ヒトガタ

 数年前、私(大西)は、あるインターネット上の掲示板において、人間型の兵器が活躍する場面はどのようなものかについて、ちょっとした議論に参加した。巨大な人型ロボットが活躍する、もっともらしい世界設定が作れるか、という筋の問題提起なのだが、現実として、人間サイズのロボット兵士ならともかく、巨大ロボットにはまともな活躍の場は考えにくい、という論旨であった。妥当な結論ではないかと当時思ったものである。

 巨大ロボットに活躍の場がないという結論は、もしや自明かとも思うが、一応、以下のような理由によるものである。まず、戦場に立っている人間の兵士を思い浮かべる。かれは最強ではない。兵士にはヘルメットや防弾チョッキのような防具を装備する余地があり、また立っているよりはしゃがんで、しゃがんでいるよりは伏せているほうがより強力である。適切な防具は急所への被害を食い止めることができるし、伏せることによって飛んでくる弾丸、爆風等の被害を受けにくくなるからである。どちらにも移動速度とのトレードオフがあるが、一般に兵士よりも弾丸のほうがずっと速いので、現代の戦場においてはある程度は許容される。

 これと同じ議論によって、戦場に立っている人型ロボットも最強ではないと言える。ロボットの中枢系は厚い装甲で守られるべきであるし、ロボットは戦場に伏せて、攻撃を受けにくくするべきである。

 人間とロボットが異なるのはここからである。人間は戦場での生存を目的として設計された存在ではないが(それを言えばどのような目的に向けても設計されてなどいないが)、ロボットは、目的に応じある程度自由な改良が可能である。たとえば、守るべき中枢が頭(脳)と胸(心臓)に分散しているのは効率が悪いが、ロボットでは容易に一つにまとめることができる。寝た状態で高速に移動できれば兵士にとっては有利で、だから匍匐前進が訓練されるのだが、ロボットにそのような機能をつけることは簡単である。

 そう考えると、戦闘用の巨大ロボットのあるべき姿は、人間とますますかけ離れたものになってゆく。ロボットは、姿勢を低くしたまま移動でき、重要な部分を厚い装甲の向こうに隠したものでなければならない。あと幾つか、やや誘導的な議論を行えば、砲やミサイル発射装置を本体内に備えた「戦車」に似たものになる、と結論するのはやさしい。さすがにそれは強引に過ぎるとしても、裸で戦場に立っている兵士が現代の戦場において最強の兵士でない以上、戦闘用の巨大人型ロボットがそのまま実現する可能性が低いのは確かである。

 さて、巨大ロボットが人間の兵士を代替するように「これまで人間がやっていた仕事を肩代わりしてやってくれる機械」というものが、他にもいろいろある。特に電気で動く場合は電化製品と呼ばれるもので、たとえば掃除機、洗濯機、炊飯器のようなものである。ここで、動力として電気を使わない機械、たとえばパワーショベルや足踏みミシンは「電化」ではないから広く「機械化製品」とでも呼ぶしかないが、人間の労働を肩代わりないし軽減するという点において「電化製品」と同じカテゴリに属するものである。この文章では動力源は興味の外にあるので、以下、特に区別せずまとめて論じることにしたい。

 電化製品としてひとまとめに見た場合、これを二種に分け、このうち一方をまた二種に分けることができる。まず弱い意味での電化製品がある。このカテゴリに属するのは、テレビや冷蔵庫である。まず、テレビの代わりになるものは、それまでの家庭にはない。一方、冷蔵庫は一義的には食料の保管庫なので、冷蔵庫が肩代わりする人間の仕事はたとえば「氷を買ってくること」あるいは「毎日買い物に行くこと」であり、確かに電化されているとしても、それはやや弱い、間接的な意味においてである。

 これに対して、先に挙げた掃除機などは、仕事をする人間を直接的に代替する、強い意味での電化製品である。これをさらに二種類に分け、第一種、第二種というカテゴリを与えたい。まず、第一種の電化製品は「人間の仕事を、それが人間がやるのと同じ方法ですることによって、人間の仕事を肩代わりする電化製品」とする。これに対して第二種の電化製品は当然「人間の仕事を、それが人間がやるのと異なった方法ですることによって、人間の仕事を肩代わりする電化製品」である。

