ととと、本日は取り乱しておりますとりみだしております。ありゃありゃ困った困ったどうしようどうしようどうしよう。いやいやいやいやこりゃこりゃこりゃこりゃありゃありゃありゃありゃよいしょよいしょよいしょよいしょ。
いやありゃこりゃ踊っていても何にもなりません。動かないのです動かないのでありますぴくりとも動きませんありゃりゃありゃりゃありゃりゃ。
説明申し上げます説明いたします。リアルロボット。「週刊リアル・ロボット」でありますよデアゴスティーニ。毎週一個、本屋で千円ちょっとの雑誌、というかハコ、時には大ハコを買ってくると、パーツがついてくる。それを毎週まいしゅう組み立ててゆくとそれはもうどエラいマシーンが、ロボットが、ローボットができるという、ソレでーす。ソレー、ソレェェェッツ。
はあっ、はあっ、はあっ。で、要するに私、これを買っておったわけです買っていたわけです。毎週まいしゅう買っていたのデアゴス。とはいっても、一説には六〇号まで出るというこれをコンプリート、最後までちゃんと買おうと思っていたわけでは、実はありません。なんぞということを言うとスティーニに怒られますが、このリアルロボットの「サイボット」というロボット、パソコンでプログラムできるのがウリなんですが、それが「ウィンドウズのみ対応」なんであります。
いや、今の世の中、それに文句を言っても始まらない。それは私、マックとともに歩んだ十一年、じゅういちねんのとしつきで、いやひらがなに開いてもどうにもなりませんが、よおく、よおく分かっております。なにしろ十一年といえば娘より妻より長い付き合いであります。よおく分かっているのでありまして、そのことにいまさら文句を言うのは「なんで私はスマップに入っておかなかったんだ」と後悔するようなものでありまして、いや分かっているのでありまして、もういいのでありまして放っておいて欲しいのでありまして。
いや、全て買うと七万円というデアゴスロボットそのものに比べても、今やパソコンというのはひどく安くなりました。この機会に一家に一台、買っちゃっても別にかまわないといえばかまわないわけで、一瞬そういう未来も頭をよぎったことは確かですが、いやまあまさかそのようなことはコモチのサラリイマンに許されるような贅沢ではありません。いやさらに言えば週千と三百円の「リアルロボット」そのものがかなりの環境負荷であります。環境。いや私のポッケへの過大な負担であります。いずれどこかで楽しかったロボットライフとたもとを分かち、あのロボット面白かったなあ、買いつづけたらよかったかなあ、と、初恋のひとに感じるようなほのかな気持ちを抱いたまま歳を取ってゆこうと思っていたので、ございました。
問題はそれがどこかであります。私はいろいろなことを想定しておりました。パソコンに繋ぐシステムの直前まで買うという、いわばハッピーエンディングには、まずなりますまい。あるとき一歳三ヶ月になります、娘に壊されるかもしれない。あるいはまた、あるとき私が誤って高いところから落とし、バンラバラに壊してしまうかもしれない。もっとありそうなことは、どこかで組み立てをミスして、何かデリケートでかけがえのないギアなり基板なりを壊してしまうかもしれない。どこかで私の(実はたいしたことはない)スキルを上回り、手が出なくなるのかもしれない。ついに私が飽きてしまい、組み立てられないパーツが二、三号分溜まって嫌になるのかもしれない。デアゴスティーニですから、単に書店で手に入らなくなって、定期購読するパワーは出ず、買わなくなるのかもしれない。またはその時財布にお金がなくって、買えないまま市場から姿を消すのかも。
そういうさまざまな「最悪」の想定をした上で、それでもなお、この現状は予想外だったのであります。パーツを毎号ちゃんと買い、言われる通り組み立てて、特に難しい所もなく、試運転も滞りなくうまく行き、高いところに棚を作って置いておいたので娘に壊されることもなく、私の組み立てスキルは帯にちょうどよくタスキにもちょうどよいくらいに保たれていたのであります。
ところが動かない、のです。
そうか、そうかと思いました。このロボ太郎、九号で一つの区切りになります。ここまでで、ボディと、モーターと、電池ボックスと、モーターのコントロール用ボードと、光センサー(懐かしいcds)、光センサー用のI/Oボードに、プロセッサーボード(と書いてある、たぶん演算チップ)が揃います。これでこの太郎は「光の強いほうに曲がる」という芸当ができるようになるわけで、ここまで来ると結構ロボっぽい感じではありますまいか。
ところが動かない。
