北風の落としもの

 子供の頃「地震雷火事親父」という言葉について、変な順位だなと思っていた。いや「親父」に関しては、これはそういうものなので何も言うことはないのだが、災害として台風や洪水が入っていないのが、なんとも不思議な感じがするのだ。雷や地震よりも、どちらかといえば心配なのは台風であり、それによる洪水ではないだろうか。その頃の素直な感覚として、地震はごくまれに、それこそ数年に一回くらいやってくる微震のことであり、氾濫した川で流されてしまった家はあっても、落雷の被害を受けた家なんか見たことがなかったのだ。

 それから時代は平成になり、やがて阪神地区にもああいうことがあって、私の地震に関する認識もずいぶん変わったものだが、本当のところ、この言葉が腑に落ちたのは、私が長らく住んでいた大阪を離れ、埼玉にやってきてからのことである。関東は、聞いてはいたものの、地震がとにかく多くて、たまにしか来ない台風よりもずっと身近な存在である。江戸っ子の言として「台風」よりも「地震」が上に来るのはしかたがない、かもしれない。

 ただ、非常に風の強い日があるという点で、埼玉の天気は、台風を埋め合わせて余りある気がしていた。いくつかやってきた台風は確かに、すでにかなりよれよれよぼよぼで、関西に来ていたようなヤングな台風とはだいぶ違う感じがするのだが、台風には関係のないなんでもない日、気圧の配置の都合かなにかで、ご照覧あれ立っていられないほどの風が吹くことがあるのだ。いや、もしかして関東関西というような大局的な問題ではなく、自分がそれぞれ暮らしていた狭い範囲の、たとえば私のアパートの近くの気象・地形の条件がたまたまそうだった、などということもありえるのだが、ともかく、私にはそういう印象がある。

 その冬の一日も、風の強い日だった。渦巻く曇天から雪のような雨のような、よくわからないがとにかく氷のように冷たいなにかが少しだけ、パラパラと落ちてくる中を、傘を差したまま自転車に乗ってアパートへの道を急いでいた私は、途中でついにあきらめて、自転車を止めると、傘をたたんだ。そもそも自転車と傘の組み合わせ自体安全ではないが、この風の強さではどうかすると傘が飛ばされそうになって、危なくってしかたがない。身を切るような北風にコートの襟を立て、自転車をよろよろと漕ぐ。たまたま風は向かい風に近く、自転車の速度が加わった合成風力がきつい。

 見上げれば、坂の途中に建設された住宅街の中を、風が吹きぬけて行く。どこかに残っていた落ち葉や、小さなごみ、コンビニの袋といったようなものが、風に巻かれて高く舞い上がって、どこかに飛ばされていった。なんだか恐ろしいものを見たような気がして、やっとのことでアパートの部屋に帰ると、着替えだけはどうにか済ませ、食事もそこそこに、買い置きのビールを飲んで、布団にもぐりこんで、寝てしまった。

 さて、目を覚ますと、まだ夜である。外の風はまだ吹きやまず、がたがたばたばたと音がする。なぜ目を覚ましたのかぼんやり考えていると、この音だ。風音を圧して、ばたばたばたばた、という音がしている。風の呼吸に合わせてあんまりばたばた言うので、部屋の窓際に出ていって、少しだけ窓を開けてみた。私の部屋の、窓の外には物干し金具がついているのだが、そこがばたばたしているようである。

 そこにあったのは、袋だった。白いものが金具にひっかかってばたばたしていて、何かといえば袋らしいのだった。ビニールの、編んである形からして、よく、中に土を入れて、土嚢(どのう)にしたりする、あの袋である。それが、この大風でどこからか飛んできて、こともあろうにアパートの二階の私の部屋の外の物干し金具に引っかかって止まり、止まっただけではあきたらずカルマン渦に弾かれてばたばたと、うるさい音を立てているのだった。袋は、折からの強風で、またひとしきりばたばたすると、また、だらん、と垂れた。

 うるさくて眠れないというほどのことはないのだが、どうしたものだろう。これが土嚢の袋だとして、中の土は風で全部吹き飛んでしまったのだろうか。確かに、そういうこともあるかもしれない烈風である。かつて土嚢を構成していた部品の一部がここにあるということは、土嚢かべが本来果たしていた役割、つまり水がどこかから流れ出さないようにしたり、水がどこかに流れ込まないようにしたり、といった機能は一部崩壊したということになるのだが、まあ、それが問題になることは、なさそうである。降っていた雨だか雪だかは、もう止んで、風だけになっている。

 私は、窓をもう少し開けると、手を伸ばして、袋の端をつまんだ。物干し金具の一部に、袋の端がぐるぐると巻きつくようにして、引っかかっていたので、これはなかなか取れないぞ、と思ったのもつかの間、袋の繊維がぶちぶちと切れて、意外に簡単に、金具から取れた。そのときの気持ちをどう表現したらいいものか、私は、なにかほっとしたような、むしろ取れるべきでないものが取れたような、たとえば痛む虫歯を引っ張ってみたらぽろんと取れたような、そんな妙な気持ちになって、袋から手を離した。袋は、また吹いてきた風に乗って、どこかに飛んでいってしまった。

 そんなことがあったような、なかったような感じがして、朝になって、もう一度目が覚めた。私は、時計を見て慌てて顔を洗って、着替えて、外に出る。外は、台風一過、という感じの情景になっていて、ゴミや落ち葉が散らかっていたり、かなりな状態になっていた。アパートの管理人さんが箒でもって、そのへんを掃いている。

「おはようございます。昨日は凄い風でしたね」
と声をかけられて、私は自転車の鍵と格闘していた目を上げた。管理人さんが、落ち葉のいっぱい入ったちりとりを持って、こちらを見ている。
「え、ええ、そうですね。いやは、昨日は早く寝ちゃって」
などと、私は急に話し掛けられてへどもどする、そういう人間なのだが、ふと、昨日の袋のことを思い出した。
「そうだ、昨日夜目が覚めたらですね。私の部屋の物干しに、なんか引っかかっているんですよ」
「へえ」
「もう取れたんですけどね。なんか、大きい、白い袋でした。ああいうのが飛んでくるくらいの風だったんですね」
「はぁ、白い袋。どうしたんですか」
「ええと、引っ張ったら取れて、どっかにまた飛んでいっちゃいました」
 管理人さんは、ふと空を見上げて、こう言った。
「ああ、それは、中を見ておくべきでしたね」
「え」
 私は、きょとんとして管理人さんの目を見るしかなかった。
「プレゼントが中に残っていたかもしれませんよ」
 見上げると、一二月二五日の晴れ上がった空に、飛行機雲が一すじ、サンタのソリの航跡のように残っていた。

 今宵一人で過ごすすべてのひとに、メリークリスマス。


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