ひかりのくに

 あの頃は私も子供でしたし、ろくな教育も受けていなかったものですから、これがどういうことなのか、いやそもそもそのとき世界がどうなっていたのか、さっぱりわからなかったものでした。ただただ不思議なことがあるものだとね。なにしろ呑気に暮らしていましたので、万事がその調子で。ずっと後になって、ショウイのことをつくづくと考えてみて、島に戻って調べてみたりもして、ようやくこういうことだったんじゃないか、と合点がいったわけです。いやまあ、よしんば合点がいったとして、しかし世の中が不思議なことには、かわりはありませんがね。ぽっぽれいぽ。あ、これは私の島の言葉で「人生ってそんなもんさ」というような意味です。ぽっぽれいぽ。

 彼が島にやってきたのは、私が九つのときの雨季の終わりでした。ある晩、眠れなくて、家を抜け出して海を見ていたら、隣の島、これは私の住んでいた島とは違って、周囲二キロくらいかな、中くらいの大きさの無人島です。その海岸あたりで明かりが揺れているのを見たんですね。月はだいぶ欠けていて、その光のほかにはなにも見えませんでしたが、とにかくなにか黄色い光が。時期も時期ですし(ちょうどその頃が私の島での「お盆」のような期間に当たるんです)、これは祖父の言う「先祖の霊」というやつじゃないのか、と、怖くて怖くて、どうしようもなくなって、家に帰って寝床に潜り込みました。その晩は怖い夢を見たことを覚えています。

 しかしおかしなもので、次の日の朝になって、太陽の光の下でよくよく思い出してみると、あれはなんだったのか、どうしても確かめずにはいられなくなりましてね。海岸まで降りて、服を脱いで、海にとびこんだわけです。いや、私の島では、よくそうやって島から島へと通ったものでしたよ。そりゃもう、私らの頃は子供の遊びといったら、そういうことしかなくて。いやいや。それでその島の岸に上がって、砂浜をこう、回り込んでゆくと、そこにショウイがいたわけです。私も驚きましたがショウイもびっくりした様子でした。

 夜半の水泳で芯まで疲れ切り、無人島らしいと通り一遍の確認をしただけで、そのまま砂浜で眠ってしまったようだ。目が覚めて、周辺を見回すと、正しく無人島である。登り始めた太陽が目に痛く、とにかく起き上がる。ふ、と不安になり、懐を探るとちゃんとそこに図面が存在していた。油紙を広げて、光の下で中身を確認してみたが、大事ないようだ。胸をなで下ろし、あらためて砂浜に打ち上げられた機体の様子を見に行く。中身についてはなんともわからないが、少なくとも艦から射出されたドラム缶、六本ともがこの砂浜に打ち上げられている。失われたものが一つもないのは奇跡に近い。とりあえず満ち潮に流されない位置に苦労して引っぱり上げてから、遠く海を見る。これを幸運と言ってよいものか、照り付ける太陽の下、白い砂浜には、私と、この機体のつまった缶の他は靴ひとつ落ちてはいない。絶望しかけて、ふと顔を見上げると、そこに裸の少年が立っていた。

 ショウイは驚いて、腰に手をやったりしたあとに、やっとこちらが子供だと見て安心したのか、軽く一礼して笑って、私に何か話しかけてきました。もちろん言葉が通じるわけはありません。しばらくいろいろと話しかけてきましたが、やがてあきらめたように首を振ると、自分を指して「ショウイ」と名前を名乗りました。はい、名前じゃないでしょうな。何とか少尉とか、そういうことだと思うんですが、その何とかはよく覚えていないのです。とにかく、ショウイと私は呼んでいましたから。ええ。そういうわけでショウイがそれからしばらく、その島にいることになったわけです。

 そのあとすぐ、島の大人にショウイのことを話さなかったのは、どういうわけでしょうね。よくわかりません。少し後になってショウイとある程度話が通じるようになってから、できればみんなには私のことを話さないでくれ、と言われているらしいことは分かってきましたが、最初はもちろんそれも通じなかったんですから。よくもまあ、あんな出来事を友人にも親にも話さなかったものだと思いますが、私のそういう時期だったのかもしれません。いやまあ、見たものがあまりに現実離れしていたからだとも思います。腰に拳銃を吊った軍人と、六本の金属の筒に入った山のような機械部品ですから。

