等差数列の和

 昨日からどうしても抜けなかった頭痛がついに止んで、妙に元気があり余っているような気はしていたけれども、一方でなさけないほど退屈もしていた。人里離れたこの研修所で、二時間の自由時間を与えられて、ではそのへんをマラソンしてこようか、というほどの元気はなかったのだから、やはりカラ元気に属する元気、「元・気のせい」にすぎないのだろう。私は読む本もなく、触ってよいコンピューターもなく、やや途方に暮れていた。本当に、せめてパソコンがあれば。私の場合、テキストエディタを開いて文章を書いているだけで、けっこう、上等な暇潰しになるのだ。インターネットにつながっていればもっとよいけれども。

 空調の音がかすかに聞こえる静かなロビーから、絞れば雨水がしたたり落ちそうな梅雨空の外を眺めて、やっぱりインドア派を貫くことにした。形ばかり設けられた図書室(というより図書コーナー)の書棚には、妙に情報処理と経営、市場調査といった関係の本が多くて、企業の研修所の図書室だから当たり前だけれども、私の役にはたたなさそうである。雑誌の棚には、ニューズウィーク、日経ビジネス、プレジデント、D&M。こちらをなんだと思っているのか。ビジネスマンか。あっそうでした。

 真の「活字中読者」はこういうときでも「ウェーブレットとサブバンドの符号化」なり「戦略財務会計」なりを読んで楽しめるのかな、などと考えて、ため息を一つついて「圏外」の字もむなしいPHSを開いて閉じて、それからコーヒーの自動販売機の前に立ち、人生の大事を決めるようにメニューを眺める。主に選択肢は四つ。「レギュラー・モカブレンド珈琲」「レギュラー・キリマンジャロブレンド珈琲」「レギュラー・炭焼焙煎珈琲」、そして「マイルドコーヒー」だ。ちょっと「牛肉、豚肉、鳥肉、肉」みたなメニューではある。私は財布からコインを一枚入れると「マイルド」を選んだ。この一つだけが他より三〇パーセントも安かったし、私は味がわからない。

 カップを本棚の近くのテーブルに置いた。さてこの珈琲だかコーヒーだかを少なくとも一時間は持たせることが私の使命だ。私は書棚をもう一回眺めて、ちょっとでも興味のある本はないものかと未練がましく題名を目で追ってから、ようやく雑誌の棚、表紙をこちらに向けて並べられた一冊に目を引かれた。引かれた、といいつつもその力は太陽が地球に及ぼす潮汐力と同じくらいの強さだったと思うが、とにかく何かは読まねばならないのである。

「数字力の鍛え方」とその表紙にはあった。「週刊ダイヤモンド」という、ビジネス誌である。たぶん。カルロス・ゴーン(さすがに知っている)、稲盛和夫(どこかで聞いたことはある)、金川千尋(知らない)、高塚猛(知らない)といった人名が、いや無知を誇るわけではないのだが、知らないものはしかたがないのでお許しを願いたいのだが、とにかくそういう風情で並んでいるその下に、一連の数字、いや、数式が書いてある。

1+2=3
4+5+6=7+8
9+10+11+12=13+14+15
16+17+18+19+20=21+22+23+24

 この調子で、字がだんだん小さくなりながら、もっと先まで、99まで書いてある。なるほどこれはちょっと、おもしろい。そして、その横に「左辺と右辺の/数字の合計が/どれも同じになるのは/なぜでしょう?/答えは11ページ」とある。ふむ。なぜだろう。

 単に数字が並べてあるだけではなくて、加法記号入りの等式の形で書いてあるのだから、質問にある「左辺と右辺の数字の合計がどれも同じになる」というのは、やや迂遠な表現である。単に「等式がどれも成り立つのは」と書けばいいようなものだ。しかし、なぜ、とは。

 この問いにちょっと乱暴に答えるとすれば。たとえば飲み会の席、乾杯の直前になってうるさい後輩にこういう質問をされたような状況であれば、こう答えればいいだろう。これは証明を要するような事柄ではない、と。1+2=3には証明は必要ない。単なる算術であり、数、足し算、等号の定義から直接に導かれる式である。なぜと言われても、理由などない。この数式はやけに整っているが、それは自然界の性質である。なぜπは3.14とちょっとなのか。理由はないのだ。

 しかし、ここは酒の席ではなく研修所の図書室であり、質問を発したのは一刻も早く黙らせたい不粋な後輩ではなく、これから少なくとも三十分くらいをつぶしたいと思っている雑誌である。さらに言えばそれにしがみつくように自由時間を託している自分自身だ。であれば、あともう少し、答えを見る前に、努力してみなければならないのではないか。

 とりあえず並べて書いてある数式を、一般化してみよう。一般化というのは、この場合、すべての等式群を文字を使って表せるようにする、ということだが、こうだ。
《自然数nについて、n2から始まるn+1個の連続した数の和と、n2+n+1から始まるn個の連続した数の和は等しくなる。》
 本来数式で書くべきところ、こんなふうに文章で書き下しても見通しが悪くて何がなんだかわからないが、要するに「連続する自然数の和」だ。

