そんな故郷にも偉人はいる

 一九七〇年に亡くなった近代の詩人で、坂本遼(さかもとりょう)という人がいる。その作品の一篇が、私の学んだ小学校の国語の教科書で取り上げられていたので、無名ではないと思うのだが、この人が普遍的に知られているのかどうか、私には評価しにくい。というのも、たまたまこの人が私にとっていわゆる郷土の偉人、それも私が住んでいた家の三軒隣などというところで生まれたひとなので、客観的に見ることができないのだ。

 坂本のおそらくもっとも有名な詩、教科書に掲載されていたものは「春」という作品だ。前半部分を引用すると、

おかんはたつた一人
峠田のてつぺんで鍬にもたれ
大きな空に
小ちやいからだを
ぴよつくり浮かして
空いつぱいになく雲雀の声を
ぢつと聞いてゐるやろで

「やろで」というのは「だろう」という意味のようだ。地元も地元、大地元の言葉であるはずだが、残念ながら時代的な隔たりのほうが意外に大きく、私はあまり聞いたことがない言葉づかいである。坂本は私の祖父よりちょうど一世代分くらい上の人間であるから、私の祖父母や父母にとっては、聞いたことがある言葉なのかもしれない。

 この詩は、故郷を離れ、新聞社で働いていた坂本が、はるばる遠い故郷を振り返り、一人残してきた母親の姿を想像する詩である。田舎の春の情景をやさしいふるさとの言葉で詩に写し取った、美しい詩で、母を想う気持ちが過ぎ行く歳月へのあせりとともに描かれている。親元を離れて働いているといえば、現在の私もそうであり、今やなぜか見知らぬイバラギたらいう土地に住んでいる私にとって、胸に迫るものがある。

 ところが、坂本はこの詩を、大阪に居て書いたものであるらしい。私の故郷(加東郡東条町)と大阪の距離は、間に山があるとはいえ直線距離で五〇キロメートル程度であり、当時の交通事情を考えに入れてもさほどの距離とは思われない。鉄道はあったはずだし、たとえ全行程徒歩になるとしても、朝出発すれば暗くなるまでになんとか到着できる程度の距離なのだ。もちろんこれは当時の精神的な距離感、電話などの長距離連絡手段の不備だけでなく、テレビなど情報を共有する手段さえ限られていたことを考えにいれなければ理解できないものだとは思う。

 最近はどうなっているのか、帰省のたびに忙しくてそこまで見て回る暇がないのだが、少なくとも私が小学生の頃までは、私の故郷に残る坂本の生家はなお綺麗に整えられ続け、一年に一度はこの亡くなった詩人をしのぶ会が開かれていた。その生家と町を見下ろす棚田の一角に、詩を刻んだ石碑が設けられていたのも覚えているのだが、近すぎるとなかなか見にはゆけないものである。「春」の後段は、こうなっている。

大きい 美しい
春がまはつてくるたんびに
おかんの年がよるのが
目に見えるやうで かなしい
おかんがみたい

 もちろん、二一世紀の同郷人、つまり私にとって、遥かな故郷はしかしそこまで遠い存在ではない。坂本のそれと比べ、絶対値において十倍以上の距離によって隔てられてはいるけれども、電話があり、インターネットがあり、東西を五時間足らずで結ぶ超特急がある。それどころかもはや、地球上どこに行っても、ネットがある限りこの時代のような隔絶感は生じ得ないものかもしれない。

 しかし、それを嘆きはすまい。私はずいぶん幸福であるのだろう。お父さんお母さん、もうすぐお正月、今年も故郷に帰ります。子供も連れて、列島を縦断して、はるばると帰ります。


※文中敬称略。
※文中「春」の引用に際しては「兵庫文学館」
http://www.bungaku.pref.hyogo.jp/home.html
に掲示のものを参考にいたしました。
トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧へ][△次を読む