マジックの火を灯せ(前篇)

 タイトルから当然想像されるような、あの関西の球団ことは、書こうと思ったけど書かないのである。だって、書いちゃうと幸せが逃げてしまいそうではないか。そういうわけで、前置きなしでゆく。今回は、マジックミラーについて考えてみようではないか。

 ではないか、というほどの大事ではないのだが、単に「マジックミラー」と言った場合、やせて見える鏡、太って見える鏡、また左右が入れ替わらない鏡、上下が入れ替わる鏡、はたまたこの世で一番美人なのは誰かを教えてくれる鏡、魔法少女が変身に使う小道具の鏡、さらに手品が趣味である鏡という姓の人など、人によって何を指すのかもう一つ定かではない。今回の文章におけるマジックミラーとは、一方から見ると鏡だが、他方から見ると素通しのガラスになっているという、そういう鏡/ガラスのことである。

 うわさによれば、悪いことをして警察に逮捕されたあと、取調べを受ける部屋、取調室にはこのマジックミラーがある、という。室内で「田舎のおっかさんは泣いているぞ」などと自白をうながされている犯人にとっては、これは単なる鏡だ。壁に鏡がはまっているように見える。しかし、実はこれは窓だ。壁の裏側、隣の部屋にいてこれを見ている別の警官にとっては、これは窓ガラスである。隠れて容疑者を見られて何が嬉しいのかとは思うが、そこで被害者に立ち会ってもらい「私のバッグをヘチったのは確かにあいつです」などと証言をとったりするのに使われるのであろう。

 のであろうが、もちろんこんな話は真偽が定かではない。「取り調べが長引くと警官が出前のカツ丼をご馳走してくれる」と同じように、よくできた作り話、一種の都市伝説なのかもしれない。都市伝説らしく、別の話を聞いたこともある。ある警察のある取調室では、施工した業者がマジックミラーの向きをうっかり逆に取り付けてしまった。取調室からは外が見えて、控え室からは中が見えない、そういう部屋になってしまったのだ。いや、だからといって別にどうにもならない。取調室から外が見えるのは都合が悪いので、カーテンがつけられるだけのことだ。外から見ると鏡である。もったいないので、警官がそこで、身だしなみを整えたりしている。

 ところで、ここで一つ重大な事実を明らかにせねばならない。いや、知っている人は知っていて、知らない人は知らない話なので、まるで私が発見した事実であるかのように偉そうに解説してはいけないような気もするが、話の都合上構わず書く。こういうマジックミラーは実は存在しないのである。片方から見て鏡、もう片方から見てガラス、という代物は作ることはできない。あるのは「ハーフミラー」という、片方から来る光を(およそ)半分だけ透過させ、残りをもと来た方向に反射する、そういう裏表対称なモノだけだ。

 もっとも、実際にはこのハーフミラーで十分、マジックミラーとして使える。のだが、ではどうして「光を半分だけ反射」が「片方からは鏡、もう片方からはガラス」として機能するのかというと、これは両側の明るさ、光の量に関係がある。

 今、窓ガラスをハーフミラーに取り替えたとする。外は太陽が照っていて明るいが、室内は暗い。たとえばこの明るさを、百対一とする。ハーフミラーが半分だけ光を通し、半分だけ光を反射したとすると、
 ◎部屋の外側には、外からの五〇の光が反射し、室内からの〇・五の光が透過する。
 ◎部屋の中側には、外からの五〇の光が透過し、室内からの〇・五の光が反射する。
となる。ここで、五〇に対して〇・五というのは非常に暗いので、両者の映像を重ねると五〇の光の像しか見えなくなる。屋外で昼間に映画を上映したり、太陽光に照らされている壁を懐中電灯で照らしたりするとよくわかるが、圧倒的な光量差があると、暗いほうは全く見えなくなるのだ。従って、
 ◎部屋の外から見えるのは、五〇の明るさを持つ外の光景
 ◎部屋の中から見えるのは、五〇の明るさを持つ外の光景
ということになる。外からは鏡(ただし、やや暗めの)、中からはガラス(ただし、やや暗めの)として働く。確かにこれは「マジックミラー」だ。

 ハーフミラーが、普通考える非対称なマジックミラー(「鏡の面」「ガラスの面」がある)と異なる点は、「明るい側が鏡」という特性があることである。明るい側が変わった場合、窓の例でいうと、外が暗くなって、部屋の中で明かりをつけたときには、役割が反転して、中から見ると鏡、外から見るとガラス、というものになる。ハーフミラーが手元になくとも(ないだろうが)、レースのカーテンで似た経験がある人が多いのではないか。昼間は部屋の中が見えないが、夜は外が見えない(外からのぞかれてしまうが、そのぶん部屋の中が明るくなる)。レースのカーテン、つまりアミアミになった白い面の働きは「一部の光を透過させ、残りを(乱)反射させる」というものになるので、同じような効果があるわけである。

 あるわけである、などと、トウトウと書いてしまった。しかし、ここで言いたい。以上の情報は、ただの知識である。知っているか、知っていないかという、それだけの問題であり、知らない人よりは知っている人のほうがちょっと偉いかもしれないけれども、それは要するに足し算引き算の差であり、大した差ではない。あなたがもしこの文章を読むまでこのことを知らなかったとしても、今知ったので知っていた人と偉さは同じになったわけである。しかし、決定的に人間を二種類に分ける違いは「知っている」と「知らない」ではなく、知らなくても自分の脳みそだけで考えて考えることで以上のような情報を導き出すことができる、そういう思考能力だと思うのである。これは掛け算割り算に匹敵する差だと思う。

 要するに、この問題は知識に頼らなくても、理詰めで解決できると思うのだ。世界には非対称な、鏡の面とガラスの面があるマジックミラーは存在しない。ハーフミラーなるものしかない。しかしそれはなぜだろう。マジックミラーが存在して、悪いわけはあるのだろうか。

 あるのだろうか、と疑問を書いたところで、すっかり長くなったので後篇に続くのである。待て更新。


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