ひとたびの春

 人間の感覚は常に対数的で微分的であり、普通信じられているような絶対評価ではない。たとえば自由になるお金が百万円なのか、二百万円あるのかで、幸福度が倍半分異なるということはないものである。それに、長い間可処分所得が一円もなかったところに降ってわいた一万円は「ずっとそこにある百万円」よりも嬉しいものだ。

 そういうわけで、人は、真に幸福なとき、そのことに気づくことは滅多にない。だからその日彼女が、もしかして今がそのときなのか、この一年こそが、自分の人生で最良の時だったのでは、などと考えてしまったのは、今彼女を包んでいる幸福そのもののせいではなく、そこにひたひたと忍び寄ってきた不幸の気配を感じ取ってしまったからかもしれない。いや、不幸と言えば言いすぎになる。待ち構えているのは各種の面倒には違いないのだが。

 おばあちゃん、とどこかで一人息子の声が聞こえた。その声に応える母――つまり子供の祖母――の声を聞いて、彼女は安心する。機嫌よく遊んでいるようだ。掃除をもうすぐ終えようとしている彼女は、さっ、と畳の上の埃を払い、そこで突然、漠とした不安を感じて、手を止めて、考え込んだ。

 今年三歳になった彼女の息子は、いま少しの間、幼稚園に通わせないことにして、手元に置いている。二年保育と割り切るにしても、さすがに来年になればどこか適当な幼稚園を探さなければならないことだろう。彼女は考える。そうなって、息子が幼稚園に行くようになれば、ずいぶんと暇になるだろう。やはりパートにでも出ないといけないだろうか。

 大学を卒業後すぐに結婚したため、彼女には社会に出た経験などなかったが、息子を幼稚園に送り出したあと、家で遊んでいることは無駄なことに思えた。自分がそうは思わなくても、周囲が思うかもしれない。特に「次の子」を望まないなら。

「次の子」か。彼女は憂鬱になる。そう言えば、夫とも話し合わねばならないことがあるのだった。ある偶然があって、自分、夫、息子の三人は今、彼女の親と実家に同居している形になっている。東京都下の住宅地に構えた親の家はバブルが来るずっと前に建てたもので、いかにも古びた作りとはいえ、今建てるとなるとサラリーマンの給料では到底不可能な立地条件と広さを兼ね備えていた。家賃も払わず暮らせているのは考えてみれば有難いことだった。

 そうだ、いつかは出てゆかねばならないだろう。家計にいくばくかのお金は入れてはいるものの、おそらくは将来、同居している弟が継ぐことになるだろうこの家は、いずれ夫と息子にとって居づらい場所になってゆくことは間違いない。母が高齢出産で産んだ弟と妹はまだ小学生で、幸い今のところ、弟も、妹も、狭くなった家に文句ひとつ言うでなく、むしろ年かさの義兄やおいにあたる息子との同居を楽しんでくれている。

 しかし、それがいつまでも続くとは、生来の楽天家の彼女でも思えなかった。やがて弟達も自分の部屋を欲しがるときが来ることだろう。夫の立場もある。妻の父母と暮らすぎこちなさを如才なくカバーしつつ、割合気楽に過ごしているように見える夫も、どこかで無理をしていることは隠しようもなかった。いつまでもこうしているわけにはいかない。

 ここまで来ると、いつも彼女の思考は堂々巡りをする。思えば、これまでこの一年ほど恵まれた一年はなく、これからも二度とないかもしれない。赤ん坊の世話に追われた日々をふと通り抜け、幼稚園や習い事で本格的に忙しくなる直前の一年。成長してゆく息子が、親の制御を徐々に離れてゆく、その直前の、最も可愛い「私の子供」であってくれた一年。

 そして、母と二人で台所に立つたびに、その思いは強くなる。母は日常の所作についてあれこれと口うるさいところもある古い女性だったが、そこは血の繋がった母である。母と分担すれば家事も育児も楽なものだったし、父や夫、弟妹を送り出してしまえば、誰に気兼ねするでなく、こうしてゆっくりと羽根を伸ばすことだってできる。

 この父についても、彼女は感謝するところがある。父は定年を間近に控えた年齢だが、幸いまだ体のどこも故障はなく、健康に会社に通っている。仕事のほうも「窓際」といわないまでもそう忙しいわけでもないらしく、休日は家族と共に出かけたり、ゴルフで汗を流すくらいの元気があった。母同様、古い人間ではあるが、決して家父長的な専制君主でもない父のことが、彼女は好きだった。定年、という絶対的なタイムリミットに向けて、どうなるかわからない不安さえなければ。そのことを忘れることさえできれば、まだ今のところは、毎晩定時で帰ってくる父を、母とともに作った温かい晩飯で迎え、これにちょっとした晩酌を付け加えておけばそれで万事問題なく日々は続いてゆく。

 夫もその点では似たり寄ったりである。具体的にどういう仕事をしているのか、彼女にはよくわからないが、仕事は毎夕、そう遅くならず引けることができるらしい。悪い友人と飲んだり麻雀をして帰って来ることはあるけれども、これはあくまでレクリエーションだし、これにしても「毎日午前様」などということはない。彼女の家族の目もあるとはいえ、これは夫の性格というものだろう。もっと自分勝手な夫もありえたと思うと、また、仕事が忙しくてどうしようもない家庭も珍しくないことを思えば、これも有難い日常だった。もちろん、これもそのうちには、つまりおそらくは夫が順調に昇進し、責任が重くなるにつれて(そうならなくては困る)、日常ではなくなってゆくのかもしれないのだったが。

 と、そのようにして、まだ今はどれひとつとして切羽詰った問題でもない、そしてまだ今のところはどうしようもない「未来」を数えながら、彼女は、掃除の済んだ縁側から、東京の空を見上げた。浅い空は薄く煙ったように曇り、照り返した日差しがそれにしては妙に暖かい。母と二人で干した洗濯物の向こうに、庭の梅がほころんでいるのが見えた。どこかでうぐいすの鳴く声が聞こえる。春が来たのだった。

「このまま、来年が来なければいいのに」
 彼女は誰にともなく、そうつぶやいた。声に出してしまうと、その願いの自分勝手さ、背徳性に胸が震えた。私はそれでいいかもしれないけど。いや、違う。そうではなくて。その、心の粟立ちを拭い去るように、もう一度。
「この一年が永遠に巡ってくればいいのに」
 彼女はその一瞬、心から願った。来年も、その次も、ずっとその次も。この暖かい一日、永遠に続くような春の幻が消えないうちならば。

 もちろん、そんなことはありえないに決まっている、と心のどこかで気づいてはいた。それでも、消えそうな春の幻にすがりつくように、サザエはじっと目を閉じて、うぐいすの声を待っているのだった。お願い、もう一度だけ、この一年を。


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