本屋の、ベストセラーのコーナーには、昔から無関心に近かったのだが、最近は歳は取るし阪神タイガースは調子悪いしで機嫌が悪く、もう、のぞいてみるたびに軽い怒りを覚えている。自分の趣味に合った本がベストセラーになっていることがほとんどないからなのだが、並んでいる本についていちいち「本当の本読みはこんなの読まないんだ」と一瞬思っては、いかんぞいかんぞそうではないぞ、と我に返らなければならない。
そもそも私は「典型的な読書家」とも言えないと思うのだが、「本当の本読み」とはいったいなにか。よくよく考えてみるだに、世界に中心が存在しないように「本当の本読み」はどこにもいない気もする。もちろん、読書量の多寡ということでは順位はつけられると思うが、執筆論文数が最も多い人が「真の物理学者」ではないのと同様、たくさん読めば偉いわけでもない。かてて加えて、読書と言ってもここで言う本とはエンタテイメント、求道するようなものではないので、「まことの陶芸家」「本物の役者」というのとは明らかに違う。「真の本読み」というのは「真の昼寝家」というようなものかもしれない。たぶん、読書とは人生そのものと同様、間違っていたり正しかったりするものではないのだろう。
しかし、といったんまとめておいてここでちゃぶ台をひっくり返す。しかーしだ。皮やビニールでできたブックカバーや、金属でできた「しおり」。こういうものを使っているのは、本当の本読みではない。あんなものは、年間一冊か二冊しか読まない人か、あるいは十年くらい同じ一冊の本を愛読書にしていて旅行にも飲み会にも必ず持ってゆく、そういう人が使うものだ。そんなのは少なくとも「本当の本読み」ではない。ええいうるさい。口答えをするとは何事だ。文句を言うならこの家から出てゆけ。
と言い放って、本当に出てゆかれてしまうと父さん悲しいので、まあ落ち着いてここに座ってお父さんの言うことを聞きなさい、怒鳴ったりして父さんも悪かったから、なのだが、ええと、打ち明けた話、私も本を読むし、基本的にマウスパッドやら携帯電話のストラップやら、そういう、何と言うべきか「小物」は大好きなので、奇麗なブックカバーや素敵なしおりも持ってはいるのである。
ところが、これが役に立たない。いや、ブックカバーの場合は、確かにしばらくは役に立つのである。奇麗なカバーを文房具店で見つけて、ついフラフラと買ってくる。それを今読んでいる本にかけてみる。見た目はとても奇麗であり、手が滑らなくて快適であり、本のカバーの表面も傷だらけにならなくて、とてもよろしい。何も悪いことはない気がする。
なのに、長続きしないのだ。どうも、私は四、五冊に一冊の割合で「読んでいる途中で放り出す」「放り出さないまでも次の本を読みはじめてしまい、後回しにする」ということがあるらしく、そういう場合にカバーをかけたままの本ができてしまうのである。ますます「本当の本読み」からかけ離れて行く気がするが、本の面白さには読むシチュエーションによって判断できる濃淡があって「いつ読んでも面白い」から「電車の中なら読める」「病院の待合室なら読める」「アメリカの宿屋で他になにも読むものがなければ読める」というように、面白くなくなるに連れてだんだんと読むべき機会が少なくなってゆく。あなたはどうだかわからないが私はそうである。そして、いったんカバーをかけた本が「その本と一緒に無人島にいたら読める」レベルであることが判明したが最後、カバーは二度と戻ってこないのだ。無人島には行かないからである。
というわけで、幸いかなり多くの人がそうではないかと思うのだが、私も、格好わるいなあ手が滑るなあと思いながら、ふだん、本屋がかけてくれたカバーをつけて本を読んでいることになる。つけてくれなかったとき、「カバーはいりません」とついレジで言ってしまった時には、自分で新聞の折り込み広告を折ってカバーをかぶせる。今読んでいる本もそうなっているが、表紙の「出し巻き卵」が無意味においしそうなのである。
ところでしおりだ。カバーがそういうことなので、しおりなどなおさら身につかない。買った本に挟み込んである広告の入ったしおりや、「投げ込み」というのか、出版のご案内のようなものとか、図書館でくれる「借りた本リスト」になっているレシートとか、あり合わせのメモ用紙とか、名刺とか、ポストイットとか、ガムの包み紙とか、今乗っている電車の切符とか、そういったようなものを挟んでいる。無意識にこれをやるのであとで大慌てである。
なんでこんなことになるのか。これが私だけで、本当の本読みである他のみんなはそんなこと全然なかったりするとまたしても父さん悲しいのだが、分析してみた。まず、本に投げ込んであるしおりを使って、読みかけのところに挟む。次に読むときはしおりのあるところから読むが、このときしおりが邪魔になるので、わきにどかす。最初のページあたりに一旦挟んでおけばいいのだが、どうもページが固くなるので(特に最初のほうのページを読んでいるときなど)取り出す。そうして、どこかにしまいこんだが最後、出てこなくなるわけである。なるほど。
なにか、具合のいいしおりを購入することで、取り除けなくはない難点であると思う。しかし、そういうしおりは、カバーと同じように、やっぱり身につかないのである。いろいろ首をひねってみたが「投げ込みのしおりに指を通せる穴をあける」というものしか思い付かなかった。もし最初からこれに穴が開いていれば、読んでいる間小指あたりでぶらぶらさせて、読み終わるまでなくさずにいられるような気がするのだが、どうだろうか。出版関係者各位には、ぜひご一考いただきたい、と、そんなに困ってもいないくせに偉そうに書くのであった。ますます本当の本読みではないね。