明日がアルファ

 まずは豆知識を一つ。「ティッシュ」というのは薄い柔らかな紙、ちり紙のことだが、もともとティッシュとは金箔のことだった。薄く延ばした金箔は、紙に挟んで保管する。その紙が「ティッシュ(金箔)に使う紙」という意味で「ティッシュペーパー」と呼ばれていた。ところが、やがてそのあたりの経緯がいつの間にか忘れられ、省略されてしまい、薄い紙そのものを「ティッシュ」と呼ぶようになったのである。アシモフあたりの書いていたことではなかったかと思う。

 さて、時代は前世紀、二〇世紀のはじめである。ニュージーランド生まれの天才的な実験物理学者、アーネスト・ラザフォードは、アルファ線を使ったある実験を行っていた。

 アルファ線は、ラザフォード自身が発見した放射線である。現在「放射性物質」と呼ばれているある種の原子が、フィルムを感光させたり空気をイオン化したりする何らかの形のエネルギー、すなわち「放射線」を放出しているということが既に知られていた。その放射線が、少なくとも二つの成分、行く手の物質を貫いて短い距離しか進めないものと、長い距離を進めるものに分けられるということを発見し、それぞれを「アルファ線」と「ベータ線」と名付けたのがラザフォードである(ガンマ線はもうすこし後の発見になる)。これも彼がのちに発見したことだが、アルファ線はヘリウムの原子核と同じ、陽子二つと中性子二つが結びついた重粒子で、ベータ線は高速の電子である。アルファ線はベータ線に比べて、物質を強くイオン化する。相互作用が強いということは、失うエネルギーも大きいということで、あっというまに止まってしまうのだ。

 これだけでも凄いことだが、そのすぐ先で、ラザフォードが見つけ出したことこそ、のちに彼の最大の功績に数えられる衝撃的な発見だった。彼の興味はやがてアルファ線そのものではなく、アルファ線を使った実験のほうへと向かった。アルファ線は、薄い物質を貫いてその向こう側でも観測することができる。ラザフォードは注意深い実験を行って、アルファ線が必ずしも物質を真っすぐに貫いてくるわけではないことを見い出した。アルファ線の粒子は、ときどきだが、その軌道を少し曲げられて出てくるのだ。おそらくは、物質の中には強い電場が存在していて、そこでプラス2の電荷を持ったアルファ線は力を受け、針路を曲げられるのだろう。計算してみると、ちっぽけな領域に信じられないくらい大きい電場が存在することになるのだったが、曲がるからには確かにその電場はあるに違いない。アルファ線はつまり、そういった「物質を構成する原子はどのような構成になっているのか」を知るための道具となるのである。

 アルファ線はどれだけ曲げられるのだろう。彼は弟子マーズデンに命じて薄い金属箔にアルファ線を照射する実験を行った。今回は板の反対側ではなく同じ側、アルファ線源の隣に検出器が置かれる。もちろん、アルファ線源から箔に行かずに直接に検出器に飛び込むアルファ線があったりしないように、厳重にアルファ線の通り道は制限されなければならない(これはちょっと分厚い物質なら達成されるということを、彼自身が発見している)。検出器がアルファ線を感じれば、それは金属箔で跳ね返ってきたアルファ線の存在を意味する。

 結果は、然り、アルファ線のうちほんの一部だけだが、確かに金属で反射され、戻ってきたのである。それは、それまでに発見された強い電場に比べても遥かに強い、ほとんど本質的に違う何かだった。イヤなたとえだが、ご飯の中に石が混ざっているように、時々アルファ線はなにか金属原子の中にある「非常に固いもの」に当たって返ってくるのだ。これがつまり、原子が、原子核と呼ばれる質量の集中したコアと、その周囲を薄く広く取り巻く電子という、中央に集中した構造になっていることの、はじめての直接的な証拠だった。原子核。人類は、原子の内側の世界のしくみを、はじめて解明したのである。

