ポケットの中にビスケットが一枚あって、ポケットを叩くとビスケットが増える、という童謡があるのだが、二枚四枚八枚…と倍々に増えるのではなくて、一枚二枚三枚…と一枚ずつ増えるのだ、ということを、私は最近ようやく知った。「叩いてゆくたびビスケットは増える」のは確かだが、その増え方は思っていたよりだいぶ緩やかである。
考えてみれば「こんな不思議なビスケットが欲しい」じゃなくて「こんな不思議なポケットが欲しい」と歌われているのだから、ビスケットを増やす機能は、ビスケットそのものではなくポケットにあるのは間違いない。親が子を産み子が孫を産む、という展開ではなく、ポケットという製造装置があってそれがビスケットを生み出すのであれば、むしろ一枚二枚三枚という増え方でなければならないのである。非常に論理的だ。
なお、ビスケットがゼロ枚(からっぽ)のときにポケットを叩くとどうなるかはまた別の問題として興味深い。なにもないところからビスケットが一枚登場するのなら、このポケットは「ビスケット製造装置」だし、何も生まれないなら「中身を一つコピーする装置」である。言うまでもなく、後者のほうが高度な技術である。ポケットをこう、裏返しというか一回ねじって入れるというかクラインの壷にして叩くと、ポケットそのものが増える。裏返しにして叩くと世界が二つに増えるかもしれない。
他にも疑問は残る。手を入れて叩くとどうなるか。ポケットにすっぽり収まらないとコピーはされないのではないか。そもそも質量保存則はどうなったのか、エネルギーは供給されているのか。いやビスケットは増えているのではなくて叩くと割れてそれで数としては増えるのではないか。それは不思議でもなんでもないぞ。何を言うかこのやろう。このやろうとはなんだてめえ前から気に入らなかったんだ。なんだとあっちいけお前納豆臭いんだよ。納豆を馬鹿にするか偽関西人がジャンとかダヨーとか言うな。うるさいこのへんな虫め。
それにしても、と話を変えるが、不思議なポケットといえばドラえもんであり、この文脈でドラえもんといえば「バイバイン」というひみつ道具のことを思い出さずにはいられない。ここで言い訳を差し挟むなら、ドラえもんに関しては掛け値なしに優れた研究がすでに多数行われていて、「バイバイン」に関しても世界で私が最初に論じることになるとはとても思えない。その上私はドラえもんのよい読者であるとは言えないし、以下も部分的に曖昧なところもある記憶に頼って書くのである。認識不足ないし他でより優れた研究が行われていたら、喜んで訂正ないし本論を取り下げたいとあらかじめ書いておく次第です。
さて、バイバインだ。バイバインは目薬のような、薬品の形態を取る「道具」である。能力は、対象に一滴垂らすことによって発揮され、一定時間(が何分だったのか思い出せないのだが、一〇分くらいだった気がする)ごとにその対象を倍々に増やす。ちょうど対象をある種の微生物に変化させると思えばよいのだと思う。物語では、このバイバインをまんじゅう(栗まんじゅうだったと思う)に対して使い、食べても食べても減らないまんじゅうが、やがてのび太の周囲の消費能力を上回り、どうしようもなくなったドラえもん達は増えつづけるまんじゅうを宇宙のかなたに打ち上げる。
「いつかこの宇宙がまんじゅうで一杯になるかもしれない」という無気味な予感を残す佳作で、長く記憶に残っているのだが、この物語から、バイバインのいくつかの性質を見出せるだろう。まず、バイバインの機能はまんじゅうを食べると発揮されなくなる。当たり前の話、腹の中でさらに倍々に増えたら腹が破裂するので、これは「原型をとどめないように破壊すると増加が止まる」と解釈するのが妥当だろう。ただ、それではどうしてまんじゅうをかなづちか何かで破壊しなかったのか、とストーリーへの新たな疑問が生じるので、物理工学的には美しくないが「対象が本来の機能を発揮することで増加が止まる」と考えるべきかもしれない。食べ物にしか使えないとすれば(その可能性は高い)「他の生物等に食べられた時点で止まる」とすればよいので、ややこのあたりの困難は解消される。
ああだこうだ言っているとまた納豆に関する文句が始まりそうなので先に進むが、ポケットの話と異なり、バイバインはまんじゅうそのものが増える機能を担っており、残った個数が必ず倍々に増えるというところがミソである。倍々は恐ろしい。「一時間ごとに倍に増える水草が、一株からある池一杯に広がるのに二四時間かかるとき、水草が池を半分埋め尽くすのは何時間目か。答、二三時間目」という古いパズルにあるように、まんじゅうが宇宙の半分を埋め尽くしたあと、たった一周期で宇宙全体がまんじゅうで埋め尽くされてしまうのである。いくら宇宙の果てに送り込んだとしても、これではどうしようもない。
