だいたいにおいて、なにごとによらず、知らないよりは知っていたほうがよいものである。知っていれば知らないふりができるし逆はできないが、それよりも何よりも、人生を振り返って、困った時煮詰まったときに、全く違った方向から思わぬ解決策を提示してくれたのは、それまで無用だと思っていた雑多な知識ではなかったろうか。そんなことは一度として無かったというあなたも、うまいときにうまい知識が出てくるためには、できるだけ、広い範囲のものごとについて、知っていないよりは知っているべきである。
しかしその上で、知らないほうがいい場合があるのではないか、と、実は最近思うことがある。もちろん、あることについて知るのが、自分にとっていいことなのかそうではないのか、知る前にはわからない。いや、場合によっては、知ってからだって何十年もの間、よいことだったのかどうか、わからない場合もあることだろう。知識というのはそういうものなので、言ってもせんないことながら、それでも言いたい。知らなかったことにより得をする場面は、ある。
で、その一つが、こういうような雑文を書く場合ではないかと思うのである。これは雑文によらず、掲示板での対話でもチャットでもネットを介さない雑談でもいいのだが、あることについて、何にも知らないまま、どうしてでしょうねえなんでしょうねえといろいろと考えを巡らすことは、最初からそのことを知っていてぱっと答えが出てくるよりも、数段面白い場合がある、と、思う。間違った知識をもとにわあわあ言っているわけで、「その場面白い」以外にどういういいことがあるのかはよくわからないが、とにかく、知っていたらこんなおもしろい話できなかったよねえ、というのは一つの収穫には違いない。
さて、長いこと、私は確たる知識がないまま、疑問に思っていることがあった。「長年の疑問」ではあるが、もちろん、毎日まいにち夜も昼もずっと疑問に思い続けてきたというわけではなくて、一年に一回か二回、ぱっと思い出して一通り首をひねっては、そうだよ調べたら分かるんだよなあ、でもここには辞書がないんだなあ、というタイミングばかりで、すぐまた忘れてしまうという、そういう繰り返しになっている疑問である。つまり、コーンというのは何か、これだ。
たとえば、相対論に関連して「ライトコーン」という語が出てくる。空間の三次元の一つを省略してかわりに時間軸として図示すると、光の進む世界線が円錐のように見える。「光円錐」と訳される言葉だが、知らないひとには決してわからないこんな説明はどうでもよく、要するにコーンは円錐のことであるらしい。そういえば、道路工事をやっているところに置いてある、赤い円錐も「コーン」という名前で呼ばれている。
いや、それよりもあれだ。まずもって、アイスクリームの「食べられる器」として使う円錐形ウエハース、あれこそがコーンである。私にとっては、コーンというとまずこれなのだが、ここで考えるのである。これは円錐形だからコーンなのだろうか、それとも、トウモロコシでできているからコーンなのだろうか。
少なくとも、トウモロコシはコーンというのだという、そのことだけは間違いない。トウモロコシからアブラを取ると「コーン油」だし、朝食に食べるケロッグは「コーンフレーク」である。だからトウモロコシは英語でコーンだ。英語deコーンだ。
そこで疑問の核心が出てくる。コーンはどっちから来たのか。これだ。まず、トウモロコシは昔からあったはずで、こいつのことを昔からコーンと呼んでいたとしよう。これでコーン油を作ったりコーンスターチを作ったりしてそれでビールやら発泡酒やらを作っていたとしよう。それがあるとき、アイスクリームの器として加工される。これをコーンと呼ぶ。これは円錐形のものであった。やがて円錐のことを、コーンと呼ぶようになる。だからライトコーンであり、道路のコーンなのである。
しかし、とここで逡巡するのである。円錐という言葉が、アイスクリームを元にしてできるほど新しい言葉なのだろうか。そんなはずはない。たぶん「円錐」自体は、ギリシャ時代くらいに起原がある概念に決まっている。可能性があるとすれば、たとえばローマ時代以来ずっと呼ばれてきた古い「サーキュラーなんとかなんとか」という長ったらしくわかりにくい言葉が、アイスクリーム登場以来新しくて短くてさっぱりしていてわかりやすい「コーン」という言葉に置き換えられてしまった、とか、そういうようなもので、自分で言うのもなんだが、実にありそうだとは思う。
しかし、と二度逆接を続ける。一旦納得しておいてなんだが、まだ疑問が出てくるのである。円錐という巨大な概念と、トウモロコシという、これも巨大な概念が、アイスクリームというような軽いかーるい一点で繋がっているというようなことがあってもいいものか。だいたい、さっき書いた「ライトコーン」などという言葉は、つまり相対論なので、戦前戦中戦後間もなくあたりの命名のはずで、そのときにアイスクリームのコーンなんかがあったのだろうか。いや、アメリカあたりにはあってもおかしくないし、物理学(特に核物理学)では回転楕円体の一方の種類のことを「パンケーキ型」と呼んだりすることがあるので、アイスクリームに基づく命名があってもそんなにおかしくない気もしてくる。くるが、さらに言えば「ユニコーン」のように、円錐形の角のことはコーンというではないか。これはさすがにアイスクリームよりは古い気がする。
そこで、逆方向に考えが回りはじめるのである。逆だったとすればどうか。円錐は昔からコーンだったとする。それがなんらかのきっかけでトウモロコシという穀物に名付けられたという可能性はないか。トウモロコシというものは、なんだか新しそうな、少なくとも欧米人にとって新しそうな、そんな感じはする。だからといって、まさかアイスクリームのコーンができるまでトウモロコシになんの名前もついていなかったということはないと思うが、ほら、たとえば、トウモロコシって、なんとなく全体的に、円錐形をしていないか。どっちかというと紡錘形だといいたい気持ちは私も同じだが、そこは日本語の「トウモロコシ」を見ればわかるように、名付けというのは偶然から来るところが多い玄妙なものである。何が起こっても不思議はない。どうだろう。
以上、まとまらない話を延々と書いたが、そういう疑問を持っていたわけである。コーンはどこからきて、どこに行くのか。どこから流れはじめて、どこに流れ着いたのか。コーンはアイスクリーム以前もコーンだったのかどうなのか。おとぎ話の王子でも昔はとても食べられないアイスクリームアイスクリーム。ちいたかたったおいしいね。
調べてみた。なに、錯乱している場合ではなく辞書でちょこっと調べたらわかることなのである。で、本当はどうだったのかだが、いやもうまったく、十年も二十年も疑問に思っていたわりに、調べたらそれこそ一瞬でわかることだった。皆様には本当に「疑問に思ったら調べる」というよい習慣を身に付けていただきたく、私のぐずぐずになった屍を乗り越えるために心から身に付けていただきたく、だから賢しらにさっき得た知識を書くのは遠慮をして各自調べていただきたいのだが、本当に恥ずかしくてびっくりするくらいの真相だった。たった一つ書いておくとすれば、あのアイスクリームのコーン、あれは、小麦粉で出来ているそうである。みんな知っていて私だけ知らなかったとしたら恥ずかしいが、もしご存じでなければ、詳しくは、辞書に当たってください。
さて、以下あなたが最初から知っていたないし調べていただいたとして話を続けるが「とんがりコーン」はどうなのか。あのコーンはどっちのコーンなのか。まさか二つのコーンはとんがりコーンを支点として繋がりあっているのではないか。ああ、などと書いていても、知識を得てしまった今、まったく説得力がなくて、どうにもいかんともしがたいのである。まこと、知っているより知らないほうがいいことというものは、あるのである。