キウィの功を一簣に虧く

 グレープフルーツのどこがグレープなのかというと、木になっている姿が、だそうである。あの、黄色い巨大な実がたくさん、ブドウのように房になってなっているところを、そういえばテレビなどでもあまり見たことがないのが不思議だが、とにかくそういうものらしい。しかし、だからといってグレープフルーツという命名法はなんだか変だということは、声を大にして言いたい。よく考えたらグレープもフルーツには違いないのだから、これは「コーラドリンク」とか「モンキーアニマル」みたいなものだ。「スモウレスラー」や「レイクビワコ」にもちょっと似ている。

 さてキウィである。単に「キウィ」と言った場合、二種の存在、鳥と果物のどっちなのかややこしい。この二つを見るとまったくもってほほえましいほどそっくりさんであり、命名においてどちらかがもう一方に典拠したのは誰の目にも明らかだが、さあそれでは、どちらが親でどちらが子なのだろう。どちらも、キウィバード、キウィフルーツという注釈付きの呼び方をする。グレープフルーツからの連想ではフルーツのほうが後のようだが、キウィバードはニュージーランドの鳥なのでいかにも歴史が新しそうだ。

 結論を書くと、実はこれは鳥のほうが元祖らしい。原産地のニュージーランドで、まずキウィバードにこの名前がついた(鳴き声なのだそうだ)。キウィフルーツのほうは、もともと中国だかどこかの原産で、それまでにも別の名前で販売されていたのだが、今ひとつ人気がなかった。ところが、キウィバードにあやかって「キウィフルーツ」と名づけたところこれが大ウケ、世界中にキウィフルーツとして出荷されるようになったのである。

 キウィフルーツの語源がそういうことであるのなら、ニュージーランドはバードはともかくフルーツのほうとはあまり縁もなかったのではないかと思うが、何の事はない今やキウィフルーツの産地である。ニュージーランドに行くとキウィまんじゅうとかキウィせんべいとかキウィ飴とか、まあそういったようなものを売っていて、もちろんこのキウィは鳥肉ではなくて、フルーツ味だ。あまりそういうことにはこだわらない人たちらしい。

 本当に、山形がさくらんぼであるように、ニュージーランドはキウィである。ニュージーランドのこだわらなさっぷりは素晴らしく、彼らは自分達のことを「キウィ」と呼ぶ。と書くとなんだかわからないが、たとえばオーストラリア人で言えば「オージー」である。よく聞くオーストラリア産牛肉「オージービーフ」はたぶん「江戸っ子寿司」「道産子ラーメン」というような語感なのだろう。「俺達オージーは」という言い方をするのだ。それと同じように、ニュージーランドの人は「わたしたちキウィは朝は歯を磨かない」という、いやそういう主義かどうかわからないが、とにかくそんな感じの表現をするのだという。従って、ニュージーランド産の牛肉は「キウィビーフ」であるはずだが、さすがにその名前は宣伝には使いにくい。牛なんだか鳥なんだか果物なんだか。

 以前、埼玉に住んでいたとき、「彩の国」というスローガンを見かけるたびに良くない感じがしていた。埼玉の「さい」に「彩」という文字を当てて埼玉の素晴らしさをアピールするということなのだと思うのだが、特にこれを行政主導でやるというのは、あまり格好のいいことではない。「ダサイタマ」などと言われのない蔑称で呼ばれてしまう風潮をなんとかしたいという気持ちはわかる。しかしだからといって自分で自分に格好よさげなあだ名をつけることほど子供っぽく、格好悪いことはないのである。実態を伴わない、表面だけを取り繕った美称を名乗ることで、どうして県民が県を愛する心が生まれるだろう。あだ名が気に入らなければ本名で勝負をしようではないか。私は埼玉県での生活を気に入っていたのだが、それは断じてそこが「彩の国」であったからではない。環境的にはいまだに畑がありニンジンが植わっていたりしたからで、実利的には家賃が安くて暮らしよかったからだ。

 そしてそれとは逆に、キウィの国ニュージーランドにはどうにも憧れを感じてしまうのだ。実態はどうだかわからないけれども、肩の力が抜けた、いい国なのではないだろうか。自分達の呼称としての「キウィ」は、他人から底の浅い美称と言われない程度には格好悪く、しかしじんわりとした愛国心を感じてしまう程度には格好いい。そして、何と言ってもキウィこそは誰はばかることない誇らしい特徴、借り物ではなく、彼ら自身のものなのである。いや、よく考えてみるとキウィフルーツはそうではないのだが、まあその、キウィたちはたぶんそんなことは気にしていないと思うのである。


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