 例を挙げよう。掃除機は第二種電化製品である。人間は掃除、特に床の上の埃や細かい砂を取り除く作業を行うとき、箒のようなものでゴミを集め、ちりとりに取って捨てることで行う。これに対して掃除機は、普通ゴミを強力な気流によって吸い込む。どちらも床からゴミが取り除かれていることに違いはないが、方法は異なっている。

 洗濯機も第二種に属する。洗濯物を板の上でごしごしとこすったり、踏んだりすることによってではなく、洗剤を含む水中でかき回すことによって水流の力を利用して洗濯を行うからである。また、食器洗い機も第二種である。タワシやスポンジでこするのではなく、分解酵素の入った湯を吹きつける。これで「食器が洗える」ということ自体直感に反するが、事実、これでほとんどの汚れは落ちるので、洗っていると考えるしかない。

 このように、周辺を見回してみると、第一種電化製品は思ったよりも少ない。扇風機は、扇ぐのではなく羽根車の回転によって気流を生む。ミシンは上下2本の糸を絡める、人間と異なった原理に基づいて布を縫う。プリンターは、たとえばインクを紙の上に吹き付けることによって「書く」。「投射体を遠くに飛ばす」という、人類がここ百万年ほど行ってきた作業に対するソリューションは、弓、鉄砲、ロケットと全く原理が異なる。「手で投げる」と似ているのはスリング(投石器)の一種のみである。一般に、機械化において人間と同じやりかたが採用されることはめったにないと言えるかもしれない。

 ただ以上は「第一種」を非常に狭く捉えた上での発言であり、本来これらは連続的で、ある程度恣意的なカテゴリ分けをせざるを得ないことに注意したい。たとえば扇風機においては団扇と比べ「風に当たると涼しい」という原理は保たれていて、この意味では第一種であると言うこともできる。「気温を下げると涼しい」という、異なった作動原理を持つエアーコンディショナーと比べた時に、特にそうである。

 第一種に分類されるべき装置がないわけではない。家が稲作農家である、そう多くはない人々を除いて馴染みはないかと思うが、春、田に稲の苗を植える「田植え機」というもの、これは少なくとも部分的には、第一種の機械化製品であるとみなせる。というのも、田植え機の田植えアーム、苗床から苗をつかみ取り、泥田の中に差し入れる動作が、非常に人間的だからである。実際にはクランクを使った単純な動きで、手の動きとの類似は表面的なものかもしれないが、苗を植えるという作業について、これが最善の方法だとすれば、例外的であり面白い。たとえば「種をヘリコプターを用いて撒く」というような方法と比較すれば、十分第一種的な機械化であると言えるだろう。

 あるいは「餅つき機」は、家庭用のものは、蒸したもち米の中で羽根が回転する、という洗濯機に似た第二種的な方法で餅を作るのだが、あるメーカーにおいては人間が餅をつくのと同じように、重量のある杵を機械的に上下運動させることでついている(という映像をコマーシャルフィルムで見たことがある。「杵つき」と表現していた)。これが本当に高級な方法なのか、つまりこちらのほうが真においしい餅を作ることができるのか疑問なしとはしないけれども、説得力はある。これは「羽根の回転運動によって餅がつける理由がよくわからない」という、イメージ的なものではないかと思うが。

 もう一例を挙げれば、自転車のペダルが「第一種」的である。人力を用いた乗り物には、手漕ぎボートのように「漕ぎ手の後方に進む」という、はなはだ直感的でないものもあることを思えば、「ペダルを交互に踏みこむ」という自転車の駆動方式は、かなり直接的に、人間の歩行を模したものに思える。自転車と道路の間のエネルギー伝達こそタイヤの回転による「第二種」的なもので、だから道路に舗装が必要になるわけだが、プロの乗る競輪用の自転車でもペダルに関しては同じ方式を採用していることを思うと、この第一種的な装置「ペダル」が、人間の筋力を自転車に伝える上で、かなり最良に近い方法になるのだろう。

 このように、僅かな(そしてそれぞれ興味深い)例外を除き、世界は第二種電化製品にあふれているわけだが、ここで思い出すべきは、人型ロボットが純粋に近い「第一種電化製品」であることである。私はこの文章の最初で、巨大ロボットについて「人間サイズのロボット兵士ならともかく」と書いた。当時、人間サイズのロボット兵士には一定の役割があると考えていた、ということである。人間サイズの「非巨大ロボット兵士」は、人間の兵士と共通の武器を使い、人間用のドアを開け、人間用の階段を下りて、人間のために設計された要塞を攻撃し、人質救出などの任務を行うことができる。人間型であることが持つ万能性と併せて考えるとき、、これらは存在を肯定するに足る価値と言えるのではないだろうか。