ただ、そんなはずはない、とも思う。この場合、宇宙のあっちの果てからこっちの果てまでまんじゅうが一瞬(少なくともまんじゅうの増加周期分の時間、数分間)で移動しなければならないことになるが、それは相対論的にあり得ないことだからである。一定時間ごとに倍々に増える道具を仮定しておきながらなにが相対論か、質量保存則はどうなったんだ、と思われる向きはあると思うが、物語で法則を破るときは、破るにしても最低限にしたいではないか。
いくつか解決策はある。まず、もっともハッピーなシナリオは「宇宙ではまんじゅうは増えない」というものである。まんじゅうは周囲からエネルギーや質量を吸収し、増える。上で提示した「まんじゅうが生物になる」と考えればよい。過酷な星間宇宙でまんじゅうがたとえ生き延びられたとしても、宇宙空間では太陽光線などわずかなエネルギーしか手に入らないので、増えるにしてもその頻度は緩やかである。たまに小惑星などに出くわしたときだけ、爆発的に増えるのである。
しかし、これはあまりに安易なので、ええい、そうではないとしよう。バイバインは、質量保存則は無視する。内部に小さな四次元ポケットでも開いていて、どこからか「繁殖」に必要な質量は調達するのだろう。そしてその上で、その他の物理法則は守る、とした場合だ。この場合、さっき述べたように、どこかで増加速度が光の速度を超える。そうなると、まんじゅうは互いにつぶしあわない限りそれ以上の速度では増えられない。
計算する。その速度に到達するのは、増加周期をTごと、まんじゅう一つあたりの体積をvとして、まんじゅうの個数nが、
(21/3−1)(3nv/4π)1/3>cT
となった場合である。仮に増加周期を一〇分、まんじゅうの体積を百立方センチメートルくらいとすると、個数はだいたい1×1040個くらいになる。ものすごい数のようだが、倍々に増えるまんじゅうにとってはさほどの個数でもない。たった一個から始まって一三三回目の増殖、わずか二二日後にはこの個数に達するのだ(※)。このときの「まんじゅう球」は、差し渡しがちょうど地球の軌道くらいになる。これ以降は、光の速度に制限され、まんじゅう球の半径はせいぜい光の速度でしか膨張しない。
それでも、宇宙に打ち上げられたまんじゅう球は、いつか地球に影響を与える。こっちだけ超光速を仮定するのも変な話だから、まんじゅう球は宇宙の果てめざし、光の速度をいくらか下回るスピードで地球から離れている、と考えるべきだろう。そうすると、ほぼ光の速さで膨張を続けるまんじゅう球は、いつかロケットの行程よりも大きく広がり、地球や月や太陽やその他いっさいがっさいを飲み込むことになる。ロケットが進む速度よりも膨張する速度のほうが速いのだ。
ただ、ここで注意すべきなのは、このときのまんじゅう球の総質量である。これがもう、どえらいことになっている。上の、外径が光速で膨張する個数に達した場合で、まんじゅう一つあたり百グラムとして、太陽の質量の一〇億倍くらいになるのだ。こうなるともう、まんじゅうは自分の重さを支えきれない。文字通り押しくらまんじゅうになって、たぶん、恒星のように一瞬輝いたあと、つぶれてブラックホールになる。架空の道具の話なので以下審美眼的な話になるのは止むを得ないが、ブラックホールになってしまえば、さすがのひみつ道具も能力を発揮し続けると考えるのはおかしい、と考えるべきだろう。実際には上の限界に達するずっと以前に、まんじゅう球は重力崩壊を起こすのではないか。
従って、たぶんドラえもんは正しい。宇宙のかなたに打ち上げられたまんじゅうは、打ち上げに使われた宇宙船が超光速宇宙船でない、普通の宇宙船だったとしても、十分速ければ、安全な太陽系外でブラックホール化するだけで、以下そこにとどまる。宇宙船の加速度が本当に凄くて、相対論的な時間の遅れが期待できれば、もっと安全である。そう、宇宙はまんじゅう死から救われるのである。
さて、今回書きたかったことはだいたい以上で、以下は私事にわたる。いきなりだが、先日私に二人目の子供が誕生した。今度は男の子である。このサイトを立ち上げた頃には家族は一人で、結婚して二人になり、気が付いてみると人数がさらに倍に増えているのだからびっくりする。バイバインならぬ身の悲しさ、さらに倍、とはなかなかいかないと思うが、やがてこの子らも成長して、各自子供をもうけるのであればそれはそれでいいとも思う。何事も細く長くがよい。指数的増加の悲劇は、ブラックホール化でしか終わらないように思えるからである。