青いクリスマス

 事情があって、この雑文を発表するべき時期(クリスマス)を外してしまったのだけれども、言いたいことがあって、来年だと手遅れになるような気がするので書いておきたい。そんなに重大なことでもない。去年あたりから、イルミネーションに「青色」や「白色」が目立つようになった、ということである。

 青色発光ダイオード(LED)がなくても、もちろん青色のフィルタをつけたランプというものは昔からあって、信号の青がそうであるように、ずっと利用されてきたのだが、昨今のイルミネーションの青は、もちろん青色LEDの発明なくしては流行しなかったものだろう。

 青色のLEDが、他の色のそれに比べて高価であること、従ってコストを押さえるべき場面では常に赤ないし緑のLEDが使われてきたことによって、すべての人がはっきりとは認識してはいないことながら、イルミネーション中の青色の光には、今、ある種の高級感がある、と思う。パソコン関係のインジケーターに、まぶしいような青が使ってあって、はっとすることも多い。もっとも、この印象がいつまでも続くわけではないというのも、おそらく確かである。いずれ普及に伴って、ありふれた照明の一つと見なされるようになるのではないか。

 LEDというのは、light emitting diodeの頭文字を取ったものである。何の説明にもなっていないが、ダイオードというのはこの際「二種の半導体を接合したもの」というほどの意味である。陽極から陰極に向けて電流を流すと、両端から正孔と電子がやってくる。境界面でこの二つが結合して、このとき余ったエネルギーを光として放出する。この際、出てくる光の色は、エネルギー差で決まる。

 原理はともかく、電流を流すと、高い効率で光に変換する、ということである。発熱が電球や蛍光灯に比べてわずかで、寿命も長い。長くあった赤緑に加えて青が揃い、三原色を作れるようになったことで、よいことはたくさんある。たとえば、面に配列することによって、カラーテレビを作ることができるようになった。白い光を作って、明るい懐中電灯を作れるようにもなった。信号だって作れる。従来、ヒ化ガリウムを用いた、赤、緑に発光する素子があり、高輝度の青色LEDは二十世紀中には不可能といわれたこともあったのだが、四国の小さなメーカー(日亜化学)が窒化ガリウムを用いて実用化に成功した、という経緯がある。

 発明者(の一人)であり、当時社員として研究に従事していた日亜化学に対して、特許権をめぐる訴訟を起こした中村修二氏は、今年、六〇四億円もの対価を得る判決を勝ち取って話題になった(ただし、現在も係争中)。このとき、中村氏はこの青色LEDを称して「百年に一度の大発明」という意味のことを発言している。

 判決自体については、私にはどちらが正しいのか、それどころか、どちらが正しくあるべきなのかについてさえも、よくわからない。直感的に「そんなにもらえるのは間違っている気がする」と感じて、そういう自分をすこし恥ずかしく思って、何冊かの本にあたって、ますますわからなくなってしまった。ただ、この発言に関しては、たぶん場の雰囲気というものもあると思うが、ちょっと言い過ぎである。

 青色LEDは、確かに大発明であると思う。けれども、百年に一度ということは、二〇世紀に発明された他の全てのもの、それはラジオに始まり、核反応炉であり原子核爆弾であり相対性理論であり、レーダーであり月着陸船であり通信衛星でありジェット旅客機でありそれどころか飛行機そのものであり、インターネットでありパーソナルコンピューターであり携帯電話でありCDであり半導体でありなにより、テレビであり、レーザーであり、真空管であり、ハイブリッドエンジンでありバチスカーフであり蛍光灯であり液晶であり、経口避妊薬であり人工透析であり内視鏡手術であり放射線治療であり核磁気共鳴CTであり抗生物質であり、泡箱であり粒子加速器であり量子力学であり、GPSでありDNAであり食器洗い乾燥機であり、その他いろいろいろのことだが、それらすべてよりも、青色LEDが優れた発明だということになってしまう。これだけ並べてみると、率直に言って間違いと言うしかない。

