フェイエノールトの赤

「さっきのアレ、どこいったの」と、言いたいことの一部を代名詞でもって置き換える便法を、日ごろ我々はよく使っている。いやあなたは違うかもしれないが私はそうなのだ。いつもアレがナニしているんである。どうしてこんなふうに言ってしまうのかというと、たとえば「あるものが欲しい」という欲求に、その欲しいものがどんな名前であったかを想起する、そのスピードが追いついてこないからではないかと思う。「今日の新聞」「テレビのリモコン」「赤ん坊用の爪切り鋏」といった欲しいものの内容、イメージは頭にあるのだが、対応する言葉がすぐには出てこない。いわゆる「顔と名前が一致しない」状態ではないか。しかもそのことに、しゃべり出してから気がつくのである。

 こういうとき、いちおう「アレ」を使って言うだけは言ってしまってから、底知れない不安に襲われる。自分の脳がごろごろとだらけている、むやみやたらと怠けていると感じるのだ。三階に上るのにエレベーターを使うとか、二百メートルくらいしか離れていないスーパーに自動車で買い物に行くとか、そういうのに似た「本来すべきでない楽」に思える。こんなふうに頭に楽をさせてばかりいると、知らないうちに減るのではないか。減ったらどうするのだなにしろ脳だぞどどどどうしよう。そこで私は、そのへんの心苦しさを解消するために、
「そういえば、アレどこやったっけ」
と言ってしまってから、「アレ」の名前を一生懸命思い出し、
「そういえば、アレどこやったっけ……修正液」
と付け加えたりしているのだが、この「修正液」のタイミングでもまだ名前が出てこず、
「そういえば、アレどこやったっけ……アレ……アレよ、ほれ……なんとか言う……ああ、ノギス」
などと引き伸ばしてしまうことがある。ここで「字を消す白いペンキ」とか「定規の親玉的なもの」とヒントを出すと、やっぱり相手に頼って楽をしているのであり、いわば「負け」である。そういうわけで「ええと」とか「ほらアレ」などとしか言わないのだが、これはもう、はたから見ていると、かなりじれったいに違いない。

 そういえば、昔から疑問に思っていることがあって、英語圏の人はこういうとき、どのように悩むのだろうか。言葉の合間に「ユーノウ」とか「ユーシィ」とか、そういう言葉を挟んで時間稼ぎをしているのは聞いたことがあるのだが、少なくとも「アレどこいったっけ」の場合、
「Where is my …」
と、目的語が最後になるので、余計な「アレ」は文中に挟む必要がない。そういうことであれば、もしかしたら「アレ」は存在しないのではないか。もっとも、
「昨日の新聞ナニしといてな」
というような場合は、英語だって「ナニ」がないと困るはずだから、やっぱり同じ問題がありそうな気もする。詳しい方教えてください。

 これに関して、ある研究によれば、この言葉が出てこない問題は、歳と共にどんどんひどくなって行くわけだが、決してアトランダムに忘れて行くのではない。ちゃんと忘れやすい言葉、忘れにくい言葉があるのだそうである。多分これは英語の場合だと思うが、まず、最初に忘れるのは名詞である。人の名前、地名、さらに「リモコン」「はさみ」のような一般名詞を忘れる。次に忘れるのは形容詞で「赤い」「軽い」のような言葉だ。「飲む」「話す」のような動詞が引っかかって出てこなくなるのは最後で、これを忘れるとすればよほどのことになる。

 出典がなんだったか思い出せないので、正確かどうか自信がないのだが、こうして書いてみると、少なくともなかなかもっともらしい話ではある。より基本的で、種類が少なく、多用される表現ほど忘れにくいに違いないし、動詞は確かにその基準をすべて満たしている。反対に、いかに名詞は忘れやすいかというのも、我々は日々実感しているところだ。この話を信じるとすると、「アレが」と言っているうちはまだよいが、「ナニして」と言うようになったらかなりヤバい、ということになる。確かにそうかもしれない。

 先日のこと、新聞を斜め読みしていて「フェノールフタレイン」という単語にふと目を引かれた。慌てて見直すとサッカーの記事だったので、つまり「フェイエノールト」という、なんとかいう日本人選手が活躍している海外のサッカーチームの名前を見間違えたものらしい。目を上げて、つくづくと考え込んでしまった。見まちがいにしても「フェノールフタレイン」とはまた、私にとっては中学高校の授業の記憶に直結した、ちょっと懐かしい言葉である。

「フェノールフタレイン」という言葉自体は、いかにもど忘れしそうな、複雑な名前であると思う。それなのにどうして長い年月を経てなお覚えているのか、不思議といえば不思議だ。それは、一つにはこれが、私が義務教育という早い段階で、好きな理科の授業で覚えたことであるからではないかと思う。化学の初歩の初歩、あらゆる物事をペーハーで分ける一つの「世界の整理法」、その道へと続くあまりにも基礎的な道案内である、指示薬の名前であるフェノールフタレイン。基本的で、かつまだ脳がサボったりしなかった昔に習ったことであるだけに、他の義務教育知識と同様、この言葉が出てこなくなるようなことは一生ないのではないか、と思う。思うだけであって、どうなるかはわからないが、孫の名前を忘れてもフェノールフタレインは忘れないような気がするのだ。これからも、時折何かと見まちがえながら、出てくるのかも知れない。

 と、そこまで考えたところで、恐ろしいことに気が付いてしまった。フェノールフタレインは赤くなる試薬なのだが、これって酸性の時に赤くなるのだったか、アルカリ性のときに赤くなるのだったか、どうしても思い出せないのだ。どうも、近頃私の脳は本格的に危ないような気がする。


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