「サラリーマン」を「リーマン」と言う人がいるように、ある種の人々はハードディスクのことを略して「ハード」と呼ぶ。広く意見を募るとこの略称はあまりいい顔をされないはずで、これは一つには、コンピュータ関係の用語で単にハードと言えば普通は「ハードウェア」のことだからである。英語圏でも同様に略されて言われているのか今ひとつ確信が持てないが、ただ、ハードウェアという言葉を聞いたことも使ったこともない人にとっては、ハードはもうあるのでハードディスクは略さないとがんばるよりも、略称ハードという栄冠をハードディスクの上に与えたほうが効率的なのは確かである。
効率的なのは認めるとして、しかしこれは一種の「愛の不足」ではないかと思う。過去の使用例と紛らわしくない略語を作るためには、それまでの言葉の使われ方がどうであるかを知っていなければならない。少なくとも、知ろうとする「愛」が必要である。すなわち彼らニューカマーにとって、これまでコンピュータを使ってきた人々がハードという言葉で何を指しているかということは、ゲオルグ・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマンが数学者であるのと同じくらいにどうでもよいことなのである。考えてみれば、悲しいことだ。
似たような状況は、たぶんどこの世界でもある。軍事ファンの人生には「それは軍艦だけど戦艦じゃない」「軍用機だけど戦闘機とは言わない」と言いたいことが何度もあるだろうし、歴史の知識のある人は「試合に負ける原因になった人」という意味での「戦犯」という言葉遣いには少なからず違和感を感じるのではと思う。それが、SFにもある。典型的な例を引くと、ロボット、アンドロイド、サイボーグの違いである。
実は、二一世紀になってしまうと、どれ一つ取っても古臭い言葉になってしまっていて、これをいまさら解説すると当のSFファンからも失笑を買ってしまうのではないかと思うが、この三つにはこういう意味の差がある。
○ロボット:人間に代わって仕事をする機械。
○アンドロイド:ロボットのうち、人間そっくりに作られたもの。
○サイボーグ:人間が、体の一部の機能を機械で置き換えたもの。
書いてみると実際ややこしいが、こういう細部にこだわるのがファンのファンたるゆえんであり、愛の深さでもある。愛ゆえに「ロボットじゃないよアンドロイドだよ」などと主張したりもするのである。
つまり、ファンだけに通じる微妙な違いかも知れないのだが、ともかく、この三つはそれぞれ異なっている。サイボーグは基本的に人間だが、他は機械である。ロボットは無口だったり話すときはカタカナで話すが、他の二つは人間っぽくしゃべる。そしてアンドロイドは、ええと、「自分は人間ではない」というジレンマに悩むが他の二つはそんなことないのである。ああ苦しい。基本的には、今これを読んでいる方はサイボーグにはなることが可能だが、他の二つには絶対になれないはずである。いや、世の中には「検索ロボット」というものがあって、このページもすぐロボットによって収集され、分類されることになるのだが、まあ、それは「読んでいる」というのとはちょっと違う。だから、ほれこのようにして、ロボットの悪口を書いても平気なのである。ロボットのばーか。はーげ。鉄あたまー。
いま全検索エンジンを敵に回したような不吉な予感がしたが、続ける。ここで、ちょっとサイボーグについて考えてみよう。ロボットが今や産業用ロボットであり、またアシモのような「歩くロボット」もそろそろ実用化されてきたところだが、サイボーグはどうだろう。人工臓器の類は徐々に実用化されていっていると思うが、実はもっと身近に、サイボーグへの道は通じているのではないかと思うのである。
たとえば、腕時計はどうだろう。昔、多分中学生くらいのときに、初めて腕時計を買ってもらって身に付けてみて、これは一種のサイボーグではないか、と思って、その考えにくらっとしたことがある。なにしろ、着脱が自由とはいえ、腕時計というものは付けているときにはほとんど意識せず、体の一部として存在している。ただいるのではなく、信頼できる「機械」としてそこにあって、いったん身に付けていれば、知りたい時にはいつでも時間がわかるようになるのである。幸いにして私は目がよいほうで、眼鏡を使っていないのだが、普段眼鏡を使っている人が眼鏡に対して感じているのも、似たような感覚ではないかと想像する(ほら「眼鏡は顔の一部です」という諺もある)。機械でないぶん、サイボーグ感はいささか劣るとは思うが。
もちろん「時間が分かる」というのは人間のもともと持っている能力ではないので「体の一部の機能を機械で置き換えたもの」とはちょっと違うわけだが、それでは、虫歯に入れる金属の詰め物はどうだろうか。これは確かにサイボーグ臭い。取り外しができないから時計や眼鏡よりも「体の一部」と言えるし、機械ではないものの、一度金属にしてしまえばもうあの痛いいたい目には合わなくて済むのであるから、本来の歯よりずっと性能がいい。だいたいどうして、ただそこにあるだけでいいはずの歯にご丁寧に神経が通っているものか。虫歯になって歯が抜けたら抜けたでいいではないかと思うのだが、サイボーグ技術はそうした不満を乗り越えて、おにぎりに入っている梅干しの種を噛んでも折れたりしない、素晴らしい金属の歯を我々に与えてくれるのである。そういえば、歯医者の治療は仮面ライダーが改造されるシーンにとてもよく似ている。残念なことに治療中に「やめろショッカー」と叫ぶことはできないが。
と、ここまで書いてきて、気が付いたのだが、本当のSFファンはもしかしてこれを読んで「入れ歯や腕時計のどこがサイボーグなものか」とか「なんだあのロボットの定義は全然わかってない」とか、そういうことを言うのだろうか。なんだか、そうに違いないという気がしてきた。人並みに、いや、並のファン程度にSF的な用語には愛を持っていたつもりなのだが、もしかしてそれは「歪んだ愛」だったのかもしれない。ごめんなさいごめんなさい。許して下さいもう一回「ハイペリオン」三部作読みますから。途中で投げ出した「ニューロマンサー」も最後まで読みますから。