効率的な渋滞

 実際に交通渋滞の中にいる当事者にとって「渋滞の一番前がどうなっているか」というのは至極当然の疑問だが、人生の常として、素朴な疑問に素朴な結論が与えられることは滅多にない。そもそも高速道路の渋滞は、特に交通量が多い場合は、確認のしようもない実に些細な原因で起こるのだ。突き詰めればちょっとしたくぼみが原因であることもあるし、「トンネルで前の車がライトをつけたのをブレーキと勘違い」のような不思議なものもある。「側道なり反対側の車線で事故があって、直接は関係ないのだが様子を見る車で渋滞」など、人生に絶望しそうになるが、それでもこれは交通渋滞のメジャーな原因の一つである。

 それよりは明快な、たとえば本線上の事故が発端としてあったような場合でも、実際に渋滞に巻き込まれた人々が現場をその目で見られる可能性は低い。事故が片づけられても渋滞は長く残るから、かなりの場合、現場を通り過ぎてもそれと気が付かないのだ。年末などの長距離ドライブ中、突発的かつ異常な渋滞に苦しめられて、しかも高速道路料金の補償などは特にないことを考え合わせると、せめてどのような原因だったのか、事故車を片づけないで置いといてくれよと言いたくなる(そして、欲を言えば隣に「私がやりました」という看板を首から下げた運転手を立たせておいて欲しい)。しかしそうしておくと脇見の車でますます渋滞することになっているので、やはり綺麗さっぱり片づけられねばならない。かくして、渋滞の原因は当事者の責任と共にますます曖昧模糊としてゆくのである。

 と、以上のようなやけに斜に構えた思考に陥るのも、状況のなせる技だろう。その夜、東名高速は渋滞していた。数時間前になにか事故があったようだが、もはや原因はさほど本質的な問題ではない。ひたすらの真夜中の高速道路、永遠に続く静岡県の上で私はハンドルを握っていた。子供らは既に寝ていてどうかすると妻も寝そうだった。名も知らない地元のFMラジオ局は音楽ばかり流していて、刺激的な投稿の一つも流す才覚はないようだった。文句一つも言わず運転している私は偉いと思ったが、そういえば周りの車はみんなそうなのだ。もしかすると、日本人というのは、非常に偉い民族ではないか。

「ねえね、あっちの車線のほうが、速いんじゃない」
と、後部座席から妻が言った(子供の年齢の都合で、助手席では娘が寝ていて、後部座席に息子と妻がいるという配置になっている)。眠い中、今のところは付き合ってくれている。私はこわばった体をほぐすように肩をぐるっと回してから言った。
「そうかなあ」
「ううん、いいんだけど。なんか、そういうふうに見えたもんだから」
 いや、そうかもしれない。渋滞は、事故の直後のようにぴったり動かないというほどでもなく、平均すると歩くよりはちょっと速いくらいのスピードで流れている。二車線の道路なので「隣の車」というものがあるのだが、その隣との関係は、ずっと見ていたわけではないが、何か、少しだけ向こうの方が恵まれていそうな感じがする。
「そうかもしれない。よし移ろう」
 私はウィンカーを出して、車が動き出した瞬間を狙って、車線を移った。後続のトラックは、私の車の動きについてこられなくて、私はまんまと右の車線(いわゆる「追い越し車線」)に移動した。いや、べつに私が偉いわけではなくて、質量とエンジン出力の関係がそうなっているだけだが、ちょっと得意になる。

 そこで、気配を感じて私は左を見た。左側の視界、今まで私がいた車線に、巨大なトレーラーが入ってきた。なんということはない。私が車線変更したので、私の車があった位置を、後続車が埋めただけのことだ。ことなのだが、そのままこのトレーラーに追い越されそうになって、私は少し焦る。幸い、トレーラーは私の車よりは少し前くらいの位置で止まって「これなら車線変更しないほうがよかった」という事態には、まあ、ならずに済んだ。