 そもそも、赤色や緑色(黄緑色)のLEDが二〇世紀の発明である。最初の発光ダイオードは1962年の発明だが、一色だけにしてもLEDが発明されることで、人類は、熱をほとんど持たない、長寿命で、点滅速度が速く、明るい光を手に入れた。赤いのを我慢すればこれを使ってモノトーンの表示板を作ることはこれ以降いつでも可能で、事実、かなり多くの電卓や、電化製品のインジケーターランプがそうして作られた。これに比べて、青色LEDは確かにパズルの最後のピースで、それはこんなに早く見つかるとは思われていなかったこともあったピースだけれども、たかだか白黒テレビに対するカラーテレビ並の発明に過ぎない。確かに大発明であろう。十年に一度と称しても恥じるところはないかもしれない。しかし、そこまでである。

 ただ「これまでの百年」と「これからの百年」は多少事情が違うであろうこと、それから、青色に発光する材料を探すというのは「適切な化学物質(とその結晶成長法)の発見」ということになるので、上のいろいろな発明に比べて、大人数による研究によって力づくで発明される部分が少なく、少数のひらめきによるしかない、という事情はあるのかもしれない。エジソンの言った「天才は1パーセントのひらめきと99パーセントの汗で作られる」という言葉における、ひらめき含有量の多い発明ということだが、これらの点で、発言は弁護できるだろう。一個人によるものとしては、これからの百年間、あと一度もないほどのマグニチュードを持ったひらめきだった、のかもしれない(このあたりも、参考文献からどうもよくわからない部分である)。

 ところで、信号機は青色LED発明前にも、緑と、黄色と、赤はあったのだから、LEDで作ることができていたはずである。緑色があまり青ではないので困る(※)、ということであれば、青だけを従来どおりランプで作る、という折衷案もある。というのも、信号のほかの色に比べ、青は切れても比較的混乱の少ない色であり、そのぶん、冗長性を犠牲にして、ランプの交換周期を伸ばすことができるからである(通常、ランプの信号は寿命の前に余裕をもって交換作業が行われるそうで、この余裕分を減らすことができる)。二色分だけでも消費電力は低減できるし、もともと「青がない信号」というのもこの世には存在するので、これがLEDにできない理由はない。実際には、ランプ1つ換えるのも3つ換えるのもさほど手間は変わらないとか、下の註に書いたように青色の発明前には明るい黄色も調光できなかったのだとか、そもそも警察にはそんなにシビアなコスト意識はないのではないかとか、それなりの理由はあると思うのだが。

 これから先、クリスマスイルミネーション、あるいは電化製品のインジケーターの中で「青」がどのような存在になってゆくのか、少なくとも、これから成長する子供達にとっては、これは最初からあるものであり、さほどの感慨を引き出すものではないはずである。しかしそれは、二〇世紀の他のすべての発明がついにはそうなったように、発明者にとっては、むしろ誇りとすべきことかもしれない。新奇性が日常の中に埋没し、さまざまな流行も、そして争いも、やがて過去のものになり、ただ技術だけが受け継がれてゆくこと。それがたぶん、人類を進歩させるということなのである。


以下の本を参考にしました。
「負けてたまるか! 青色発光ダイオード開発者の言い分」中村修二、朝日新聞社、2004年
「青色発光ダイオード 日亜化学と若い技術者たちが創った」テーミス編集部、テーミス、2004年
「真相・中村裁判」中村修二/升永英俊、日経BP社、2002年
「科学と発見の年表」アイザック・アシモフ、丸善、1992年
※ただ、今あるLED信号機の青も、そういう目で見ると純粋な青色LEDの青ではない。他色と混合するなどして、わざわざ元の信号に似せた色を作ってあるのだと思う。
追記:こういうことを書いた日(1月5日)のすぐ後、1月11日に発明対価をめぐる控訴審は、日亜化学が中村教授に八億四四〇〇万円を支払うこと等で和解に至ったと報じられた。案の定、この文章は来年書くわけにはいかなかったですね。
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