル、ヘクタール、デシリットル、それから新たにヘクトパスカル(※2)、というところだろうか(アールやリットルはSI単位系ではないが)。

 そしてもちろん、表の両端、非常に大きい接頭語と非常に小さい接頭語は当然のことながらほとんど使われないので、使わないほうがいいとされるのである。たとえば「ヨクトメートル」だの「エクサグラム」よりは10-24メートルであり、1015キログラムと書いたほうがよいのだ。明確な理由はない。「誰もそういうふうには書かない」「ピンと来ない」「覚えていないので単位系ハンドブックを参照しなければならない」という理由でもって、指数表現のほうがわかりやすいからである。

 中くらいの倍数を表す接頭語にも、いかにも因習的な、使われ方の濃淡がある。たとえば以下長さに限って話をするとすれば、私の感覚では、ミリメートル、マイクロメートル、ナノメートルはよく使うが、ピコメートルは誰も使わず、フェムトメートルになるとまた使われる(それ以下はまったく使わない)ということになる。要するに、ミリメートルから順に、実験装置の設計単位(ミリ)、薄膜の厚さ(マイクロ)、原子の大きさ(ナノ)という使い道があるのに、ピコメートルくらいに相当するものがないという、そういうことなのだ。フェムトメートルは、実に嘘臭い響きのある言葉だが、実はちょうど原子核がそれくらいの大きさなので、原子核物理学などというものをやっていた私にとっては意外になじみが深い単位である。しかしそうではない多くの人々にとって(それはもう、原子核ではない物理学をやっている人にとってすら)フェムトメートルはちょっと突飛な単位とみなされると思う。

 小さいほうはいいとして、大きいほうの長さの単位の使用状況はあまりよく知らない。天文学者や宇宙論学者はそれくらいの長さを日常的に使うと思うのだが「天文単位」や「パーセク」の代わりに「ギガメートル」や「テラメートル」は果たして使っているものだろうか(もともと「光年」はあまり使わない、と聞いたことがある)。「キロパーセク」や「メガパーセク」という言葉があるくらいなので、どうもSI単位系を使っていないような気がするのである(※3)。だとすれば、キロメートルより上に、よく使われている長さの単位はないことになる。あと七つ、二一桁ぶんも定義してあるのに。

 そういうわけで、もしかして「ヨタメートル」だの「ヨクトメートル」だのと口走ることは、少し恥ずかしいことなのかもしれない。その単位が使われている世界がどこにもないのに、そういう言葉を使うということが、いかにも薄っぺらい知識をひけらかしているように見えてしまうからである。こういうことで恥ずかしさを感じなければならないというのが、そもそも科学の本質からはかけ離れているのだと思うのだが、どうも「ヨタ」という言葉を聞くと、昔「無量大数倍」「無量大数円」という言葉を使っていた自分自身を見るようで、やりきれないのだ。ヨクトよりも、フェムトが通っぽくて、格好いいと思う。科学的ではないけれども。


※1 キログラムだけは「キログラム」が基本単位で「グラム」はそうではない(つまり「ピコグラム」は基本単位であるキログラムの10の15乗分の1ということになる)。これはSI単位系にひそむ小さな傷の一つだ。
※2「ヘクトパスカル」というのは1パスカルの百倍の単位である(ちなみにパスカルは圧力の単位で、1平方「メートル」に1「ニュートン」の力が加わるときの圧力)。つまり1ヘクトパスカルは100パスカルに等しいということがわかる。なぜこれがわざわざ導入されたかというと、気象学で伝統的に使われている圧力の単位「ミリバール」に数字が等しくなるからである。ニュートンもこの伝で「デカニュートン」を使っておけば、キログラム重との換算が楽になるのだが。
※3 キロ、メガ、ギガ、テラ、ペタと続く系列を私が記憶できているのは、もっぱらコンピューター業界のおかげである。記憶装置の容量がキロバイトからギガバイトに、処理能力がテラフロップス、ペタフロップスと漸進してきたおかげで、直感的に(あるいは指折り数えて)、これらの大小を判断することができる。
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