「うまく行かないね」
と私は言って、ふと、ちょっとした話題を思いつく。暇だから、話してみよう。
「なあ、聞いて。経済学でね」
「ん、うん」
「経済学で。『効率的市場仮説』というものがあるんだよ」
「えーっと」
「効率的。市場はイチバ。で仮説ね。経済学でね」
と説明にもならないようなことを言って、私は続ける。
「効率的市場仮説には、強いのと、弱いのと、えーと」
「中ぐらいの」
「あー、セミストロングのとがある。なんて言うんだろう。『はんぶん強い』『準強い』『やや強い』」
「まあとにかくそれ」
「んん。この際はあまり強いのには用はない。とにかく、一番弱い、だから控えめな主張はこういうのなんだよ。市場は効率的なので、株価には慣性というものはない」
「慣性というと」
「つまり。ええ、たとえばある会社の、株価を毎日毎分チャートに、グラフにする。勢いがついて株価が登ってゆくように見えたり、底なしに落ち込んでゆくように見えることもある。勢いがあると。でも、それは見せかけなんだってさ。株価は今発表されているニュースを織り込んだところまですぐ移動するから、あるときの値動きと次の瞬間の値動きには関係はない。株価は予想できない。少なくともチャートを睨んでいるだけじゃだめ」
「ははあん」
「そうじゃないかなあ、という仮説だからね。間違っているかもしれないわけだけど、実際過去の実績からはそこそこ成立しているんだって。どこかの会社が大儲けできそうな技術を発明したとして」
「うん」
「そうすると株価はぐっと上がるわけだけど、それはすばやく上がる。二日にわたって上昇したりはしない。するかもしれないけど、確実ではなくてランダムなんだと。それで何が言えるかというと」
「うん」
「チャートを見ながら傾向をつかんで、忙しく株を売買しても、実はあんまり儲からないということらしい。買って、ずっと持っている場合と最終的な利益は、平均すると変わんないって」
「へーえ」
 妻は本当に眠そうだ。

 話しながら見ていると、やっぱり隣のトレーラーのほうがやや速いようで、私の車は結局追い越されそうになっている。辛い状況だ。ずっと同じ車線で待っているよりも、アクティブに移ってから実は、とわかるほうが辛いのである。
「で、思いつきはこれから。道路というのは効率的か」
「ふうん、こうりつてき、というと」
「こういうふうに渋滞していると、左車線のほうが速かったり、右車線のほうが速かったりするわけ。市場と同じ意味で道路が『効率的』だとすると、その違いはすぐ埋められてしまう。速く流れるほうの車線にみんなが移動して」
「あ、結局そっちが混むぐ」
「うん。なに食べてるの」
「ポッキー。食べる」
「食べる」
「…ごめん。さっきのが最後だった」
「ああそう。そういうヤツだよ。いや別にいいよ。で、ええと、だから」
「じゃがりこならあるよ」
「おお。で、要するに、効率的な道路は右車線も左車線も流れる速度は変わらない、というわけ」
「ははあ」
「道路における投資家は、右左の車線をじっと見て、速いほうを選ぶだろう。でも、長い目で見ると、結局『速い車線』なんてものはなくなってしまう。いくらすばやく車線を移っても、一つの車線をずうっと走っている『バイアンドホールド』派の人と同じだけ、時間がかかってしまう」
「なあるほどね。はいどうぞ」
「ありがとう」
 私は手のひら一杯に盛られたスナック菓子を一瞥して、無理に一口に食べた。
「何味でしょう」
と妻。えーと。塩辛い。塩辛くて。
「…コンソメ」
「ぶぶう、違います」
 妻はくすくす笑う。

「面白いのは、道路が効率的であるためには、道路が効率的でないとみんなが思っていないといけない所なんだ」
「正解はとんこつラーメン味でした」
「ええっ、とんこつ」
と言われてみると口の中にとんこつの味が広がるのがこのゲームの恐ろしいところである。もはやとんこつにしか思えない。
「とんこつだよなあ。なんだよコンソメって」
「くすくす」
「いや、まあ。それでね。もしみんなが効率的だと思っていたら」
「うん、ま、一つの車線を走るね」
「そうそう。そうすると、左と右の車線は、本来持っている非対称で、実際には差ができ始めるだろう。事故車は実は右車線にいたとか、左車線から高速道路を降りる車があるとかで」
「はいはい」
「だけど、みんなは効率的だと信じていないので、こっちのほうが速そうだと思って車線を移る。そうすると、不思議なことに、道路はかえって効率的になる。左も右も概略同じ速度で渋滞を抜けるわけだ」
「ふうーん。なるほどねえ」
「今思いついた仮説、仮説だけどねえ。もう一本おくれ」
「はいどうぞとんこつ味」
「ありがとうとんこつ味」
「ちょっと目をつぶってもいいとんこつ味」
「それはつまり寝るということかとんこつ味」
「ううん目をつぶるだけ」
「いいよ。でもとんこつ味はそこに置いといて」

 私はカップホルダのペットボトルを取って、中身のダイエットコークを一口飲んだ。あまり飲みすぎると後で辛くなる。私は話す相手がいなくなったので、左車線のトレーラーの後姿を見送りながら、投資との比喩についてまだ考えていた。車線を移るときの非効率は「手数料」ということになるだろうか。どっちが混むか経験的に知っている土地の馴染みの運転手はインサイダーで、「強い」道路効率仮説が成り立つならインサイダーも得をできないことになる。ときどきいる、路側帯を走る行儀の悪い車はこの場合なにか。「空売り」のようなことはできるか。今日のように不慣れなドライバーが多い道路は、本当に効率的になるのか。とんこつ味のじゃがりこをもう一本かじって、私は考え込んだ。とりあえず、日経平均株価そのものがそうであるように、渋滞自体はひたすら非効率に、のろのろと進んでいた。


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