インターネットというものの特質なのか、私にとってなぜか忘れがちなことなのだが、コンピューター関係のニュースを見ていて、新製品情報がどう、キャンペーンがどう、などと書かれていたとき、実はアメリカ国内向けのアメリカの話だったことに気が付いて、驚かされることがある。これは、少し考えてみればほんとうに当たり前のことで、たとえばApple Computer, Inc.はアメリカにある会社だが、自分が今使っているシステムは「アップルコンピュータ株式会社」という日本の会社から買ったものなのである。
これは、そもそもMacOSが日本語のユーザー向けには作られていなくて、あの有名な企業とはちょっと違う、日本の比較的小さな企業によってローカライズされたものだ、ということではないかと思うのだが、もちろんこのあたりの事情はマイクロソフト製のソフトウェアや、Linuxなど他のOSでも変わらないので、いかんともしがたいことである。
とはいえ、MacOSやウィンドウズに関して言えば、日本語システムにも既に長い歴史があり、日本語を扱うための環境は公平に見てかなりよく整っている。普通にシステムを使っていて「日本人向けに作られていないなあ」と思うことは、そう頻繁にあるわけではなくて、だからAppleとアップルが別であることを忘れてしまったりするのだと思うのだが、やはり完璧とは言えない。一部アプリケーションソフトなどで、いまだに英語と日本語の壁を感じることがあるのだ。
たとえば、マイクロソフトのエクセルというソフトだ。これは表計算ソフトなのだが、ウィンドウズ上でこのソフトを使っていて、ある所に一行挿入したいと思ったとする。昔、Macでこの手のソフトを使っていたときには「コマンド+i」というキーコンビネーションがそうだった(たぶん「insert」のi)。行(または列)を選択しておいてコマンドを押しながらiを押すと、一行(または一列)新しい行が挿入されて、以下の行が下に順送りされる。だからここで、ウィンドウズなので「コントロール+i」かと思って、そのようにすると、アニハカらんや、そうはならない。その行に書かれている文字が全部「イタリック」になるのである。
コントロール+iという(比較的メジャーな)ショートカットキーに何を割り当てるかというのは、畢竟製作者のポリシーである。私が勝手に思った通り「行/列挿入」でなかったからといって、怒ってもしかたのないことだ。しかしここで、ソフトウェアを日本語化したマイクロソフト株式会社は、ちょっと責められてもいいのではないか。イタリックは、英語圏では重要な機能なのかもしれないが、日本語ではあまり多用される表現ではないからである。ポスターなどで目立たせるために文字を変形させる、その無数のパターンのうち一つでしかない。第一、イタリック専用のスクリーンフォントがあったりする英字と違って、イタリックにした日本語の文字はひどく読みにくいので、日本語の文字の装飾としては、たとえば「アンダーライン」や「網かけ」に比べても、使い勝手がよくない。
これは日本語化した日本のマイクロソフトの責任である。正直を言えば、私は英語版であってもエクセルのようなソフトで「文字をイタリックにする」がそんなに操作しやすくなくてもいいと思う。表計算ソフトなので、計算が表芸、文字装飾はオマケであるからだ。その上、日本語化に際してはイタリックの比重がもっと軽くなるのである。イタリックの機能を削るところまで行かなくても、こんなものはメニューの奥深く隠れていればよい機能であって、なにもコマンド一発出てこなくてもよい。こんなところに、英語と日本語の壁、あるいは日本語化をした人の迂闊さを感じてしまうのである。
もう一例挙げよう。続けてマイクロソフトの話になるが、ウィンドウズの文章入力に関して、以前からいらだたしく思っていることがあった。テキストの編集中に誤って「Insert」キーを押してしまうことがあるのだが、気付かずに文字入力を行うと、すでに書かれている文字が上書きされて、消えてしまうのだ(※)。
もちろんこれは不具合ではなく、いわば私の操作ミスである。ウィンドウズの持っている機能、Insertキーによる挿入モード/上書きモードの切り替えの正常な働きであって、コンピューターは私の誤ったコマンドに従っただけだ。しかし、ミスではあるものの、すべて操作する側(つまり私)が悪いとも言えない、むしろ責められるべきはシステムのほうである、そういう事例だと思うのである。
