楽しかったけれど終わってしまった、このワールドカップに向けて書かれたいろいろな文章の中に、こんなことが書かれていたのを思い出した(これである)。「べつにそれはサッカーである必要はなかったのかもしれない」。しかしそれはサッカーだった、と。その通り、抜き差しならずどうにもサッカーなのだが、しかしサッカーでないといけなかったわけではあるまい。もちろん、ある程度は人気が人気を呼ぶというところがある。転がりだした車輪は止められず、もはやどうにもならない。しかし、もしも最初からやり直すとすれば、もう一度同じ世界になるとは限らない。きっかけは実にささいなことであったと思う。
では、歴史を自由に書き換えられるとして、どういうものが人気のあるスポーツであれば、一番よかっただろう。スポーツというものは体を動かすことそのものが楽しいもので、何だっていいといえばそうなのだが、あえて理想を言うならば、いろいろと条件が出てくるはずである。
たとえばまず、高価な道具や特殊な環境が必要、というのでは困る。野球は、と考えると、開き直れば新聞紙のバットと新聞紙のボールでも遊べることは確かだが、道具にそこそこお金がかかるほうではないかと思う。相撲やレスリングならまったく道具はいらないし、サッカーやバレーならボール一つあればみんながそれで遊ぶことができる。これは素晴らしいことだ。逆にゴルフやポロ、スケート競技、いろいろなモータースポーツは、事情によってどうしても入門できない人々が多く出る。そもそも勝敗に道具の良し悪しが強く影響するようでは、理想のスポーツとは言えないように思う。
次に、勝敗が誰の目にも明らかなものがよい。フィギュアスケートや体操など、勝敗をつけるために客観的な評価者を必要とするものは個人では楽しめないし、そうでなくとも審判が大きな権限を持っていて、たった一人の人間の間違った判断が時には試合を左右してしまうようでは興ざめである。これは野球にもサッカーにも言えることだ。反則や失格の判定がない競技、理想的には審判がなくてもできるものがいい。またこれとは少し視点が異なるが、タイムを測定して速い方が勝ち、跳躍距離が長かったほうが勝ち、という種のものは、迫力の点でやや劣る感は否めない。最低限ゴルフやボウリングのように交互にプレイできないと、競っている感じが希薄になる。
さらに、課せられるルールはなるべく簡単なほうがよいだろう。野球はその点で、まったく感心しないスポーツである。投手が投げた球を打者が打つ。どこへ打ってもよいというわけではないのだが、打者は打ったらベースに向かって走る。ボールが戻ってくるまでにベースに到着すればセーフだがそれまでにタッチされたらアウトである(しかし、タッチが問題でない場合もある)。アウトが三つ(なぜだか三つ)になるまでに四つ(なぜだか四つ)のベースを決められた順に回ってきたらはじめて一点で、九回の(なぜだか九回の)攻めと守りを交替しながら最終的に得点が高いほうが勝ちである。普段何とも思っていないがこれは知らない人に説明しようと思うと相当骨が折れる複雑な競技で、よくこれを日本中で楽しんで見ているものだと感心する。サッカーなら、少なくとも骨組みについては「手を使わずにボールをゴールに、時間内にたくさんいれたほうが勝ち」と一文で表現できるのだ。簡潔なルールは、プレイヤーの裾野の広がりを意味する。
良し悪しなのだが、もう一つ、身長が高いほうが圧倒的優位、というような、身体的な差異があまり生じないものがよいかもしれない。これはスポーツである以上ある程度はしかたないことで、ダーツや射撃のようにまったくの「狙うゲーム」になると、これは体力とほとんど関係ないのでスポーツに分類されるのかどうかからして悩まなければならないが、とにかく「どんなにがんばっても身長が足りないばかりにレギュラーになれない」ではちょっと悲しい。私も背が低いほうなので、できれば、こういう人もこういう人なりに活躍できるようなものであって欲しいのだ(反対の例としては、乗馬やボートレースがある。小さいほうが有利だ)。差がつくとしてもサッカーや野球くらいの差であれば、まずしかたがないと思えるのだが。
付け加えるなら、プロスポーツとしては、団体競技で、かつ欲を言えば比較的高年齢まで一線で活躍できるようなものがよい。個人競技では一人のスター選手の興亡がそのままそのスポーツの人気になりかねないし、親子三代、長期に渡って一つのチームを応援し続けられるのはやはり、個人は去ってもチームは残る、団体競技である。また一人の選手が、たぶんチーム内での役割は変化しつつもその世界に残留して、活躍できるスポーツは、人生をそれに賭けたプレイヤーの人生設計に報いることになるし、選手が団体のカラーを生み出してゆくことにも、大きな利益をもたらす。たとえばサッカーはプレイヤーのピークが早すぎて、かつての名選手が去ってゆく速度に追いついてゆけないことがある(移籍が盛んであることもあるが)。四年前とまったく違うチームを応援しなければならないのは、辛いものだ。
他に「怪我の可能性」「性差をどう考えるか」「テレビ中継したときにコマーシャルを入れやすいかどうか」など、まだ条件はあるだろうが、まずここまでとして、しかしずいぶんと無い物ねだりになっただろうか。相反する要素もあるので、以上のような条件を全て満たすスポーツはどこにもないどころか、作り出すことさえできないかもしれない。野球に比べてサッカーはかなり条件を満たしていると言えるが、やはりさまざまに欠点がある。いろいろ考えてみたが、柔道はどうだろう。基本的には団体競技ではないが五対五の団体戦もないではないし、道具はほとんど必要ない。体重差は埋めがたい有利不利になるが体が小さくともそれなりになしようがある。ルールはわりあい単純である。格闘技なので怪我が怖いことと、審判の裁量がやや大きいことを除けば、かなりよいスポーツと言えるのではないか。
と、ここまで書いて、恐ろしいことに気が付いた。もしかしてゲートボールは、私の挙げた全ての条件をほぼ満たしてしまうのかもしれない。道具代はサッカーほどではないが野球よりはずっと安い(グローブや防具がないぶん)。競技場の面積も狭くていい。基本的に「当たる」「くぐる」の判定程度なので審判の負担は少ない。ルールはそこそこ簡単である。体の大きさはほとんど関係ない。団体競技であり、高年齢でも楽しめる。スピード感に欠けるのと、おそらくは体力や技術に磨きがいがなく、熟練者と初心者の差が小さいため、非常にうまい人即ちスタープレーヤーが出にくいきらいはあると思うが、ゲート間の距離を、たとえば百メートルくらいにしたりすれば、ひょっとして理想のスポーツとして長く人々に愛されるモノになりうるのではないか。とりあえず社会人チームを作ってリーグ戦を行うあたりからどうだろう。来たるべき高齢化社会に向かって、一つとっくりと考えていただきたいと思うのである。