 というわけで、生き長らえ、図面も機体も無事で、ヤタ、と名乗る島の少年とも仲良くなったが、ここが絶海の孤島であることには変わりない。おそらくは――ここがどこだかも私にはわからないのだが――日米英蘭どの陣営にも特に属していない島ということになるのだろう。世界あげての大戦も、どうでもよいことであるらしい。当面の安全が確保されたと言ってもいいかもしれないのだが、逆にそのことで困ったのは、簡単に助けを呼ぶこともできそうにないことである。沈んだ潜水艦に戻って通信機を取ってくる、などという水泳技術は私にはないし、この辺りにある、味方の陣営まで届きそうな無線機はそれだけであるらしい。幸いにも、少年の住む本島に渡るまでもなく、私が流れ着いた島は水も木の実も魚も豊富で、私一人が日々暮らすには全く困らない(それはヤタの健康そうな肉付きを見てもわかる)。楽園ではあるのだ。私はその楽園で、ただ一人、戦争の日々と切り離されてしまった。

 それから私は、ちょくちょくショウイの島を訪れるようになりました。島の魚が食べられるかどうか、草木に毒がないか、というようなことを教えたり、ショウイが組み立てている飛行機を見せてもらったり、というようなことです。はい、私が始めて会った時に見た、金属の筒の中には、飛行機の部品がいっぱい詰まっていたらしいんです。それをショウイが組み立てはじめたわけですが、その飛行機といったら、それはもう、まったく変わったものでしたね。まず、よくあるプロペラが付いていません。全体に丸い、ずんぐりとした機体で、尾翼もありませんでした。え、ああ、私にだってそれくらいはわかりましたよ。あの頃は島の上空を、よく飛んでいましたからね。英国やアメリカ、日本の飛行機も。

 ショウイは私にいろいろなことを話してくれました。言葉なんかほとんど通じないんですが、それはまあ、だんだんわかってくるものです。ふるさとには三人の弟や妹がいて、お母さん一人でその子供たちを育てていること。戦争の前は技術者をやっていたこと、遠い国に行って飛行機の勉強をしてきて、その帰りに船が沈んでしまったこと。沈む間際にショウイと何人かだけが逃げ出せたけど、あとはどうなったかわからないこと。後で知ったことですが、ショウイの飛行機は、もともと分解して魚雷発射管に収められていたらしいですね。潜水艦の艦長さんが、このまま失われるよりはと砂浜に向けて打ちだしたもののようです。私もお返しに話をしたかったんですが、まあ、9歳の子供というのは、たいして話すことがあるわけじゃありません。もっぱら私が聞き役にまわっていましたね。

 ショウイは、胸を叩いて言っていました。このズメンを、何とかふるさとに持ち帰ることができたら、死なずにすむ人がたくさんいるんだ、と。今、連絡をとる方法はないけれど、そのために飛行機を組み立てていて、いつかこれに乗ってふるさとに向かって飛んで帰るんだと。飛び立つためには飛行場がなくちゃならんのですが、ショウイの飛行機は、あれはどうしたものでしょう、車輪の代わりにソリが付いているので、砂浜でもなんとかなるらしいのです。いや、実際どうだったのか、よく知りません。これはショウイが言っていたことなので。

 作業は遅々としてはかどらない。もともとただ一人で組み立てているということがあるし、ろくな図面もない、ということもある(機関の設計図面だけはあるのだが)。それに、本当にこんなことをして意味があるのか、という疑問も、よく頭をよぎって、そうなると作業が少しも進まなくなるのだ。何しろ「赤道近くのどこかの離れ小島」という以上のことは、ここがどこだかもわからないのだし、それに、この飛行機の航続距離ときたら。そして、考えはさらに進むのだ。この機体と図面を帝国に持ちかえったとして、それが果たしていいことなのか、どうなのか。いや。どうだろう。よくわからない。まったく、私のような立場の者が、あまり考えてはいけないことだとは思う。ただ、ヤタと話していると、もう少しここでこうしていてもいいかとも思えてくるのだ。

