シンジの呪い

 この学校の学生とはどういう人か、学生の定義はなにか、という質問への答えは明快であり、出席簿に名前がある人とこたえればすむ。ある町の町民や日本国民の定義を住民登録のあるなしをもって行うことも、できなくはない。しかし、さらに大きく「日本人」の定義というと、もう一つはっきりしないのではないか。日本人に限らず、民族というものは無理に定義しようとするとおそらく「自分のことをその民族に属すると思っている人の集団」という曖昧なものにならざるを得ないと思うのだが、これをもう少し操作的に、日本人の大多数にあてはまると思われる多数の条件を積み重ねていって、総合的に何点以上取ったので日本人だろうというような定義の仕方はできるかもしれない。

 日本人とはどんなひとびとか、ということを考えた場合「日本語を話す」あたりからはじまって「日本で生まれた」「名前が漢字」、より瑣末には「箸がうまく使える」「お茶は緑茶」さらには「野球のルールを知っている」「暮れには紅白歌合戦を見る」等々、微妙な濃淡がつきながら日本人をほわほわとアイマイに定義してゆく、さまざま質問が考えられることだろう。これはスパイ容疑者を捕まえたとき、本当に日本人かどうかを質問で確かめるような状況、と考えるとわかりやすい。そのテストの一つとしてなのだが、こんなのはかなり有効な条件ではないか。

「ウクレレを持つと牧伸二になる」

 さよう、うちにはなぜかウクレレがある。軽い板でできた赤いひょうたん型のボディにやはり赤くて軽いネックがついている。軽くてぽこぽこしているので「ウクレレ型オブジェ」かと思っていたらそもウクレレとはこういうものらしい。どうしてこんなのがここにあるのか、これを嫁入り道具にもってきた妻によれば、かつて日本でウクレレが大流行したことがあり、そのときは猫も杓子もウクレレをつまびいていた、ということなのだが、もうひとつ納得できない説明ではある。猫にウクレレが弾けるとは思えないし、私の周りではウクレレを弾いている杓子などどこにもいなかったからだ。

 ところで杓子とは何かジャグジーとは関係あるか、などとジャグジ定規な議論に踏み込む前に踏みとどまって、ウクレレで牧伸二の話に戻るが、要するに人はウクレレを持つととりあえず歌ってみるのである。

 あ〜あーあやんなっちゃったあ〜んああーあおっどろいた

 外国人、特にハワイアンにはまた違う意見があろう。しかし、われわれにとってはそうではない。隠そうたってそうはいかない、私だってそうだし、君だってきっとそうだ。まるで呪いのように、ウクレレといえばやんなっちゃうのである。私の母がどうやら日本人であることは、うちに遊びに来たときにこのウクレレを持って上記の「牧伸二プレイ」をしていたので明らかである。もちろんウクレレの弾き方なんか全然知らないのに、適当にじゃかじゃかやっておどろいちゃってみるのだ。

 あまりにも家にウクレレがあって、私もいつまでも牧伸二でもないので、本を読んで基礎的なところを勉強してみた。ウクレレは、ギターと違って弦が4本しかない。開放弦の状態で、構えて上からソドミラと音が出るので、一番下の弦の三つ目のフレットだけを押さえてじゃらんと鳴らすとソドミドとCの和音が出る。言葉で書いても分からない人にはわからないと思うが、言葉で書けるということ自体、比較的やさしい楽器なのではないかと思う。ギターの場合はあとGとFの和音さえ出ればだいたいオッケー、と確か聞いたのだが、ウクレレの場合、指がこんなんなるギターと違ってFの押さえ方が非常に楽なのが特徴である。

 ところで、うちには一歳をちょっと過ぎた子供が住んでいて、彼女は音がするものが大好きである。このウクレレも、弾けないまでも触りたくてしょうがない。私がドの弦とミの弦とソの弦を合わせて次にラの弦をチューニングしようとあれはなんと言うのかねじねじになっているところを回しつつぴんぴんとはじいていて、ふと目を上げると、
「こ」
とこちらを指差している。これは「これを下さい」という意味のことばである。
「こ。こ」
と強く言うので、ためしに持たせてみた。ホビットに短剣を持たせるように、一歳の子供にはウクレレはぴったりのサイズである、気がする。

「あーああー。あーああああー」
 すると娘はこう大声を出しながら、ぽこぽこウクレレの胴を叩くのだった。諸君、子供は、こうして日本人になってゆくのだろうなと思うよ、私は。


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