太陽と黄金と林檎

 夕暮れの空を見上げると金星が見える。地平線の向こうに隠れたばかりの太陽の光を反射して、まぶしいくらいに輝く内惑星の、その背後はゆっくりと深みを増す空。その暗青色に、一瞬、金星の長大な公転軌道が細い銀色の楕円としてありありと感じ取れる。太陽の周りをまわる公転軌道の巨大さに比して、金星のなんと遠く小さいことか。この深淵に泡のように浮かんだ二つの惑星の間、その空虚のなんと深く大きいことか。巨大な惑星たちの棲む空間は、人の身には量りがたく広い。

 というわけで、10の9乗倍というのが、いいスケールではないかと思った。今回は、この「10の9乗」という換算定数を、こういう状況をイメージするための便法として提案したい。惑星間の距離を日常的なスケールに置き換える試みは、私が昔書いたのも含め既にいろいろあるが、10の9乗分の1のスケールで考えることにすると、換算が楽なうえ、変換後のスケールがなかなか手ごろではと思うのである。

 例として、地球の直径が12 700kmくらい、というのを考えよう。これを10の9乗分の1にするというのは、桁を9つ落とすということだが、つまり単位を1000km→km→m→mmと3つ移動させるということである。だから、12 700kmは約13mmに換算される。ふつうのサイズのビー球が確かこのくらいのサイズだ。いわゆる「スーパーボール」、落とすとよく弾むあのゴム球は直径20mmぐらいなので、それよりは一回り小さい。私なんかはこのくらいの球を想像すると、どうもドキドキしてならない。いかにも幼児が誤飲しそうなサイズだからである。

 それはさておき、「10の9乗」というスケールの偉いところは、換算が簡単なので、新聞なんかを読んでいて出会った太陽系関係の数字を、ぱっと日常のスケールまで暗算で落として考えられるということである。それには、あらかじめ上の「10の9乗分の1『地球』」をよく想像しておくとよい。ビー球くらいの地球を手元に置いて、これと比較して、と明快なイメージを得ることができる。

 地球と月の距離は、軌道長半径で384 400kmと理科年表に載っている。これに上の換算を行うと384mmである。ビー球の地球から38cmのところに月があることになるが、これは、思ったよりも近く感じる。今しがた座っている私の目から机の上までの距離を測るとだいたいそのくらいだったので、机の上に置いたビー球と、月から見た地球が、だいたい同じ大きさに見えるはずだ。ちなみに月の赤道半径は1 738kmで、直径にすると3.4mm。チョコベビーを丸い方向から見たくらいの大きさの粒になる。机の上のチョコベビーが地球から見た月の大きさ(視野角)に等しいとはちょっと信じがたいが、このチョコを、こう、目から38センチの距離を保ったまま地平線にかざして見ると、昇る満月がイメージできる、ような気もする。

 さて、地球と太陽の距離(軌道長半径、いわゆる「天文単位」)は1.496×1011mとして与えられているから、換算するときは11から9を引いて、1.496×102mである。つまり、1.5×100m、150mだ。同様に換算すると、金星は半径100mの円周上を巡っている、直径12mmの球になる。

 だから、冒頭のイメージはこういうことになる。ここにビー球を一つ置く。150m歩く(2分弱くらい)。ここが太陽だ。さらに、向きを変えて、今度は100m歩く(1分ちょっと)。ここにまたビー球を一つ置く。するとこれが金星である。とにかくわかりやすい。

 というわけで「太陽系には10の9乗分の1が便利」ということなのだが、実はこれだけではない。この「10の9乗」という数字は、反対方向にも便利に使えるのだ。10の9乗倍して換算するわけだが、この場合、nm→μm→mm→mという単位移動になる。シリコンの結晶の原子間距離は0.24nmなので、これで換算すると0.24m。直径24cmの(メロンくらいの)玉っコロが詰まった箱を想像して、このへんの事柄を、このスケールで今後考えてゆくわけである。

 半導体の設計ルールが、90nmとか、65nmとか、次は45nmだとか、そういうことが言われている。この手のナノな数字はこのままではよくわからないが、上の換算を使うと、ナノメートルをそのままメートルと読めばよいだけなので簡単である。半導体の結晶の上に引かれた幅65nmの導線は、幅65mの広い道路になる。片側三車線か四車線ずつの堂々たる高速道路であるが、シリコン原子(メロン大)に比べて必ずしもすごく広いわけではない、という感じがよくわかる。物質が連続ではなくなって、だんだん原子の「つぶつぶ」が見えてきている、その境界のところで半導体業界は頑張っているんだなあ、という感じがよく表されているのではないだろうか。

 ちなみに、可視光線の紫の端、波長0.38μmの光は、9桁上げると0.38kmで、波長380mになる。周波数にすると790kHzだが、これはAM放送が行われているの中波の周波数である。ラジオ放送が聞こえてくるような具合に、可視光線は家や畑やメロンを回り込む。原子は可視光を使う顕微鏡では見えないのだが、その見えなさというのは、このくらいの桁の違いがある。

 さて、タイトルの「太陽と黄金と林檎」だ。実は、以上のような10の9乗のスケールで換算するとこの三つが、ちょうど同じくらいの大きさになる……と格好よかったのだが、そうはいかない。太陽(赤道半径696 000km)を10の9乗分の1にすると、直径1.4m。金原子の大きさとして「金属結合の有効半径(1.44オングストローム)の二倍」を使うと、10の9乗倍して29cmである。アドバルーンとスイカということになり、惜しいところだがずれているのだった。

 しかし、よく考えてみると、ずれているとしても、なに、10倍以内に収まる程度であり、10の9乗という巨大な数を見たあとでは、奇跡的な一致にも思えてくる。10の9乗、素晴らしいではないか。このようにむやみに気が大きくなるのも、換算して考える利点の一つではないか、と思う。


※太陽ではなくて木星(赤道半径71 500km)が、金ではなく炭素の原子(共有結合の原子間距離が1.4オングストロームくらい)が、ちょうどリンゴくらいの大きさということになる。ではなぜ「木星と炭素と」ではなく「太陽と黄金と林檎」なのか、わらからないお友達はお父さんお母さんに聞いてみよう。
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