 物理を学ぶ学生ならたいてい知っている発見の歴史をだらだらと書いてしまったが、お許しを願いたい。書きたかったのは、実は次のことなのである。その発見のとき、ラザフォードが発したと言われる有名な言葉があって、それこそ「物理を学ぶ学生ならたいてい知っている」話なのだが、こういうものである。

「ティッシュに一五インチ砲弾を撃ち込んだら、跳ね返ってきて自分に当たったようなものだ」

 一五インチ砲というのは、日本風に言えば「三八サンチ砲」(※1)ということになる。たとえば太平洋戦争中の日本の戦艦で言うと、金剛級よりも大きく長門級よりも小さい口径だから、この言葉が発せられた段階(二十世紀初頭)の常識では要するに「最大クラスの砲」「作りうる最大の巨砲」ということだと考えて大丈夫だろう。ティッシュペーパーで砲弾が跳ね返った、というイメージは鮮やかで、その点では単に「巨砲」と言えばいいような所でわざわざ数字を言うのは素晴らしい。何とも痛快なたとえである。

 しかし、ここで問題がある。何もラザフォードにけちをつけようとか、そういうことではないのだが、本当にこのたとえは適切なものなのだろうか。これを現在に伝えた人々は「すばらしい比喩だ」とただ感心して伝承したのだろうか、それとも「ちょっと大げさなんじゃない」という苦笑も、もろともに伝えているのだろうか。

 私の不安を分かってもらえるだろうか。端的には、少なくともこの話を聞いた大学生の私にとっては、どうも、アルファ線が、一五インチ砲弾にたとえられるほど強力なものだとは思えなかったのである。初めのほうに書いた通り、アルファ線はアルファベータガンマの中でも最も到達距離が短い放射線である。物質に対する効果も、イメージで書けば、ベータ線を徹甲弾、ガンマ線をレーザー砲(※2)とすれば、アルファ線は榴弾のような働きをする。命中した装甲板の表面で炸裂して、そこにだけ大きな被害を与えるのだ。そういうものに「一五インチ砲弾」の名前はふさわしいかどうか。いや、一五インチの榴弾だって、あってもいいのは確かだが。

 そして、冒頭のような豆知識があったりすると、話はもっとややこしくなるのだった。実はラザフォード(あるいはマーズデン)が実験に使ったのはずばり金箔なのである。他の金属でもいいようなものなのになぜここで金箔なのか、よく知らない。たぶん、金は特にやわらかくて薄く延ばせるのでアルファ線の実験を行う上で都合がいいのだろう。「ティッシュ」という単語が一九世紀ニュージーランド生まれのラザフォードにとって「金箔」という意味を少しでも含んでいたかどうか、そんな可能性は正直言ってあまりないと思うが、もしもそうであれば、この比喩の構造は階梯をひとつ滑り降りて、アルファ線と一五インチ砲弾の間だけの比喩になってしまう。そうでなくてもティッシュペーパーと金箔との間に装甲性能としてあまり差があるようには思われないが、とにかくアルファ線と一五インチ砲、どっちが強いかという話にならざるを得ない。

 私は、一五インチ砲弾を食らうのはちょっと怖いのだが(理由:たぶん骨も残らないから)、アルファ線をひとすじ腕あたりに照射されるのはわりあい平気だ。もしかしてラザフォードは、何事も少し大げさに言う癖があったのではないだろうか。いや、たぶんアルファ線が他の物質を貫く様相と、その高速度による「曲げられにくさ」は、正しく一五インチ巨砲弾に相当するものと考えて、そんなに突飛ではないのかもしれないのだが、いささか誇大に言ってみた、という感覚が、彼の中にあると楽しいと思うのだ。それもまた、歴史に名を残す実験物理学者になるために必要な、重要な要素の一つであるという気がするからである。


※1「サンチ」というのは、センチメートルのことなのだが、歴史的な経緯から砲の口径に関してはこの表記を使うようである。有名な戦艦「大和」は四六サンチ砲を搭載していた(一八インチ砲に相当する)。
※2 ただし「グラディウス」のようなシューティングゲームにおける、敵を貫通するところのレーザー砲である。
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