理由はよくわかりません。いや、私の錆びついた腕でできそうなことは、一応試してみました。私、ここで告白いたしますが、自分で言うのもナンですが器用なほうではありません。むしろ不器用です。ブキリョウではありません。ブキヨウです。もっと言えばブキッチョです。ブキッチョで、しかも不注意です。たくさんある似たような配線のどこか一本くらい、間違えて繋いでいても何の不思議もありません。だいたい、一度など小学校の美術で作った本棚が、どうしても組み立てられなかったのは私だけだったことがありました。その時の先生の「設計ミスやね」という冷たい言葉は、私わすれませぬ。心に刻んで生きてゆきまする。
そんな私ですから、何かが間違っているのかもしれない。そう思って、できるチェックはやったつもりでおります。そもそもこのロボ等兵、あんまり間違うようなところはありませんが、それでもコネクタを抜いたり差したりしてみました。
ところが、あおおん。動かないのです。ああ、十号分、言いたかないですが、一万数千円。プラス電池。九ボルトの電池というのは、みなさん、本当に高いですね。でもって、他の用途が、なんにもないですね。
どうも、恥ずかしい限りであります。これを読んでおられる方のうち、ある人数の方はこんな私を見て「だらしないなあ」と思われることでしょう。本当の話、これだけのチェックを行った果てに、なおも思うのですが、最も可能性の高い原因は、私の組み立ての、何かがマズくて、こうなっているというものでありましょう。いじっているうちに何か、ああ、こんなことだったんだ、というようなミスに気が付いて、思い通り説明書通りぐんぐんごおごお動くようになり、私の汗と涙とおこづかいはついに報われるのかも。しかしところが今のところはどうでしょう主観的にはどうでしょう、もうテストはやり尽くしました。動きません。駄目です。
何度でも言いますが、おそらくデアゴスティーニが悪いのではありません。私がどこかのパーツに何かをしたに決まっています。私が私ではなくて私の父か母で私を幼いころから背後から見守り続けていた人間であるのなら、最も可能性の高い不安定要因はお前だ、と断じます。もしもあなたが、今となってはあまりいないような気もしますが、もしもあなたが、これからこの「サイボット」を組み立てようと思っておられる方なら、どうか私が失敗したということをもってこのシリーズを判断しないで欲しいと、衷心から申し上げます。
しかし一方で、私の心の最も奥深い淵、闇のまだ陰の中に潜むナニモノカが、ゴクリゴクリと喉を鳴らしながら出てきて、濡れた手のひらで私の頬を触り、耳元でささやくのです。これ、もしかして不良品を出荷し放題ではないかね、よいホビットさんと。
たとえば私がよいデアゴスティーニだったとしても、こういう場合、不良品の扱いがどうなるのかは、非常に難しい所であります。ギアやボディのプラスチック、モーターはまだいいでしょう。これらは、見た目で壊れているかどうかがわかりますし、回転しなければすなわち故障であります。これが購入していたときから壊れていたのか、読者が不注意で壊したのかはそれでも難しい部分が残るでしょうが、まあ、故障しているかどうかはわかる。ところが、おそらく私のバアイ、壊れているのはアイオーボードなりプロセッサボードなり、おそらく黒い弁当箱の奥深く、シリコンの神の住まう部分だと思うわけでありまして、これは非常に困る。テスト方法が「ちゃんと動くかどうか確かめる」しかない以上、故障しているのがどこなのやら、私は私が悪いのだとして何号をもう一度買えばいいのか、それさえもよくわからんのであります。あああ、私は誰を責めればいいのか、こんな落とし穴があったとは。ロボットの神よアシモフよ、我をたすけたまえ。
以上のごとく「いつか『ふる』ことになるだろうな」と思っていた恋人に手ひどく振られたような私なのですが、とりあえず未練がましく発売元のサポートに助けを求めるメールを送っておきました。その返事はまだ来ておりませんが、いずれ、どうにもならないような気が、これは技術者としてのカンですが、いたします。いや、こういうのにいちいち反応していてはデアゴスはやっていけないんじゃないかなあ、と思うのです。買って組み立てたけど何だか動かない、原因もわからない。特に不良の部品は見つからない、という相手を、あなただったらどうしますか。私だったら悲しそうな顔をして手を振ります。
私は今、動かない私のロボット「つらぬき丸」を横に置いて、別れの言葉、墓碑銘を書こうとしております。君よ。君は本当に素晴らしかった。無限の可能性のタマゴであった。それがついにタマゴのまま、孵化の時なくして終わったのは、ただ君にとっての神である、私のふがいなさのせいであった。いや、今書いていて思いましたが、彼にとって本当に私は神であったでしょうか。創造主ではなく、ただの腕の悪い組み立て工だったのかも。もしかしたら、そこにこそ本質があったのかも。
さよなら、僕のロボット。さよなら。ごめんね。