「赤ん坊の泣き声はサイレンと同じ周波数である」というような話をどこかで聞いた。もちろん、泣き声もサイレンも単一の周波数の音ではないだろうし、赤ちゃんも人それぞれなら、サイレンも各種いろいろあるのであって、そもそもがどこかあやふやな、ええかげんな感じがする話である。しかも、よく考えてみれば、これは赤ん坊が(あるいは、人間と言う存在が)よくできている、ということなのか、それともサイレンというものはうまく作られている、ということか。どっちが言いたい話なのか。
そんなことはどうでもよいのである。両者の目的は同じであり、要するに「注意をひく」という機能を果たすべきものだ。私には子供が二人いるのだが、どちらも声が大きくて、特に赤ん坊のほうは、確かにサイレンとしかいいようのない声で泣く。なるほど、サイレンと同じだから、夜中に泣き出したとき、放っておいて寝ているわけにはいかない、のかもしれない。
つまり、そのとき、私はサイレンを二つながら経験していたのだが、一つ目に気を取られたせいか、二つ目にはなかなか気が付かなかった。
ここは、山間の温泉地。梅雨明けの夕方の、じっとりとした湿り気のある空気の中を、昼間の熱と赤ん坊の発生する熱の両方を身に受けて、私は河原の岩場の上を歩いている。
足元は悪い。岩場というのはそういうものだが、その上に、浴衣の私に旅館が貸してくれた下駄は、下駄なので、いつも履いている靴とはだいぶ勝手が違うのである。まずもって、歩くとカランカランという。安定が悪くて、ただ立っているだけでもふらふらする。しかも、鼻緒が足の指と指の間に食い込んで、たいそう痛い。転ばないように踏んばると、よけいに痛い。日本人として、下駄に対してこんなに苦情を書いていいものかどうか、格好いいことではないと思うものの、理想はともかく事実として痛いのである。運悪く、数日前に足の親指の爪を深づめしていた、そのことも私と下駄にとっての不運であろう。
私がどうしてこんなところでこんなことをしていたのか、説明の途中だった。今、私の腹の上には、七ヶ月になる赤ん坊がいて、というのはつまり「抱っこひも」というものだが、上の子のときも愛用していた赤ん坊固定具で、これがあれば、壊れ物である赤ん坊を運びつつ、とりあえず両手を空けることができるという、たいへんすぐれた製品である。このようにアウトドアだけでなく、家の中、「抱っこしていないと泣く」というような時にも、便利に使える。そして今、このひもにくるまれて、下の子である赤ん坊が、私の腹の辺りからこっちを見上げて泣いているのである。たいへんに暑い。
うぐあ、うああ、うああああああ。カラン、と、私はまた片足を踏み出した。赤ん坊の声は大きくて、私の神経がしくしく痛んで、どうにかして泣き止ませなければ、と思うのだが、軽く揺さぶってみたくらいでは機嫌を直してはくれないらしい。ほぼ万能の「泣き止ませ薬」は母親の乳房だが、彼女は今上の子と一緒に近くの露天風呂を満喫している、はずである。暇を持て余した父と息子が河原を散歩しようとして、本当に暇を持て余した息子が大泣きをしているのである。非常に困ったのである。
と、急に、一瞬静かになって、私は骨の折れた凧のような気持ちを味わった。赤ん坊が息継ぎをして、少し泣き止んだ瞬間に、もう一方の音も静かになったのだ。そうそう、そこで、はじめてその「もう一方の音」というものが意識にのぼったのだった。なんだろう。なんだったのだろ。
幸せな一瞬は夢のように過ぎ去り、また子供が泣き出して、私はまたかれを揺さぶる。足の指が痛い。泣いた赤子に呼応するように、また「音」が始まった。あ、なにかのサイレンの音だ、これは。長く、長く、変調も音の増減もなく、一定の音が続いている。子供の泣き声は毎回、毎声どこか違うもので、そこが放っておけない理由の一つになっているのだが、こちらのサイレンは、まったく単調である。音というよりは「圧力」のようにも感じる。
そちらとは関係なく、あああわああわあわあわがわあぐあがあわああ、と泣く赤ん坊に、絶望的な気分で大丈夫だよお父さんいるじゃないか泣かないで泣かないでねと声をかけて、それでも泣き止まないので少し揺らして足の指が痛くて私も泣きそうである。気が付いてしまうとサイレンもうるさくて、夏の山は暑く、虫刺されはかゆくて、夕暮れの涼しい風は河原にはなかなか吹かない。一分ほどそうして立ち尽くしているうちに、これらの中で最も気にしていなかった問題が解決した。サイレンがまた止んで、今度こそ、もう始まらなかった。
だからといって、問題はなにも解決していないのだった。私は、あがあわあああごああああ、立ち止まっていたのが気に入らなかったのかもしれない、と、音量にしびれた頭で考えて、とにかく露天風呂の方に行ってみよう、と歩きはじめた。カラン。もしかしてこの子の声を聞き付けた母親が、騎兵隊よろしく駆け付けてくれるかもしれないし。あああわあああ。カラン、カラン、足の指が痛い痛い。ああわああががぐああわあああああああ。カラン。暑い。カラン。がああああうううん。
赤ん坊が、ふと、泣き止んだ。私は、止んだ泣き声にむしろびっくりして、世界に「泣き声のない状態」というものがあること自体信じられなくて、痛みと慣れないバランスにこわばった足を引きずるように、もう一歩歩いた。カラン。痛い。目の前に何か看板があるよ。カラン。痛い。
痛みに耐えかねて、立ち止まってみる。看板は何か、上流にあるダムの話だった。時折雨が降り過ぎたときなどに、ダムが放流することがあって、そのときはお知らせします、ということである。そのときには河原から避難してくださいね、だそうだ。私は河原を振り返った。中央に、川の流れが、ちょろちょろゆったり流れている。息子は、私の腕の中、じっと私を見上げている。うんうん、行こうな、お母さんのとこ行こうな。
私は河原から堤防沿いの道に続く階段を上る。カラン、カラン。ああ痛い。汗がうっとうしい。階段というのは、下駄にとって特に危ないところで、それはもう命に関わるところで、私は足元と手すりに集中してのぼり続ける。痛い。暑い。もう二度と下駄で河原は歩かない。カラン。
そうして、堤防の上から、その水音に、最後にもう一度振り返ったときには、すでに川の水が「濁流」に変化していることを、私は、知る。さっきの河原は、もうどこにもない。茶色い、恐ろしい急流が、川幅一杯に渦を巻き飛沫を散らしつつ、いつまでも流れ続けている。ダムの放流は、結局、その後夜通し続いたのだが、あまり、涼しくもならなかった。