 用途は角度で表せば一八〇度と言ってよいくらい異なるが、全く同様の利点を「介護用ロボット」についても主張することができる。これは近い将来、家事をこなすロボットが家庭に導入されるというもので、なぜこのロボットが人間の形をしていなければならないかの理由が、要介護者の精神衛生の目的のほか、人間のために用意された空間で、人間のために用意された道具を使い、家事を行うことができるという点に求められる。

 ところが、これまで電化製品が採用してきた方針は、このロボット兵士/介護用ロボットの取るアプローチと明らかに異なっているようである。電化製品は、人間のそれとは異なる問題解決方法を取り、人間とは異なる道具を用い、また万能性よりは人間の作業の一部に特化したものである場合が多いのである。

 ロボットについても、こうした面から否定的な意見を組み立てることができる。第一に、人間用のドアを開け、人間用の階段を下りることができる、しかし「人間以外の形をしたもの」を、設計できないわけではない。第二に、道具であるが、たとえば掃除機用のフィルターは人間が箒をもって掃除をするときには役に立たない、まったく専用のものである。同じ事が、パワーショベルのバケット部分や、ミシン用の針と糸についても言える。そういった特殊な道具を用意するコストはたとえば「人間と同じスコップを用いて穴を掘る装置」のコストより安くつくと考えられているわけである。第三の、万能性についてはそれほど明確ではないものの、工事現場や軍備の実際を見れば、何にでも使える万能の機械を一台用意するよりも、さまざまな目的に応じた少しずつ異なる装置を用意するほうがコスト的に有利になる場合が多いようである。

 もう一つ、先ほど介護用ロボットの利点として挙げた、精神衛生上の問題を考えてみる。軍事用ロボットには直接は関係のない話だが、介護用、家事用、特に育児用のロボットに関して言えば、人間に似ていることは、直感的に何がしかの利点があるように思える。しかし、こちらに関してもよく考えてみれば、さほどの明らかなことではないようにも思えてくるのである。

 スペースの都合もありこの点については触れるにとどめたいが、たとえば未来を描いた物語には「本物そっくりに見える人工ステーキ」というようなものが出てくることがある。確かに、進んだ技術をもってすれば、筋があり、脂がある、あのサーロインステーキにしか見えない料理を、他に由来する蛋白を用いて製造するのは不可能ではないだろう。しかし、現実にこのような製品に需要があるかは別の話である。工業的に骨を抜いた魚や、臭い控えめに改良した納豆、元の肉とは食感が全く異なるハンバーグが人気を博するのを見れば、我々が真に嗜好するのは「ステーキそのもの」ではなく、その背後にある何らの純化された経験ではないか、との想像は容易だからである。

 考えてみればアイボには毛皮は与えられなかった。ドラマ「ナイトライダー」のキットは車の姿だが、かれに何か、親しみを感じることができる。着ぐるみやCGで作られたキャラクター、アニメーションの登場人物は本物の動物や人間に似ていないのに、子供達のみならず大人の人気を得ることもできるのである。我々は、異形の者に対しても友情を、時には恋愛感情さえ感じられるようにできている。むしろ、人間の形をした、しかし僅かに異なるなにものかに対して抱く違和感や恐怖のほうが問題かもしれない。

 ロボット技術をめぐる状況は刻々変化してゆくので、軍事的なロボットの将来はよくわからない。が、少なくとも、私達やあるいは下の世代が介護されるであろう介護用ロボットは、まったく私達に似ていないかもしれない、とは言える。介護用のあるべき電化製品は、第一種ではなく第二種の、それどころかずっと弱い意味での電化製品であるかもしれないのである。たとえば、医学の進歩により、誰もがついに死ぬその瞬間まで自分の意思のままに行動できるように筋力や知力を保つ薬ができるならば、これは弱い意味で介護者が代替されたと言うことができよう。

 そして、たとえ技術的コスト的に引き合うとしても、完璧に第一種的な、人間そっくりの人型ロボットに介護される未来は、それはそれで、心塞ぐ情景であるかもしれないという思いもあるのだ。私は疑問点を他人に直接聞くよりも、立て札や説明書、インターネット上のページなどを見て、自分で調べ、考え、結論することを嗜好するタイプの一人であるからである。もちろん、世界には私と似たような人間しかいない、と思っているわけではないのだけれども。


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