 そうやって、何ヶ月か経ったころでしょうか。私の島がとんでもない災難に襲われました。それまでも、ぽつり、ぽつりと見かけることがあった青い飛行機、それはアメリカ海軍の、ほら、空母に乗っている小さな、ああそう、艦載機らしいのですが、それが、ある日いきなり、何十機とやってきて、島に爆弾を落としはじめたのです。さあ、どうしてだかは私にはわかりません。沈んだショウイの船か、ショウイの飛行機そのものと関係があるんじゃないかと思ったこともあるんですが、むしろ爆撃の訓練のようなものだったかも知れませんね。いや、いくらなんでも人間の住んでいる島に向けてはそんなことをやらないと思うんですが、私の村は、なにしろ小さいものでしたから、空からちょっと見ただけでは、気付かなかったのかもしれないです。しかし、やられるほうはたまったものじゃない。その爆撃で、森やいくつか家も焼けて、島の人の中にも、火傷をしたものあり、死んでしまった人もいたんじゃないかな。とにかく、たいへんなことでした。

 私達はその一部始終を木陰に隠れて見ていたわけですが、その爆撃が終わった後も、まだ島の上を一機、飛行機が旋回して残っていまして。ええ、私のオジが不安そうに言ったものですよ。これは、また来るに違いない、とね。はい。それで、私は、とっさに海に飛び込んでショウイの島に泳いで渡ったのです。私は、あんなに速く泳いだことはなかったと思います。いやいや、今はもう。はい、それで、島に着く前から、ショウイの姿は、見つかりました。茂みの中に隠してある飛行機のそばの、ちょっとした丘の上に立って、じっと私の島を見ていたのです。

 海から上がって、息が切れたまま、私はショウイに向かって、たすけて、と叫びました。たすけてショウイ。何とかして。さあ、私の言葉が伝わったのかどうか。ショウイは、こちらに歩いてくると、懐から、びっしりと文字と図形が書かれた紙の束を出して、黙って私に手渡して、一度だけうなずきました。これはなに、どうすればいいの、とたずねようかと思ったのですが、ショウイの目を見ると、なぜだか、何も言えなくなりましてね。そのまま、ショウイは返事もしないで、かれの飛行機の上に置いた枝や葉っぱを取り除きはじめました。そして、最後に私に向かって、一つだけ、こう言ったのです。シマニカエレ、と。

 私は、島に帰るふりをして、岩陰に隠れてショウイの島に残っていました。子供ながらに、なにか気が付くことがあったんでしょうか。すると、ショウイのいる砂浜のほうから、ものすごい音が聞こえてきたのです。あれが「轟音」というんでしょうな。島が雷と雨と風につつまれて、島の鳥全部が騒ぎ出して、島の赤ん坊ぜんぶが泣き出しても、あれにはかなわない。その轟音が、ふと遠くなって、私が岩陰から出て見上げると、ショウイの飛行機がぐんぐん昇ってゆくのが見えたのです。島の上を不気味に、ゆっくりと旋回している青い飛行機のほうへと、まっしぐらに。

 ほんとうに、今でも夢に見ますよ。アメリカの飛行機とはまったく違う、何も塗装がされていない、銀色のショウイの飛行機。ただ、左右の翼に一つずつ、これはショウイが描いたんでしょうが、真っ赤な丸が塗られていましたね。それが、まっしぐらに上がってくるのを見て、アメリカ人はどう思ったことでしょう。夢でも見た、と思ったんじゃないでしょうか。とにかく、もう、それで、それ以上アメリカの飛行機が爆弾を落として行くことは、ありませんでした。アメリカ機の鼻先をかすめるように上昇していって、あっというまに、本当にあっというまに、遠くなって、消えていったショウイの飛行機につられるように、追いかけるように、ふらふらと、どこかに行ってしまったのです。それきり、ええ、それきりです。

 え、ショウイから預かった図面ですか。ああそれが、さあ、どうなったやら。私はそれから自分の島に持って帰って、ずっと私の家に隠しておいたはずなんですが、島はあまり、紙を保存しておくような気候ではなくて。いや、無責任と思われるかも知れないんですが、私にはどうも、ショウイがその図面を、たとえば故郷の国の誰かに渡して欲しいと思って、私に預けたのではないような気がするんですよ。それから、これもまた、ずっとあとになって、計算してみて分かったことですが、ショウイが行ってしまったのは、西暦で言うと一九四五年の、九月ということになります。はい、そう。日本とアメリカの戦争は、もう、終わっていたんじゃないかと。いやいや、なんとも私にはわかりません。私の島では、そういう時にこそ、ぽっぽれいぽ、と言うわけですけどね。ええ。ぽっぽれいぽ。


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