(1) Insertキーが間違えて押しやすい位置にある。
いわゆる拡張キーボードにおいて、よく使用する「Backspace」とInsertキーは、通りを一つ挟んだお向かいである。タッチタイプをしていると、Backspaceキーは、ホームポジションから手をずらして適当な指(私は右手の薬指か中指を使うことが多いようだ)で叩くことになるので、タイプ位置の正確性にはやや欠ける。BackspaceとInsertの中間点あたりを間違えて押してしまい、Insertキーを押してしまいやすい。
(2) 今、挿入モードか上書きモードかを示すインジケーターがない。
結果がまるで違うものになるので、次に何か文字を入れた時に、下の文字が消されるか、普通に挿入されるかの区別は重要である。それなのにウィンドウズにおいては、「現在上書きモードである」ということを確かめる手がかりが、画面上に何もない。たとえばカーソルの形をアイビーム(縦棒)から黒い四角に変えるなどすれば、強力な手がかりになると思うし、実際そういうシステムも使ったことがあるのだが、ウィンドウズではそうなっていない。なぜそうできないのだろう。
(3) 上書きのタイミングが遅い
知らない間に上書きモードになっても、一文字入れたところですぐにミスに気が付けば、まだよい。しかし、英文ではなく日本語で入力をしている場合、この上書きのタイミングは、実は「確定時」である。つまり、一文節ぶん入力して、変換して、正しい候補を見つけてきて、確定して、はじめて「入力した文字数に応じて下の文字を消す」という動作が行われる。それまでは普通だったのに、確定したとたんにぱっとまとめて文字が消えるのだ。これはミスに気づくのを遅らすだけでなく、被害を拡大させる。
(4) ミスの代償が大きく、回復できない。
既に書いた文章が消えるだけでなく、これがいわゆる「Undo不可」であるのも、問題を大きくしている。一般に「元に戻す」を選択すれば今行った操作は取り消しができるのだが、この状況下では、Undoを使うと、上書きされた文字が復活する代わりに、いまキーボードから打ち込んだ、挿入したつもりになった部分が消えてしまうのである。書いた部分か、上書きされた部分か、どちらか一方しか救えない。
以上、この問題は、(1)ミスをしやすく、(2)(3)ミスに気が付きにくく、(4)ミスから回復しにくい、かなり厄介な問題であるということがわかる。おそらく、英語でウィンドウズを使用している人にとっては、そこまで大きな問題ではない。(2)がどうなのかはよく知らないのだが、英語モードでは(3)の問題がなくて、タイピングしはじめると同時に下の文字が消え始めるので、自分が何か間違ったことをしているということが、すぐわかるからである。このあたり、マイクロソフトの日本語化を行っている人々は、何というべきか、もっとちゃんとしたほうがいいのではないかと思う。
私は、この厄介な機能をなんとか無効にできないものかと思って、いろいろやってみた。私は元々「上書きモード」のどこが便利なのか、どういうときに使うものなのかということからして、よくわからないのだ。だから最低限、Insertキーを引っこ抜いて外してしまえばもう悩まされることはなくなるのだが、コンピューターだけに、何かソフト的に無効にする方法がありそうではないか。あちこちヘルプを見たり、障害者用の補助ソフトを調べたりしたのだが、どうも、簡単には行かないようである。そういうフリーソフトはきっとあるはずだが、キーを引っこ抜くのを含めて、実は会社のコンピューターなので、そうそういじるわけにもいかない。なかなか難しい。
と、以上のようなことでずっとイライラしていたのだが、最近職場のパソコンがウィンドウズ2000搭載の新しいパソコンに変わって、「上書きモード」がなくなっていることに気が付いた。何度Insertキーを押しても、上書きモードにはならず、文字を入力すると常に「挿入」される。特に、英語入力モードではちゃんとInsertキーが働くので、おそらくこれは日本語化スタッフの仕事なのだろう。なんだか拍子抜けしてしまったような案配だが、マイクロソフトの日本法人も、ヤるときはヤるのだ、ということかもしれない。信じてるから、頑張れ、日本人。