 よく知られているように、1から自然数iまでの和は一般にi(i+1)/2である。たとえば一から百までの自然数の合計はこれを使って、100×101÷2=5050になる。だから、自然数iからi+jまでの和は、1からi−1までの和が(i−1)i/2、1からi+jまでの和が(i+j)(i+j+1)/2で、左辺も右辺もこの差を正しく計算すればいい。言い換えると、これを使って両辺の数字の和を一般式で書くことができる。以下過程については事々しくは書かないが、手近にあった封筒の裏を使ってがちゃがちゃと計算すると、答えが出た。数字の和は、左辺も右辺もそれぞれにn(n+1)(2n+1)/2である。両辺は確かに等しい。

 これでいいはずはない。私はボールペンを置いて頭をかかえた。確かに結果はこうなる。計算に使っていた封筒の裏には、nやらiやらj、伸ばした矢印やばってんで消した跡、汚い注記の数々の末に、二通りのやり方で「n(n+1)(2n+1)/2」という数式が導き出されていた。もちろん、証明としてはこれで十分だとは思うのだ。この数式群が、書いてある式(実際に計算して正しいと確認できる)だけではなくて、任意のnについて、つまりここから先に続けていっても、どんなときも必ず成り立つことを証明したことになるのだから、証明には違いない。しかし、より散文的な意味で、これで納得したか、数式の持っている一種の「迫力」のようなものを説明し得たかというと、まったくそんなことはないと思うのである。第一、表紙に掲げられている問いは「なぜでしょう」であり「これから先も正しいでしょうか」ではない。

 だから、やりなおそう。私は封筒のふちを破って裂いて、裏返しにした。さあ行こう。n番目の式の左辺は、n2から始まる。
  n2+(n2+1)+(n2+2)+…
こういう調子で増えてゆき、左辺の数の数(ごめん)は、n+1個だから、最後はこうだ。
  …+(n2+n−1)+(n2+n)
左辺にはn+1個の数字があるが、0から始まっているので「+n」のところで終わるわけだ。次は右辺だ。最初は、もちろん続きだから、
  (n2+n+1)+(n2+n+2)+…
右辺の数の数は左辺より1個少なくてn個。n+1から始まっているので、最後は、
  …+(n2+2n−1)+(n2+2n)
ということになる。ちなみにこの最後の数の次、n2+2n+1は、つまり(n+1)2なので、確かに次の数式の最初の数字である。

 こういうふうに書き出してみると、両者が似ているのに気がつく。左辺の一つ目の項をおいておいて、次からを比較してみよう。左辺の第2項と右辺の第1項は、
  n2+1 と n2+n+1
左辺の第3項と右辺の第2項は、
  n2+2 と n2+n+2
以下同じように続いて、最後は左辺の第n+1項と、右辺の第n項になる。
  n2+n と n2+n+n
 見ればわかるように、右辺と左辺はほとんど同じで、ただ右辺のほうがnだけ多い。このペアの数は1からnまでn個あるから、結局全部でn×nだけ右辺のほうが多い。ところで、左辺にはここに入っていない項が一つあって、それは第1項、n2である。ああそうだ。以上、これで証明になる。左右は常に等しい。

 さっきよりはマシに感じる。1から順にすべての自然数が一回ずつ式に登場すること、各々の式の最初の数字が平方数(ある自然数の二乗である数)である理由も、一応説明できた。誌面では最後が99と、やけにきりのいいことになっているが、これは何進法を使っていても「100」は「10」の二乗になることから説明できる(たとえば、2進法の場合は「11(3)」で終わる式と「100(4)」で始まる式が、16進法の場合も「FF(255)」で終わる式と「100(256)」で始まる式がある)から、まあそういうものだ。以上で、心から納得がいったかというと、なかなかそうはいかないけれども、「迫力」「美しさ」のようなものをむりに説明しようというのだから、このあたりが限界かもしれない。

 さて「答えは11ページ」である。どういうふうに解説してあるのか。私は若干の期待とともにページを繰った。「11ページ」というのは、実はこの雑誌における目次のページなのだが、ええとこれだ。隅のほうに短くこう説明があった。

「4+5+6=7+8で考えてみましょう。整数は公差(加えられる一定数)1の等差数列です。4を基点に、左辺の公差を足すと4+(5−4)+(6−4)で7、右辺の公差を足しても(7−4)+(8−4)で同じ7になります。」

 これで全文だ。えー、これは。なんだろう。どうも意味がわからないのだが、数字を単に合計して比較したのとどう違うのか、4から始まる式以外への一般化もやりにくように感じるが、これでいいのか。

 もちろん。いや、もちろん、これでいいのだ。私は息をついて、多少の満足感とともに雑誌を棚に戻した。テーブルの上のペンと空になった紙コップと、それから封筒の裏表の一山の数式。そして、一時間を切った残り時間。問題の本質は共通している。結果は大事ではない、過程だけに価値がある。その意味で、お礼を言おう。ありがとう、週刊ダイヤモンド。さようなら週刊ダイヤモンド。

 私は落書だらけの封筒をごみ箱に片づけると、窓際で伸びをした。外はまだ雨が降っていた。プロ野球、今晩の試合はあるんだろうか。どうなんだろう。


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